きつい・汚い・危険・給料が安い。4Kと揶揄される介護職を選んだワケ

▲大好きだったという祖父(中央)と、幼いころの松橋(右)

日本は世界の中でも群を抜いて高齢者が多い。

2025年には国民の3人に1人が65歳以上、5人に1人が75歳以上という、超高齢化社会が見えている。そして230~250万人もの介護職が必要とされているが、人材は圧倒的に不足している。介護職は「きつい・汚い・危険」の3Kに加えて、「給料が安い」の4Kだと揶揄されることがあるほどの不人気職種だ。

松橋 「介護職の方って、とても誇りを持って働いているんですよ。確かに、私も学生時代に少し偏見を持っていたことはあります。けれどなぜここまで、介護職だけが不人気なのか、正直わかりません」

エスプールヒューマンソリューションズ(以下SHS)に2019年9月に中途入社し、フィールドコンサルタント(以下FC)として、クライアント先である介護施設などで介護職に従事しながら、自社の派遣スタッフの管理を担当している松橋 美紀子は不思議そうに首をひねっていた。

そんな松橋が、介護業界に足を踏み入れたのは、約2年前。27歳のときだった。

それまでは上京してしばらく飲食業で働き、結婚・出産・離婚などをへて、再び実家で暮らしていた。

松橋 「20歳で結婚、出産も経験しました。当時はフリーターでしたし、正直仕事に対して深く考える機会がなかったと思います。実家の青森に戻ってからも慣れない育児に追われつつでしたので、すぐに働ける仕事を探して地場の精密機器メーカーに勤め始めました」

そうして初めて就職した松橋は契約社員からスタート。ほどなくして新人教育を担当、頼られる存在として正社員にもなった。順風満帆にも思えたが、松橋はある想いを強く抱くようになった。

松橋 「将来何があるかわからないですし実家を離れて自立したかったんです。子どももいるので、せっかく仕事をするなら手に職を持って働きたいと思っていました」

4Kだと揶揄される介護職。それでも介護職を選んだのにはある理由があった。

松橋 「働きながら資格を取れること、どこへ行っても需要があることから介護職を選択しました。でも改めて振り返ると、大好きだった祖父に対しての想いが根底にあるかもしれません」

松橋が中学生のころ。祖父が倒れたことをきっかけに、介護が始まった。徐々に悪化し、要介護5で在宅介護の際には、昼夜問わず家族総出の介護だったという。

その後 松橋は高校を卒業し上京。2011年の東日本大震災の翌年、2012年に祖父が他界した。

松橋 「兄弟全員おじいちゃんっ子で育ちましたが、在宅介護になったころには末っ子の私だけが近くにいました。家族が介護していたのを見ていただけで何もしてあげられなかったことを後悔しています。一番近くにいてもっと接する機会が確かにあったのに、うまくできませんでした。このときの経験が、私の背中を押したのだと思います」

『個の尊厳を守る』──働く中で見つけた介護職のやりがい

松橋はフルタイムで働きながら育児をこなし、さらにまったく未知の分野である介護の勉強を始めた。

そして無事に資格を取得した松橋は、約4年勤めた精密メーカーを円満退社。県内の有料介護老人ホームに転職した。

施設は約20床で、利用者のうち半数は医療依存。通常の生活介護のほかに医師や看護師との連携など配慮すべきことが多かった。

初めての介護業界に戸惑いの連続だった松橋。とくに夜間帯をひとりで担当したときのことは今でも忘れられないという。

松橋 「利用者さんの容態に異常がある場合、すぐに訪問看護の看護師さんに連絡するのですが、看護師さんが来るまでの間は私が見守っていなければなりません。

そのとき、利用者さんが衰弱される様子を目の当たりにしたこともあったので、夜間帯に『何かあったらどうしよう』と、不安に押しつぶされそうになったことは忘れられないです」

一方でこの施設での就業が、松橋の大きな転機となった。

松橋 「当たり前かもしれませんが、施設って一人ひとりの利用者さんの状態や要望に合わせてしっかり介護プランをつくっているんです。そのプランをまわすために、医師や看護師と連携しながら、みんなが誇り持って働いているんです。きつい・汚い・危険がフューチャーされがちですが、『個の尊厳を守る』ことについて、直に感じましたね」

