35歳で訪れた転機。異業界での営業職に新たに挑む
最初に入社したのは不動産仲介の会社で、営業を担当していました。営業成績がそのまま給料にも直結するような、成果主義を重んじる社風のある会社でした。学生のころからいわゆる「The 体育会系」のガツガツしたタイプだった私にとっては、頑張っただけ戻ってくる働き方が合っていたと思います。
勤め続けるうちに、もっと大きな金額を任されたくなったのと、お客様のオーダーに応えた家づくりを手伝いたいという気持ちが強くなったことで転職を決意しました。注文住宅の中堅ハウスメーカーに転職し、その会社でも営業に携わりました。それなりに成績が上がって、マネジメント職も経験したところで、次第に漠然と「このまま、この会社で働き続けてもいいのかな」という気持ちも生まれてきたんですが、なんとなく踏ん切りがつかないでいました。
転機が訪れたのは35歳のとき。今振り返っても、これだ!というきっかけがあったわけじゃないんですけど、転職をしようと思い立ったんです。強いて理由を挙げるとするなら「年齢」でしょうか。40歳が近づくにつれて転職のハードルが上がると考えると、35歳は転職できるラストチャンスかもという気持ちがありました。
ちょうどそのとき、縁があって日高都市ガスで働く友人に「不動産部門を新たにつくるんだけど、立ち上げに携わらないか」と相談があったんです。転職するなら「違う業界で、不動産に関わる営業ができたら」と思っていたので、迷うことなくチャレンジすることにしました。
モチベーション高く、たった1人で挑んだ不動産部門の立ち上げ
面接を経て、そのモチベーションはさらに加熱しました。「都市ガス会社が不動産に挑戦する事例は少ない。日高都市ガスとしても初めての挑戦になる。たった1人での立ち上げになるが、ぜひ任せたい」「安定した都市ガスから、チャレンジする社風に変えてほしい」といった、期待と信頼を寄せた言葉をもらって、本当に嬉しく思ったのを覚えています。
じつは、この面接に行って気づいたことがありました。自宅から日高都市ガス本社への所要時間は、電車とバスを乗り継いでなんと片道2時間近くもかかるということ。人に話すと「なんでわざわざ!?」と驚かれます(笑)。けれどこの通勤時間を差し引いても、またとないチャンスだと、私には思えたんです。
ゼロからの事業の立上げが簡単ではないことは理解していましたが、大変さ以上に「この会社でこそできる仕事」「今の自分だからできる仕事」がここにあると感じたんですよね。
意気込んで入社したものの、最初の半年間は、思うように進みませんでした。不動産事業を始めるにあたっての申請が多くて、そのせいで営業活動ができないという事態に陥ったこともあります。早く数字を上げたい私にとっては、とにかく歯がゆくてたまりませんでした。
営業活動ができるようになっても、最初はアプローチがうまくいきませんでした。地元のお客様には「“都市ガス会社”の日高都市ガス」として認知されているので、突然「不動産も始めました」といわれても、ピンと来ない方のほうが多かったですね。
日高都市ガスの既存事業の中でも、「空き家管理」「住宅リフォーム」「樹木剪定」と住まいに関連したサービスの相談が来たら同行し、お客様に地道に声を掛けて中古物件売買のニーズを探していきました。
それから、日高市ならではの地域ネタを知らないことに苦労しましたね。「あそこの○○さんが──」とか、「前からある○○って店が──」といわれても、「あ、そうなんですね」と返すのが精いっぱいでした。
このままじゃ会話が弾まないと思って、日高市の図書館や資料館に何度も通いました。地名や川・山の歴史、お祭りができた由来まで徹底的に勉強しました。
その甲斐あって、最近ではお客様から「おっ、よく知ってるね~!」と誉めてもらえるようになりました。少しは日高市の方々に認められるようになったのかなと、嬉しく感じています。
「逆境」を乗り越える方法は、自分をさらけ出すことにあり
