10数カ国を巡った学生時代。ベトナム語を活かせる日本シグマックスへ転職

▲中近東・アジアを周遊した大学時代。異国の文化に触れ日本にはない様々な刺激を受けた

安達は幼少期から海外に興味があり、大学時代は中近東・アジアを周遊。

日本生まれ日本育ちで、家庭環境としては海外に触れる機会はなかったものの、日本にはない刺激的な文化に強い興味を持っていました。 

安達 「大学2年生の春、しがらみがなくて自分の力を試せるような場所を旅してみたいと中東へ行きました。エジプト・ヨルダン・シリア・トルコを訪れ、言葉では表せないほど大きな刺激があり、独自の文化に触れて『これはおもしろい!』と感じたのです。

同時に、結局、こうした旅ができるのはその土地の人たちの助けがあってこそだとも痛感しました。その後、中国・パキスタン・タイ・ベトナムへ。さらに1年休学し、ミャンマー・インド・イラン・タイ・カンボジアなど全部で10数カ国を放浪。最後の2〜3カ月はベトナムに長期滞在していました」

数多くの国を訪れた結果、安達が最も惹かれた国が「ベトナム」。大学卒業後、一度就職したものの「真剣にベトナムについて研究したい」という想いが強まり、退職して大学院に入り直すことを決意しました。 

安達 「大学院では地域研究科の東南アジアコースに属し、ベトナムの出稼ぎ労働者の町と村での生活について文化を切り口に研究していました。そのときに1年間ベトナムに滞在し、言語を中心に勉強しながら、出稼ぎ労働者たちに密着するフィールドワークを実施。容易ではありませんでしたが、会話力は、現地の生活に入り込みインタビューできるレベルにまで上達できました。

ベトナムでは人と人との距離が近く、ウェットな人間関係が求められます。そんな文化を理解するのが大変おもしろく、現地ではとても多くのことを学びました」

大学院卒業後は、ベトナム雑貨販売事業を行う企業と海外研修生の受け入れを仲介する企業の2社を経験。しかし、就職した会社がベトナム関連事業から撤退するなど状況が変わり、転職先を探しているところで日本シグマックスと出会いました。 

安達 「就職サイトで、日本シグマックスがベトナム工場の管理者を募集しているのを見つけ、応募しました。2006年11月に入社し、そこから約15年間、生産部門でベトナムなど海外生産拠点を中心に生産コントロールを担当しています」

ミスコミュニケーションを解消し、現地と深い信頼関係を築く

▲現地スタッフとの信頼関係を積み上げ、現在は主力生産拠点となったベトナム工場

2006年当初、会社にはベトナム語が話せる人が在籍しておらず、日本とベトナム工場でミスコミュニケーションが発生していました。それを解決したのが安達でした。 

安達 「当時は、コミュニケーションが上手く成り立っていない状況でした。日本側とベトナム側の間に現地のコーディネーターが立ち、その人を介して連絡をとっていたこともあってスピードが遅く、実情が不明確だったのです。

たとえば日本側は、納期が大幅に遅れているのにベトナム側からいつまでたっても連絡がなく、『連絡もできないのか』とイライラしていました。その一方、工場では『生産の変更や急ぎの対応を頻繁に要求されては、出荷が遅れるのは当然だ』という不満を抱いている状態でした。『自分たちの言い分を相手は理解していない』とお互いに不信感を募らせていたのです。 

入社して2〜3カ月後、まずはベトナムを訪れて状況の把握から開始しました。その結果、コーディネーターをはさむよりも私が直接連絡を取った方がうまくいくと感じ、提案しました。最初にベトナム工場の社長に会ったとき、とても険しい顔をしていたのをよく覚えています。そこから徐々に徐々に改善を重ね、今ではお互いしっかりと信頼関係を築けています」

ダイレクトにお互いの要望を伝え合うことで、基本的な問題は大きく改善。それだけでなく、プラスアルファの成果も生み出されました。 

安達 「ベトナムの方々はとても親しみやすく、ざっくばらんに話せる人たちです。彼らの言葉で直接話すことで、お互いが求めていることがしっかり見え、納期など最低限のことだけでなく、品質のことも話せるようになりました。

当時は、社内でもベトナム工場は単純なものしか生産できないと認識されていましたが、実際は技術を必要とする製品群にも対応できるポテンシャルがあったのです。そこで、これまでと違う難易度の高い製品も工場と相談しながら移管してきました。その結果、工場の生産力が底上げされ、今ではベトナムが数量、品目数とも最も大規模な生産拠点になりました」

信頼関係を築くためには、ビジネスシーン以外のコミュニケーションも大切。とくに最初のころはお酒を酌み交わし、工場で働く人たちと広く交流を深めたと振り返ります。 

安達 「社長だけでなく、窓口の方や工場幹部、他部署の方々など、とても多くの人と一緒に盛り上がりました。お酒の席も含めて仲良くなるという文化がベトナムは強く、オフでの関係づくりがビジネスでも役立ちます」

ベトナム工場の社長とはプライベートでも付き合いが長く、ビジネスパートナー以上の関係を築いています。 

安達 「社長の娘さんが日本に留学していた時期には、よく私の家に遊びに来てくれましたね。社長が娘さんに会いに来日した時も、私の家を訪ねてくれて一緒に食事を楽しんだり、今でも家族ぐるみの仲なんです」