介護職での働きがいを垣間見た松橋は、この業界で経験を積んで自立することを決意。子どもはすでに小学校に入学し、仕事と育児の両立に自信もついていたときだった。

松橋は次のステップ──自立すべく首都圏に生活拠点をうつし、介護で働き続けること──を模索し始めたのだった。

働きやすい業界にする!まずは一人前のFCになるために

▲常駐する介護施設で。「せっかく仕事するなら楽しいと思えるように、何ごとも前向きに」過ごしている

都内の求人は地元青森よりもいずれも好条件ではあったが、そもそもが不人気職種ゆえか「働く環境」にフォーカスした内容ばかりだった。そこで目にとまったのが、SHSの求人。

介護業界を、働きやすい業界に──

自らも介護施設などに常駐勤務しながら、経験の浅い派遣スタッフのフォローやサポート・施設とスタッフの間に入り、働きやすく変えるための改善提案を行う、というFC業務。

これを見た松橋は、すぐに応募し、東京の本社まで面接に赴いた。一次面接で社長の香川 健志と出会い、すぐにその魅力に引き込まれたという。

松橋 「地元の介護施設で働いていたときに、施設管理者の方が育児との両立にとても配慮してくださり、気にかけてくれていたんですよね。現場のサービス責任者や先輩スタッフさんも、皆さん理解してくださって、とても有難かったんです。

その経験から私も『誰かの働く支えになりたい』と思っていたので、SHSのFC職がまさに、現場だけでなくスタッフさんまでも支える仕事だとわかり、とってもワクワクしました!」

結果は無事内定。迷うことなくSHSへの転職を決意。当時、小学校2年生にあがった子どもを連れて上京したのだった。

そしてSHSに入社後は、FCとして介護施設に常駐しながら派遣スタッフの管理に苦戦している。

松橋 「私が担当している施設は派遣スタッフさんがおふたりしかいなかったのですが、そのうちひとりの方が契約満了せずに辞めてしまったんです。

他の社員さんもよく話しかけていたし、コミュニケーションを取れていたと思っていたのですが、どうやらなじめていなかったようで……。どのように関わっていれば良かったのか、正直まだわかりません」

しかし、うまくいかないこともある一方でやりがいも確かに感じていた。

松橋 「施設の方から、来てくれて助かっていると言われることがまずは素直に嬉しいですね。同じ施設で一緒に頑張っている派遣スタッフさんにも、同じように感じてもらえるような現場、雰囲気にしたいです!

私ひとりではできることに限界がありますが、別の施設を担当している先輩FCがいるのでたくさん意見をもらって、彼らをフォローしていきたいです。そうやって一つひとつ課題をクリアしていくことが『介護を人気職へ!』につながると思います」

貢献できる人材になって恩返ししたい──働く中で育んだ仕事をする意義

松橋 「私の両親はよく、息子に対して『ママはあなたのために仕事を頑張っているのよ。だからお利口にしないさい』と言うんです」

松橋は、両親の気遣いに感謝しながらも、自身の仕事の意義について、子どものためではないと断言する。それには彼女なりの考えがあった。

松橋 「私が働いているのは、私自身が楽しく生きるためです。生活のため、子どものためというのは結果としてはそうですが、子どものために何かしてあげることは、そもそも私がしたいからしているんですよ。

なので、せっかく仕事するなら楽しいと思えるように、何ごとも前向きにとらえるようにしています。全部自分のためであって、 仕事で疲れた顔をしてそれが息子のためと言いたくないし、言われたくない」

そしてその考えは仕事にも共通している。介護職は、利用者の状況に合わせて生活介護だけでなく身体介護、その他の介助を行う。その中においては、松橋の表情や言動が、直接利用者に届くのだ。

松橋 「しんどいこともあります。悩むことも。でも、ピリピリしていたり不安そうにしていたらダメなんです。とくに、私はひとりで育児しているので時間制約があるんですよ。経験と知識が少ない上に、日勤だけで働かせてもらっている状況で……」

以前は申しわけないとばかり思っていた松橋。しかし、今は、制約以上に貢献できる人材になって恩返ししたいと考えが変わったのだという。

松橋 「経験や知識は浅いけれど、その分無資格未経験者の気持ちがわかるんです。それを生かしてフォローしていきたいですし、一緒に頑張っていけたらなと思います。

もちろん介護士としても、利用者さんに寄り添っていきたいです。何より、感謝されることがやりがいにつながっていること、いろいろな方の人生に触れることができるのが楽しいです。

なので、 介護職を辞めたいと思ったことは今まで一度もないですね!」

介護職で働くのは、心からやりがいを感じるから。家族も仕事も、好きだから。

松橋は今日も家庭に仕事に、笑顔で向き合っている。