当社には新卒から働いている方や、日高市に住んでいる方が多いです。社員同士の仲も良く、都市ガスという事業基盤と土地柄もあってか、社内は穏やかな雰囲気です。良くも悪くも自分がこれまでいた業界とは全然違います。
そんな中で、たった1人で不動産営業を担当しているので、周りからは「増田は日高都市ガスっぽくない」と思われているかもしれません。でも、それでいいと思っています。他人にいわれて、初めて自分の良さに気づくこともあるのと一緒だと思うんです。
たとえば、まったく別の業界から来た私がいることで、社風や文化の良さに気づいてもらえることもあると思うんですよね。だから、新しい不動産事業についても仕事の内容、どんな情報が欲しいか、どんなことをサポートしてほしいか、常に自分からオープンに話すように心掛けています。
それに、自分から話さないと、相手にもオープンにしてもらえないですよね。周りから話しかけられるのを待っていたって、何も進みません。先に自分をさらけ出すことで、自然と社内でも打ち解けられ、不動産事業を応援してくれる人が増えていく。周りのせいにしないで、まず自分から変わっていく方がいいんじゃないかなって思って取り組んでいます。
こんな風に会社に変化をもたらせるのも、他の業界を知っている私だからできることだと感じています。もちろん、すぐに成果につながる話ではないと思いますけど、信念をもって続けるつもりです。
営業と広報を兼務する上司が「利益に直結する活動ではなくても、必ず未来につながっていく」「目に見えない先に意味がある」とよく口にしています。この言葉は仕事の本質でもあると思うんです。よく考えてみると、すぐに成果が上がる仕事なんて、そんなにないですよね。地道にタネを蒔いて、いつか花が咲く。上司のこの言葉は、自分への何よりのエールになっています。
日高市も会社も。自分らしく、良い方向に変えていく
入社と不動産事業の立ち上げから2年以上が経ちました。お客様の紹介が相次ぎ、今では日高市だけでなく、川越市や狭山市の中古物件も取り扱うほどに広がってきています。
一方で日高市は、少子高齢化で人口は減少傾向にあります。それに伴って課題になっているのが「空き家」です。持ち主がいなくなって放置されたままの家は、手入れも売買もできず、近寄りがたい場所になってしまっています。空き家の持ち主のご家族が遠方にいるとなかなか手入れもできません。
そんな市の社会問題を解決のために、日高都市ガスが中心になって何かできないかと考え、日高市内でソーシャルビジネスを展開する事業者を対象とした「ソーシャルひだかんファレンス2021」というビジネスコンテストに参加しました。
「持続可能な地域のために~負動産を富動産に~」というテーマで2022年現在取り組んでいる空き家管理・不動産事業を中心に、地域連携での不動産活用を提案した結果、日高都市ガスが9月の最終審査で最高賞「シルバープライズ」を受賞することができました。
審査員からは「SDGsについてだけではなく、事業を継続していく収支計画も素晴らしかったし、各自治体や商工会と連携して、必ず成功させたい地域貢献事業なんだという強い気持ちを感じた」とコメントをいただき、この2年間を思い返して熱いものが込み上げてきました。
自分一人の力は小さくとも、会社や地域の皆さんと一緒に、日高市を日本で一番といえる街にしたい。日高市から、日本全国へ“変化”を発信していけたら、と強く思うようになりました。
その中に、日高都市ガスという会社があることで、地域の皆さんに「住みやすい街だね」って思ってもらえる街にしていくのが、これからの目標です。
もし転職をして、「なんか浮いているかも?」と不安に感じている方がいたら、「それは会社に必要とされているサイン」だと考えてみてほしいです。バックボーンが皆違うのは当たり前。それを新しい刺激に変えて、会社も、街も、社会も良い方向に変えていく。そんな可能性を秘めた仕事をすることが、そこで働くやりがいにつながるはずです。