看護師が感じた医療現場でのジレンマ
2019年現在、エスプール保健室の中心的役割を務めている中野。元々は保健師ではなく医療機関で看護師として働いていました。
看護師として10年のキャリアを持つ中野は、入職当時からあるジレンマを抱えながらも業務に邁進していました。
中野 「入職後に配属されたのは、白血病患者さんを看護をする現場でした。
患者さんの病気をなんとかよくしたいと強く思う一方で、病気になる前にもっとできることがあったのではないかという思いが日に日に大きくなっていったんです」
中野は懸命に白血病患者さんと向き合うなかで、「どうしたら病気になることなく健康を維持することができるのだろう」「どうしたら病気を早期に発見することができたのだろう」、と自問自答を繰り返しました。
ついに違和感を拭うことができなくなった中野は、内視鏡クリニックへの転職を決意します。
中野 「『病気の早期発見』『将来の病気を予防すること』に力を入れるクリニックでの勤務は自分の理想ではないかと考えたんです」
クリニックでの勤務を通じて、病院で抱いていた違和感は少しずつ晴れていきました。
一方で、自身の健康に気をつけることをもっと“当たり前にしたい”という気持ちも大きくなっていきました。
中野 「そんな想いを実現するための手段は、一般企業での保健師業務なのではないかと考えていたときに出会ったのが、エスプールの人事部長として自社の健康経営に本気で向き合う米川さんだったんです」
苦悩する人事部長――真面目に取り組むがゆえに悩みを打ち明けられない社員
そのころ、人事部長の米川は社員の健康について頭を悩ませていました。人材サービスを主力事業としているエスプールでは、業務上たくさんの人と関わることが多く、相手の不安や悩みを親身になって聞くあまり、自分事の様に溜め込んでしまう症例が発生していたのです。
米川 「人事部長としていろんな退職者を見届けてきましたが、最もつらいのは一生懸命に人と向き合うことが精神的な重荷となり、最終的に退職に追い込まれてしまうケースです。『もっと早く気づくことができれば退職という選択以外もあったんじゃないか』と、真面目に業務に取り組むことで生まれてしまう退職者がでるたびに、悔しい思いが募っていきました」
退職の一歩手前で報告があがってくるのは、部下がなんとか勤務しつづけられるように上司が踏ん張っている証拠、ということが痛いほどわかるだけに、もがくことしかできませんでした。
米川 「以前から親交のあった産業医の森先生に悔しい思いを相談したところ、会社に保健室のようなものをつくってみたらどうかと提案を受けたんです。『それだっ!』と早速、体制づくりに動きました」
森は産業医として力を貸すことを快諾。保健室の基盤づくりが始まりました。
しかし、肝心要の保健師の採用がうまく進みません。新卒・中途採用には豊富な経験と知見を持つ米川でしたが、保健師の採用は初めて。採用の決断が下せないままでした。
そんなときに出会ったのが、中野でした。
米川 「面談をしてすぐにわかりました。『これが私の求めていた保健師だ!』と。中野が病院やクリニックで感じていた『病気になる前にもっと何かできたんじゃないか』という思いと『もっと早く気づくことができれば退職という選択以外もあったんじゃないか』という思いが面談をしていくなかでリンクしていくのを感じました」
面談が終了し、米川は即採用を決断。
中野、森、米川の保健室設立プロジェクトの三銃士がそろった瞬間でした。
保健室、始動。前例のない取り組みが始まる
やっとのことで本格始動にこぎつけたものの、すべてが手探りでのスタート。
社内掲示板で保健室の発足を周知するとともに、相談内容が保健室メンバー以外の誰にも知られることのないようホットラインを設置しました。
中野 「初めは反応があるのか、半信半疑でした。しかし、予想以上の数の相談が舞い込んできて、潜在的に悩みを抱えている社員が多くいることがわかったんです。このとき、エスプール社員のために身を投じることの決意をさらに固めました」
それからは社員のさまざまな悩みと向き合い続けました。
業務自体の悩み、上司部下との関係での悩み、プライベートの悩み。
純粋な聞き役に徹するときもあれば、人事を通じて他部署に掛け合い配置転換を行うことや、時には行政サービスの力を借りて問題を解決するケースもありました。
相談を受けるだけではなく、産業医の森の力も借りながら健康診断の結果を基にした健康指導も積極的に実施しました。全国に支店を持つエスプール。必要であれば各地を飛び回ることもありました。
――あるとき、業務の相談でAさんから電話が。
中野 「通常業務の相談だったんですが、いつもと比べて声にハリがなかったんです。
『どうかしましたか?』と問うと『ちょっといろいろありまして……』という反応だったので、実際に会って話を聞こうと思いました。
すぐに面談の時間をつくってもらい、支店へ向かいました。
『いろいろ受診したんですが、ここのところ調子が悪くて……』
経過を聞いてみると、胃の検査後に違和感が続いているということだったので、すぐに受診してもらいました。結果、胃から出血していることが判明しましたが、病院ですぐに対応してもらうことができたので、事なきを得ました。原因のわからない不安の解消とともに、今後の対応を知ることができたので、ご本人の安心にもつながりました」
そんな日々の積み重ねもあり、社内では「中野さんに聞いてみたら?」という声が何気なく社員からあがるようになりました。最初は戸惑いのあった社員も、今ではちょっとした体調不良も気軽に相談できるんだという認識が広がってきています。
一からの立ち上げ、前例のないなかでどんどん形になっていく保健室に対して、中野はスタートアップのベンチャーのようだったと当時を振り返ります。
中野 「試行錯誤の日々ですが、看護師時代、そして副業的に保健師として活動していたときよりも充実感を持つことができています」
中野が見つめる保健室のその先
保健室の立ち上げから、はや1年半。気軽に相談できる環境づくりにより相談件数は増えているものの、重症化するケースは激減しています。
中野 「保健室が立ち上がってから、保健室に相談してくれた連続欠勤者のうち 8割は復職し、元気に働くことができています。一方で、相談ができずに休職してしまった方が存在していることもまた、事実なんです」
まだ相談できない人がいることは解決しなければいけない課題と感じつつも、保健室という存在を当たり前にすることには一定の手応えを感じつつある、と中野は言います。
中野 「本人はもちろん、上司の方も抱え込んで自身の負担にしてしまうことを解決したいです。まずは些細な体調の変化でも、メールや電話でもいいですし、気軽に相談してほしいなと思っています。学校の保健室ってなんにもなくても行っちゃうことってあるじゃないですか。そんな存在になることが直近の目標なんです」
真面目に業務に取り組むことで生まれてしまう退職を減らしたい、という米川の思いからスタートした保健室。中野はその先を見つめています。
中野 「まずは少しでも健康に関する情報に触れて欲しいと考えているので、『 SPL保健室だより』を定期的に配信しています。また、医師に気軽に無料相談できるサービスや、外部のメンタルヘルスホットラインを活用し無料でカウンセリングを受けることができるようするなど、社外の相談窓口も広くするように整備しています」
「心も身体も健康の輪を広げたい」──理想を現実のものにするため、中野は挑戦しつづけます。