「誰かの役に立ちたい」と飛び込んだ医療の世界

2019年1月。年に1度の晴れの舞台であるNational Sales Meetingの表彰式の壇上に、本社のマーケティング部門で特命プロジェクトを任されていた砂川の姿がありました。前例のないプロジェクトでの功績を評価されての受賞。それから1年も経たないうちに自ら志願して日本最南端のリージョンに赴き、営業メンバーの陣頭指揮を執ることになるとは、この時はまだ思っていませんでした。

横浜市生まれの砂川。かねてから教育に興味があり、大学在学時は教職を目指していましたが、時代は就職氷河期。中高の教員免許を取得するも、自身が希望するような就職先は見つかりません。「ただ漠然と人のために役に立ちたいと思った」という砂川が最初に選んだ就職先は、地元にある医療機器の卸会社でした。

外科をメインマーケットとする医療機器の営業職に携わりますが、さらに“川上”で医療に貢献できる医療機器メーカーに興味を抱くようになります。

砂川 「アメリカの病院内物流管理システムに比べて、当時の日本は大きく遅れていました。グローバルメーカーで現場を見てみたいというのが入社の決め手でした」

一念発起して日本ストライカーに転職。地元を離れて名古屋に移り住み、長野や岐阜で人工関節の営業活動に奔走します。

キャリアを重ねた先に見えたピープルマネジメント

約5年間中部地方で営業経験を重ねた砂川は、横浜への異動を希望。2010年、横浜エリアの担当として転勤したのも束の間、すぐさま東京の本社からプロジェクトの誘いを受け、マネジメントに特化した経営改革プロジェクトに参画します。

砂川 「営業が好きだったので、『なんで?』という気持ちはありましたが、良い流れには乗っておきたいという直感が働きました(笑)。

プロジェクトでは、外部コンサルティング会社と協働する機会が多く、マネジメントの重要性を実感しました。現状分析、目標とのギャップを埋めるにはどうすれば良いか、KPI指標と実現までのプロセスなど全てが新鮮で学ぶことばかりでした」

その後グローバルに展開する人工関節関連製品のマーケティング担当者に抜擢され、海外とのやりとりも増え、おのずとビジネスの視野も広がっていきました。日本ストライカーに入社して15年。冒頭のとおり特命プロジェクトでも成果をあげ、さまざまな部署でさまざまな経験を積んだ砂川は、ふと自らのキャリアに想いを馳せました。

砂川 「営業の現場に戻って、ピープルマネジメントがしたいと強く思うようになりました。さまざまな経験を積んだ今なら、“自分にしかできないマネジメント”ができるかもしれないと思いました。

グローバル規模のプロジェクトに参加し、いろいろな社員と触れ合った経験も大きかったです。国だとか地域だとかに縛られるのではなくて、自分がやりたいと思う仕事をしたいと思いました。

地元愛が強かったので、長らく横浜にこだわっていましたが、この際、働く場所はどこでもいいとまで思えたのです(笑)」

時を同じくして2019年、社内公募制度を利用して自ら手を挙げ、沖縄を含む日本最南端の九州南部リージョンへ異動。10名の営業メンバーを率いるリージョナルマネージャーとして、新たなチャレンジがスタートしました。

九州南部で理想のチームづくり

マネジメントという仕事に、元来興味を持っていた教育とどこか通じるものを感じたという砂川。チーム全員の力を引き出し、営業目標を達成していくことが求められる日々ですが、「リージョナルマネージャーとして働く今が一番楽しい」と語ります。

砂川 「チームメンバーそれぞれに、一人ひとり違う幸せがあります。それが実現できるようアシストするのが、自分の役割だと思っています。

“マネージャーとプレイヤーは対等であり、役割が違うだけ”。駆け出しの社会人のころに先輩から言われた言葉がずっと心に残っています」

砂川率いる九州南部リージョンのメンバーは、20代から定年を迎えるベテランまで経歴もさまざま。砂川の年齢はちょうど中間あたりですが、砂川は常にメンバーと1対1で丁寧に向き合い、仲間に対するリスペクトを忘れません。「何より嬉しいのは、仲間がお客様や会社から褒められること」と笑います。

近年、DE&I(Diversity, Equity and Inclusion)に力を入れている日本ストライカー。砂川が担当する九州南部リージョンにも、産育休を経て2歳の子どもを育てる女性社員がいます。

夕方には保育園へのお迎えがありますが、顧客である医療機関とのアポイントが重なる時は、メンバーの誰かがバックアップできる体制を常に整えておくなど工夫を凝らしています。

まだまだ医療機器業界では希薄である“育児をしながら仕事をすることは当たり前”、“仲間が助けるのは当たり前”という意識をチームに定着させ、顧客からの理解も得ることができました。

砂川 「彼女からは、“このリージョンで本当に良かった”と言ってもらえて本当に嬉しく思っています。この成功事例を今後は社内で横展開していきたいですね」

パスを回しながら目指す、チームとしての成長

整形外科領域において、日本で初めて承認されたロボティックアーム手術支援システム「Mako(メイコー)」。砂川は九州南部におけるMakoシステムの導入にも精力的に取り組んでいます。

砂川 「新たなテクノロジーを提供することで、顧客である医師から求められるレベルもおのずと高くなります。先生方に満足していただく手術用機器を提供することは、患者さんの生活の質を向上させ幸せになっていただくことに直結します。これが我々のビジネスの原点だと思っています」

「サラリーマンとしてやりたいことは精一杯できている」と現在の環境に満足する砂川。その背景には、プロジェクトメンバーへの抜擢や公募制度など、キャリアの選択肢を与えてくれた会社と周りの支えがありました。

砂川 「新しい部署に異動するたびに、周囲の人に助けられてきました。日本ストライカーという会社は、自分の周りまで心を配ることができる人が多い。

仲間である社員同士はもちろん、医療従事者や患者さんが幸せになるように力を尽くそうという空気があり、これが日本ストライカーらしさだと思います」

今度は自分が周囲を支え、導く人になりたいと砂川は語ります。

砂川 「サッカーに例えれば、自分はストライカーでなくていい。メンバーのゴールにつなげるアシストでいい。いろいろな人にパスを回しながらチームとしての成長を目指したいと思っています」

日本ストライカーでさまざまな経験を積んだ砂川。今、改めて現場視点にこだわり、仲間とともに九州各地を奔走しています。本社メンバーとの連携も図りながら、今後は医療機器のビジネスモデル改革につながるような動きを九州から巻き起こしたいと、さらに大きな未来を描き、邁進する日々がこれからも続きます。