機械いじり好きの少年が、エンジニアになるため日本へ留学
私の母国はアフリカ西海岸のセネガル共和国です。サッカーのワールドカップに3回出場、首都のダカールは「パリ・ダカールラリー」でも有名だと思います。そこで生まれた私は、自動車関連のシステム開発エンジニアである父の影響もあり、機械いじりが大好きな少年でした。壊れた家電製品を分解して修理したり、構造や仕組みを調べたりするのがとにかくおもしろかったです。
父と同じようなエンジニアになりたいと考え、ティエス工科大学に進学し、工学部で機械・電気を専攻しました。そしてもっとレベルの高い環境で学びたいと考えて、卒業後、日本への留学を決意しました。日本は技術力の高い国ですし、その文化にも興味がありました。父もフランスで働いていたことがありますし、兄の奥さんも外国籍の人で、家族の中で海外は身近な存在でした。だから私の日本留学にも賛成してくれて、学費をサポートしてくれました。
来日したのは2011年10月、25歳のときでした。まずは言葉を学ばなければと考えて、日本語学校に通いました。もともと母国のウォロフ語・英語・フランス語を話すことができて、コミュニケーションにも自信がありましたが、日本語はなかなか難しいですね。学校に通いながら、生活費を稼ぐため同時にアルバイトをしていましたが、うまく話せず仕事で失敗することもありました。
でもその失敗が「何としても日本語をマスターしないといけない」という気持ちを強くしてくれました。学校でもアルバイト先でも積極的に会話し、必死に勉強もしました。すると日本語学校の先生から「セネガル出身の留学生でいちばん日本語がうまい」とうれしい言葉をいただきました。
人生で一番大変な時期も家族がいたから乗り越えられた
日本語学校を卒業して、2013年の春に今度は電気・電子の専門学校に入学しました。当初は卒業したら帰国するつもりでしたが、人生何が起こるかわかりませんね。実は日本語学校のころにいまの妻に出会って、電気・電子の専門学校を卒業してすぐに結婚。家族ができたことで、私の人生が大きく変わることになりました。
とにかく家族のため、生活のために働かないといけません。だから専門学校卒業後、そこで勉強した知識を活かせる空調設備工事の会社に就職しました。仕事は空調設備の設置。もともと機械いじりが好きだったので、現場での工事も嫌いではありませんでした。それに守るべき家族がいるので、とにかくがむしゃらに働きました。でもいくら工事の技術を身につけても、なかなか収入は上がりません。それに自分がやりたかったエンジニアの仕事とも違っていました。
父のようなキャリアを築いていくためにも、将来にわたって家族を支えていくためにも、このままではいけない。そう思って3年4カ月働いた会社を辞めました。私の中に「前進するためには行動を起こさないといけない」という強い気持ちがあったんです。
退職後はあらためて情報処理・システム開発の専門学校に入学しました。私がなりたいと思っているエンジニアになるため、一から学び直しです。でも勉強だけというわけにはいきません。朝は7時からアルバイトで生活費と学費を稼ぐ。夜は学校で23時まで勉強する。こういうのを日本では「二足のわらじ」と言うそうですね。いまなら「二刀流」かもしれませんが、振り返ってみるととにかく大変な2年間でした。
でも、くじけることはありませんでした。私には大切な家族がいます。私よりも妻に苦労をかけています。それにセネガルには私を応援してくれる両親がいます。絶対に負けないという思いで、「日本に来てから一番大変な2年間」を駆け抜けました。
念願のITエンジニアに、そして次のステージへ
2校目の専門学校を卒業した私は、2020年4月にITエンジニアとして情報系の会社に就職することができました。念願の仕事でしたが、ここでまた私の前に壁が立ちふさがりました。コロナ感染が広がり、研修や現場での指導もないまま、フルリモート勤務になってしまったんです。
でも新しい環境に困難はつきもの。「前に進むためには行動あるのみ。それが私の長所。わからないことは自発的に質問し、自分が動けば必ず問題は解決できる」そう信じて積極的に取り組み続けました。その結果、自動化システム(RPA)や業務効率化システムの基本設計から開発、コーディング、単体テストまで、与えられたミッションをやり遂げることができました。
ここでのRPAの開発はやりがいがありましたし、たくさんの技術・知識を身につけることもできました。でもこれらはすべて自社システムの開発でした。働くにつれて、社内の仕組みをつくるより、もっと広く社会に役立つ開発をしたいという気持ちが芽生えてきました。それは「モノづくりをしたい」と思った少年時代の私の原点だったはず。そう再認識したら、もう行動を起こすしかありませんでした。私は2年働いた会社を辞めて、新たなチャレンジをすることにしました。
グローバル人材へのあたたかいフォロー体制に感激!
やりたい仕事をするには、たくさんのプロジェクトがあり、専門スタッフが相談に乗ってくれる会社がいい。そう思って応募し、入社したのがスタッフサービス・エンジニアリングです。実は以前、別の会社の面接も受けたことがありました。「開発エンジニアになりたい」「こんな仕事がしたい」という気持ちを精一杯伝えましたが、そこでは希望の仕事を紹介してもらえませんでした。だから「もしかしたらスタッフサービス・エンジニアリングでも……」という思いもありました。
でもそんな不安は一瞬で吹き飛びました。スタッフサービス・エンジニアリングでは、私がこれまでやってきた仕事、これから挑戦したい仕事について本当に熱心に話を聞いてくれたんです。そして私の気持ちにとことん向きあってくれて、要望をかなえながらしっかり経験を積める就業先を探してくれました。もちろん100%理想通りにいかないことはわかっていますが、とにかく私のために一生懸命になってくれる姿に感激しました。
また、担当営業の方は一番初めに会った時、セネガルの母語であるウォルフ語の挨拶を覚えてきてくれました。そういった小さな心遣いがとても嬉しかったです。
2022年9月に正社員(常用型派遣)として入社し、就業先も大手自動車メーカー関連の車体開発の会社に決まりました。現在はそこで、自動車のメンテナンスマネジメントシステムの設計・開発から、テスト・リリースまでを担当しています。少しずつできることが増え、ユーザーとのミーティングにも参加させてもらうようになりました。直接お客様と話して要望に沿いながら開発を進めていくのがおもしろく、システム設計・開発の奥深さにも驚かされて、いまは仕事に夢中です。
さらに営業担当の方は、入社後もずっと僕のことをフォローしてくれています。定期的に「困ったことはない?」といったメールをくれるのですが、それが日本語と英語の両方を使ってのサポートなんです。日本語はかなり上達しましたが、気持ちを伝えるときにはやっぱり日本語だけでは表現が難しいと感じることがあります。このような配慮をしてくれるのは本当に嬉しいです。
私は会社や職場に恵まれて仕事を楽しんでいますが、また別の領域に挑戦したいという気持ちもあります。前に進むためには行動あるのみ。スタッフサービス・エンジニアリングならきっと、そんな私を支えてくれると思っています。