ベトナムの経験を踏まえ、ミャンマーで生産拠点の立ち上げ

▲一からの立ち上げとなったミャンマー工場は品質面で乗り越える課題が多かった

ベトナムでの生産が順調に進み、会社として生産安定化とコスト削減を計画していた2013年頃。新たな生産拠点として立ち上げたミャンマーでの経験は、安達にとって印象深いものになりました。 

安達 「ミャンマーは『アジア最後のフロンティア』と呼ばれ、これから海外企業がこぞって進出を始めるというタイミングでした。相当数の工場を訪問し、試作を行い、その中からベストと思えるパトナーを選びました。すでにある生産拠点を当社に合うように修正・改善していくのではなく、本当に一からの立ち上げの段階から関わったので、とても思い出深いです」

厳選した工場だったものの、実際に完成した製品を見ると、品質面で改善しなければならない課題点がたくさんありました。そのため、細かい部分まで大幅にテコ入れする必要がありましたが、安達は当時のことを「大変」ではなく「おもしろかった」と語ります。 

安達 「立ち上げたミャンマーの工場では、当社で扱っているメイン商品の腰痛帯の生産を行うことになっていました。この腰痛帯は医療機関向けのもので『白』色の製品になりますが、この『白』というのがまず問題でした。白い製品を汚れが全くないまま作り上げるのは、実は簡単なことではありません。

たとえば、倉庫に保管された生地は汚れを防ぐため紙やビニールで外装されていますが、生地を使用するために外装を破いた手でそのまま中身を引っぱり出せば、当然生地は汚れてしまいます。また作った製品を積んだままにしておくと、その近くを通った人の体が擦れることで製品は汚れてしまいます。さらに検品の際に素手で触れてしまうと、手のわずかな汚れでも製品をダメにしてしまいます。

『掃除の方法と頻度、パーツや製品の置き場所や置き方から、素手で触れない仕組み』など細かなセオリーやノウハウを伝え、白物管理を徹底してもらいました。そうした試行錯誤を繰り返しながら、工場全体のクオリティを底上げしていく。その過程がとてもおもしろかったですね」

また、ミャンマーにはアパレル工場は多いが、日本シグマックスで取り扱っているサポーター製品とはつくり方が異なるために、苦労した部分もありました。 

安達 「当社製品の生地はアパレル製品よりも厚みがあったり、スポーツ系の生地には中にゴムが入っていたり、アパレル縫製に慣れている工員さんにとっても特殊なので縫いづらいんです。最初はNG品ばかりでした。

ただ、工員さんは毎日の縫製で慣れてきますしもともと技術を持っているので、こちらとしてはOK基準を明確にし、今までの経験を踏まえてアドバイスを続けることで改善していきました。品質が担保された商品を効率的に生み出すしくみをつくったおかげで、今では安定した生産ができるようになりました」

一緒によいものをつくりたい。コロナ禍でも「つながり」を大切に

幼いころから海外に興味を持ち、経験や知識を活かして「好きを仕事にする」を実現した安達。ベトナムに限らず、さまざまな国と一緒に良いものをつくり上げていくプロセスにやりがいを感じています。 

安達 「私は海外が好きなので、世界各国と関わるチャンスが多いことが今の仕事の魅力です。入社してからベトナムだけでなく、ミャンマー・中国・インドネシアの工場に行く機会もありました。

新しい工場を立ち上げたり、新製品の生産立ち上げや既存製品を他工場へ移したり。同じ工場に10年以上も携わっていると、管理技術や生産技能が底上げされ、不良品がなくなっていくのが目に見えてわかり、とてもおもしろいです」

コロナ禍前は、1年で8回海外へ出張していたことも。現地に赴くことで気づくことも多く、自分の言葉で話すからこそ理解し合えると実感しています。 

安達 「1度の出張で4〜7日ほど滞在します。観光で行くのとは違い仕事で行くので、現地の人と真剣に向き合います。お互いを尊重しながら深いコミュニケーションを取ることで、その国のまた違う一面を見ることができるのです」

海外への渡航が難しくなってしまった今は、オンラインで密に連絡。直接会うことはできなくても、現地との「つながり」を大切にしています。 

安達 「ミャンマーは今年(2021年)の情勢が大変なので、なんとか元気づけたいと考えました。現地の協力者と話して、工員のみなさんに何かできることはないかと相談したところ、工場から『おそろいのシグマックスユニフォームを着たい』という連絡がありました。当社のロゴ入りユニフォームを着て、一体感を感じたいと。

そこで、現地でロゴ入りユニフォームを製作してもらったのですが、曜日を決めてみんなで着てくれていることが嬉しいですね。他の工場に対しても、日本からお菓子を送るなど、少しでも日々の励みになるような交流をしています。 

ベトナムをはじめ世界中の工場のみなさんが、こんな状況下でも頑張ってくれていることが嬉しいですし、ありがたいですね」

語学力を活かしたコミュニケーションと、それによって築いた信頼関係を大切に、日本と各国をつなぐ存在となった安達。 

これからも「おもしろい」というワクワクを持ちながら、現地の人たちと一緒に良い製品をつくり続けます。