「たった100億円の事業」と、次の当てもないまま飛び出した大企業

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大学院で高機能性高分子の研究を行っていた渡部が、卒業後に新卒として入社したのは大手の鉄鋼メーカーだった。

そしてその中で、現在では当たり前のようにカラーテレビなどで用いられる液晶の研究開発を、主任研究員として率いていくようになる。

渡部 「当時は、ブラウン管からカラー液晶への変化に関わる、生活を変えるような研究をしていました。シリコンバレーでアピールをしたり、NASAと共同で試験を行ったりもしていました。そのうち研究を事業化するにあたって、事業部長としてマネジメントや経営にも関わり、事業は100億円規模にまで成長していきました」

しかし事業が順調に成長していく中で、渡部は違和感を持つようになった。

渡部 「母体が数兆円規模の会社の中で、『100億円規模の新規事業は、塵のようなものだ』と感じるようになりました。そして当時は若かったこともあり、自分の力で何ができるかを試したくて、転職をしました。別の企業からオファーがあったわけではなく、次の仕事も決まっていないのにです。

退職してからアルバイト雑誌で求人を見つけ、新しいスタートを切りました。一大決心をして、東京から名古屋に家族を連れて引っ越したのはこのときでした」

30年ほど前の時代に、安定している大企業の地位を投げ捨てて転職をする。それは、非常に珍しい選択であっただろう。渡部の「変化し続けること」、そして「チャレンジし続けること」というマインドはここからも感じ取ることができる。

やがて、渡部はより大きなチャレンジをしていくことになる。

大企業から中小企業、そして起業へ。感じた困難と面白さ

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渡部が開発したカラー液晶の技術がゲーム機に使われ始めた頃、彼はゲーム業界の会社に就職している。

渡部 「大企業にいたころは、承認の経路が多く、そこにわずらわしさを感じていたことも多かったです。しかし、今度中小企業に行ってみると、その経路が存在せず、構築から始めないといけませんでした。

また人も少ない中で、開発営業製造品質管理から販促のためのCMの企画まで、全部の役職を兼務していく必要がありました。その状況もあって、200人規模の工場を動かしていく中で会社の経営戦略にも深く関わるようになり、後進を育てるマネジメントも行うようになりました」

自らの力で様々なことをやっていく中で、それでも渡部はまた新たなチャレンジを求めていった。

渡部 「1000人くらいの会社でNo.2をしていても、やはりトップでないとできないことがある。そこで思い切って、独立したのです。つくった会社は、年間売上10億円を7年間継続していました。 

しかし、両親の介護が必要になってきていたことや、業界の先行きが不透明だったこともあり、事業を解散することを決断しました」

エスプールロジスティクスとの出会い。「当たり前」への取り組み

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▲品川センターにてエコアクション指導をしている様子

やがて、実家から東京に戻った渡部は営業などを経験し、2020年6月にエスプールロジスティクスと出会う。

経験したことのない物流業界の中で、渡部は一体どういう役割をもって業務を行っているのだろうか。

渡部 「今では『当たり前』になった気候変動や環境問題。ニュースでもSDGsの一環として取り上げられるなど、注目度は高くなっています。しかし、これは今に始まったことではなく、30年前に私が開発に取り組んでいく中では、大企業の責任として『当たり前』にやらなければいけないことでした」

1960年頃に四大公害病が発生し、1967年には公害対策基本法が制定。その歴史を鑑みると、1990年頃渡部が所属していた製造業界が、物流業界より遥かに先んじて環境問題に取り組んでいたというのは想像に難くない。

渡部 「汚染や、公害の問題の影響を考えながら事業に取り組んでいたこと、また最近のSDGsの潮流もあり、エスプールロジスティクスに入ってから、環境への考え方を導入していこうと思うようになりました。その取り組みの一つとして、『エコアクション21』の取得に、若手と共に取り組んでいくことになります」

エコアクション21とは、環境省が定めた環境経営システムに関する第三者認証・登録制度のこと。取得のためには環境経営のPDCAサイクルを構築し、回し続けることが求められる。

これまで環境を意識した取り組みを行ってこなかったエスプールロジスティクスにとっては、まったく新しい挑戦であった。

渡部 「まず、環境経営のPDCAサイクル構築にあたっては、どういう体制と役割分担で環境経営に取り組むのかという組織体制を作っていく必要がありました。そこで、メンバーに対して、環境問題の教育を行いつつ、組織として若手社員を中心としたエコアクション推進委員会を立ち上げました。

その次はCO2の排出量を知って、それを見える化することに取り組んでいきました。その後に行ったのは、電気、水、廃棄物を減らすとともに、省人化のための生産性向上の取り組みです。その中で最も成果が大きかったのは、廃棄物を減らす取り組みでした。現在ではリサイクル率が98〜99%に上昇し、コストも年間200万円弱ほどダウンしています」

1年間に渡る取り組みの結果、2021年の8月。ついに品川センターにおいて、エコアクション21の取得が完了した。

「変化」する世界で、自らが「変化」していくこと

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エスプールロジスティクスにおけるエコアクション21の取得は、2022年1月現在、まだ品川センターだけと限定的だ。

エスプールロジスティクスとしては、今後はつくばセンターにおいても取得を目指すとともに、カーボンクレジットなどを用いた業界初の「ゼロ・エミッションロジスティクス」の構築に向け、持続的なCO2削減および環境保全につながる取り組みを積極的に推進していくことを掲げている。

こうして掲げられている未来に対し、渡部も同じ方向を向いている。

渡部 「先々の展開に向けて、この文化をこれから脈々と継続させていく。それが今後の私の一つのミッションだと感じています。そしてエコアクション推進委員会は、5Sや効率化の取り組みなどにどんどんとつながっています。

今まではこうした取り組みはなく、レベルの低い状態でしたが、今では世の潮流として当たり前とされていることが、企業として当たり前にできる状態になっています。今後も、この取り組みをもとに、よりよい何かへつなげていきたいです」

大企業のメーカーから始まった渡部のキャリアは、その経験を活かし、物流業界の中でのエコ・改善活動につながっている。

渡部 「大企業から飛び出していく。このことは、ひょっとしたら馬鹿だと言われることだったのかもしれません。それでも、人と違うことをしたいというマインドで、挑戦していきたいと思い、行動したからこそ今がある。そして、ここでのエコアクションという新たな取り組みにつながった。

エコアクションもそうですが、これからはエコに対する取り組みを行うことが『当たり前』という世の中に変化していきます。江戸時代は九九を覚えていると偉かったのが、今では誰しもが覚えているように、世の中は変化していく。その中で、エスプールロジスティクスという会社が先陣を切って動きだしたところです」

人生100年時代と言われ続けてもう長い。働く期間が伸び続けている中で、自身も環境に合わせて変化していくことが求められる世の中になっていっていくのだろう。

渡部のように、大企業の経験を活かし、中小企業でその力を発揮していくことは、一つのモデルケースになっていくのかもしれない。

渡部 「エコアクションが別の改善に繋がっていくように、全ての仕事は繋がっている。一つひとつの改善を、忙しい中でも丁寧にやっていけば、必ずそれが大きな結果に繋がっていきます。

そういう走り込みのような地道な積み重ねを、これからの活動で若手社員の間に根付かせていくことができれば必ずいい会社になっていくはずです」

時代に先駆けて自らのキャリアを変化させてきた渡部が率いて、エスプールロジスティクスが改革の先頭を切り始めた。これからどのように活動が続き、繋がっていくのか。渡部の絶えることない挑戦が、きっと未来をより良いものに形づくってくれるはずだ。