自衛隊で無線機器に興味を持ったのが最初ですね
私が高校を卒業した1985年は、まだ大学進学率がそれほど高くありませんでした。とくに生まれ育った島根には大学も少なく、必ず大学へ進学したいというわけではありませんでした。そんな折に、たまたま地元の自衛隊員の募集を見かけて応募したんです。
ただ、大学進学を諦めたわけではありませんでした。隊員として働いて給与を貰いながら、大学などに進学することもできると聞いていたので、それも悪くないと思ったんです。けれども、入隊後に航空自衛隊に配属され、航空無線の検査・修理という仕事に就いて3年、そこで考えが変わりました。
まず無線機器というものに興味を惹かれました。さらに1988年といえば、まさにバブル景気の真っ只中。準公務員という扱いだった私からすると、社会がキラキラ輝いて見えたんです。自分もそんな華やかな世界に行ってみたいと思うようになり、大学進学ではなく一般企業への転職を決意しました。幸い当時は好景気を背景に空前の人手不足。ちょっと大袈裟かもしれませんが、履歴書さえ出せばどんな会社でも合格できるような雰囲気でしたね。
ちょうど世に出始めた携帯電話の開発に挑戦したいと思って
工業高校で電気の基礎を学び、自衛隊で無線機器に携わった経験を活かすなら、通信機器しかない。そう思って、まずは関西の電気技術の会社に転職。そこで1年半ほど航空無線機の信頼性評価の仕事をしました。でも扱う機器は自衛隊時代とあまり変わらず、私の好奇心が満たされることはありませんでした。
ちょうどそのころ、まさに世に出始めたのが携帯電話です。当時の端末はかなり大きくて重量級。バブル時代のネタで人気の女性芸人が肩に掛けているようなショルダータイプから、ようやく手に持てる形式になった感じでした。でも携帯電話はまさに通信の最先端。そこに関わるのがいちばんおもしろい。私は自分の好奇心・挑戦心の向くままに1990年、携帯端末を開発していた大手電子機器メーカーに転職しました。
最初に任されたのは「2人で携帯電話のカスタマーサービス部門を立ち上げる」というミッションです。当時は通話料が1分600円、携帯1台が26万円。そんな高額な機器であるにも関わらず、修理やサポートの体制が整っていなかったんです。本当の黎明期。いまでは考えられないような状況ですよね。
私はお客様のサポート体制を整えるのと同時に、サービス内容を充実させるため、とことん携帯電話と向き合いました。他社の携帯を分解する。自社の新製品の発売前の検査体制を整える。二つ折りタイプが出れば、何回の開閉作業に耐えられるかを実験する。時には私の意見が商品開発に活かされることもありました。
サービス部門に関わること10年。その後は保守サービス部で納期交渉やリコール対応に当たったり、製造部で品質や生産効率の管理を行ったり……。計26年勤めましたが、それはまさに携帯電話が爆発的に普及していく時代のど真ん中でした。どんどん小型化・多機能化された私たちの商品が、社会の在り方や生活のスタイルまで変えていく。そこにどっぷりと関わることができたのは、本当に楽しかったですね。
50歳になっても新分野への興味は尽きず、次は太陽光発電に
携帯電話に関しては「やり切った感」もありました。また26年のうち10年ほどが単身赴任で、家族に負担をかけていたこともあって転職を決意。ちょうど50歳でしたが、立ち止まるつもりはありませんでした。思えばこれまでの転職もすべて好奇心が軸となり、仕事は興味あること・大好きなことに熱中する「趣味」のような感覚でしたね。だから次も新しい趣味に挑戦したいという気持ちでいっぱいでした。
実は長年勤めた大手電子機器メーカーは太陽光発電でも知られていて、私は密かにその技術にも興味を持っていました。そこで見つけたのがスタッフサービス・エンジニアリングです。数多くの大手メーカーのさまざまな開発案件を持っていて、その中に「メガソーラー発電所の開発」というプロジェクトがあったんです。
前職では課長や部長といった管理職を務めていたこともあり、収入は今までよりも下がってしまう。でも、これまで「やりたい仕事をやる」「自分がおもしろいと思う仕事をあきらめない」を徹底してきたので、迷いはありませんでした。家族も「あなたがイキイキ働いている姿がいちばんいい」と賛成してくれました。その言葉が後押しになり、2017年3月、スタッフサービス・エンジニアリングへの入社を決意、晴れて大手プラントメーカーの大規模なメガソーラー建設のプロジェクトに加わりました。
エンジニアに必要なのはスキルより好奇心、そして協調性
私はプロジェクトマネージャーとして、工事の進捗管理・現場管理、設計図書の確認と発行、行政機関や電力会社への申請、収支管理などさまざまな業務を行い、4つのメガソーラー発電所の開発に携わりました。4基目の途中、2度の工事中断がありましたが、自分が興味を持って挑戦したことなので、「任されたプロジェクトは何があってもやり遂げる」という気持ちで4基目を完成させました。
私はエンジニアに必要なのは、スキルよりも旺盛な好奇心だと思っています。ただ、これまでのエンジニア経験の中で、もう1つ大事な要素にも気づかされました。それが「協調性」です。たとえばメガソーラー発電所建設でも、トラブルを乗り越えて完成させられたのは決して私一人の力ではなく、就業先のメンバーに恵まれ、協力会社など多くの方々の力があったからこそ。そして関わるすべての人と協調して仕事を進められたからこそだと思っています。
さらにスタッフサービス・エンジニアリングは、経験やスキルに関係なく、すべてのエンジニアに手を差し伸べてくれる会社です。就業中も担当営業、キャリアカウンセラー、エンジニアサポーターと多くの方からのフォローがあり、困りごとの相談や仕事の振り返りができますし、キャリアアップについてアドバイスもしてもらえます。会社として「実務未経験でも興味と意欲があればぜひ、エンジニアに挑戦してほしい」というスタンスなので、私からもぜひお勧めしたいですね。
もちろん私自身も、まだまだ好奇心を失ってはいません。いまの太陽光発電のプロジェクトは2024年の1月まで。引き続き声をかけてもらえるなら、この分野を極めてみたいと思っていますが、その先は未定。いまいちばん興味をそそられているドローン技術に挑戦したいという気持ちもあります。新しいことを始めるのに年齢は関係ありません。
また、あらゆる分野にわたって豊富なプロジェクトを持っているスタッフサービス・エンジニアリングなら、きっとそのときに興味の持てる仕事も用意してくれるはず。チャレンジ精神を忘れずに、今後もエンジニアという「趣味」に没頭していきたいと思っています。
※ 記載内容は2023年7月時点のものです