大学在学中に弁理士資格を取得し、そのまま正林事務所へ

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「これからは知的財産が重要になる。それに関わる仕事を検討したらどうだ?」
正林国際特許商標事務所の若手所員、新山雄一が「弁理士」という仕事を知り、志すようになったのは、祖父のこのひとことがきっかけでした。

当時、新山は大学生。遺伝子工学の研究室に所属し、遺伝子の研究に取り組んでいました。しかし、彼はあることで進路に悩んでいたそうです。

新山 「私には、研究者として致命的な欠点がありました。とにかく手先が不器用だったんです。特に遺伝子工学の分野はミクロレベルの実験が多いため、非常に繊細な作業ができなければ務まりません。そこで自分は研究者には向いてないと思い知り、別の道を探すことにしました」
そのとき、新山が真っ先に相談をしたのが祖父でした。彼は製薬会社の研究開発職に就いており、企業における知的財産の重要性にいち早く気づいていたのです。ときはちょうど2000年代のはじめ。ようやく日本に「知的財産」という言葉、そして概念が広まりはじめたばかりの頃でした。

新山 「当時は、理系大学院を出て弁理士になる……という学生はほとんどいませんでした。でも私は祖父からアドバイスを受け、この仕事に興味を持ったんです。これまで学んできた理系の専門知識を活かせますし、手先の器用さも関係ありませんからね(笑)」
彼はそのアドバイスをすぐに行動に移し、弁理士資格試験対策の予備校に通いはじめます。そのときに講師を担当していたのが、正林国際特許商標事務所(以下、正林事務所)の所長・正林真之でした。正林は当時から、弁理士試験のカリスマ講師として広く知られていました。その受験テクニックは「正林メソッド」と呼ばれ、多くの受験生に支持されていたのです。

正林の教えを受けた新山は、大学院在学中にみごと弁理士試験に合格。そしてそのまま、正林事務所でアルバイトをはじめました。

新山 「講義を受けていたときから、正林のことを『この先生、カッコいいな』と思っていたんです。その後はごく自然な流れで、大学院を卒業したタイミングで正式に入社しました」
こうして、新山は弁理士としてのキャリアをスタートさせることになったのです。


革新的な技術やアイディアに触れ、知的好奇心をくすぐられる仕事


今でこそ20代の弁理士も珍しい存在ではなくなりつつありますが、新山が資格を取得した2000年代半ば頃は、“弁理士”といえば若くても40代後半。50代、60代の資格者がその多くを占めているような状況でした。

そんな業界に20代半ばで飛び込んだ新山は、入所直後からさまざまな経験を積むことになります。

新山 「私は当初から、アシスタントとしての仕事ではなく、大事な案件を丸々任せてもらいました。今振り返ってみると、なかなか新人には担当させてもらえないような、責任ある仕事なども多数あったと思います。そのおかげで、入って1〜2年のあいだに弁理士の仕事を一通り経験することができました。本当に、私は運が良かったと思います」
折しも新山が入社したのは、知的財産権が社会的に注目されはじめ、正林事務所の事業も急速に拡大していた時期。事務所の誰もが、忙しく走り回っていました。

新山 「帰宅時間が深夜になることも多く、体力的に辛いときはありました。でも、気持ちのうえでは充実していましたね。担当者は顧客に対する責任の全てを負いますが、私はむしろそこにやりがいを感じていたんです」
クライアントは数百人規模の中小企業から個人の発明家まで、特許のジャンルも化学の専門知識が必要なものから、紙おむつなどの生活用品や飲料、自動車など非常に幅広いものでした。こうしたバラエティに富んだ仕事が、彼の知的好奇心を掻き立てたのです。

新山 「新しい発明は、どんな分野のものでも興味深いんです。その“新しさ”のレベルが違いますからね。イチ消費者として、これが社会に広まったらいいのに……と思うものも多く、ワクワクしました。こうして、今までの世の中になかった商品やサービスにいち早く触れることができるのが、弁理士の仕事の醍醐味のひとつだと思いますね」
そしてさらに、新山の知的好奇心を刺激し続ける要因がもうひとつ。それはほかでもない、正林事務所の内部にありました。


「クライアントの事業を成功させるために」弁理士としてできること


従来の弁理士の仕事は、そのほとんどが申請された特許の「手続き業務」でした。すなわち、特許の申請が通れば役割を終え、その時点で成果報酬を得る、というものです。しかし近年、当事務所では「知的財産を活かす」という視点のもと、さまざまな新規事業を立ち上げてきました。

たとえば、企業同士のM&A(合併買収)が行なわれる際、双方の特許権をベースとして、より相乗効果が見込める技術を探る。特定の商品分野における各企業のポジションを、商標出願・更新状況から分析する……。こうした新サービスによって、弁理士の活躍の場を広げているのです。新山は、こうした事務所の取り組みに刺激を受けているといいます。

新山 「正林事務所では、ほぼ毎年のように新しいサービスが次々と生み出されるので、ほんとうに退屈しません。私が11年間この事務所で働き続けている理由のひとつは、そこにあると思います。新しい仕事を、みんなでイチから作り上げていくプロセスは楽しいですよ」
その根本にあるのは、所長である正林真之のイノベーティブな気質と、彼の精神を受け継ぐ事務所のメンバー全員が、新しいことに挑戦しようとする姿勢です。たとえひとつの事業が成功しても、そこに安住せずすぐに次の展開を目指すこと。そうしたサイクルが、事務所の風土として根づいているのです。

新山 「どの仕事でも共通するのは、どのような特許を通せばクライアントの事業が成功するか、それを徹底的に考えていること。決して、特許を取ることそのものが大事なのではありません。企業は、“事業に活かせるような特許”を取らなければ意味がない。そのためには、私たち弁理士が事業計画や背景を理解し、どういった特許を取るべきか提案できるかが大事です」
弁理士は手続き業務をするだけの存在ではなく、世の中の課題を解決するためにその知識を活用するべきであるーー。それが、創業以来ずっと変わらない正林事務所のスタンスです。そしてそれは、新山にもしっかり受け継がれていました。

新山 「今、私にとって一番のモチベーションになっているのは、担当したお客さまの事業が成功すること。それに尽きますね」


「ヒト・モノ・カネ」、そして「知的財産」――その重要性を伝えていきたい

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知的財産の重要性がそれなりに認知されるようになった現在、弁理士が「手続き業務」だけに留まる時代は終わりました。私たち弁理士はこれから、より高度化するクライアントのニーズに応えていかなければなりません。

こうした流れのなか、正林事務所に入所して11年を迎える新山は、ある課題を感じていました。

知的財産の管理は、本来であれば企業の事業計画を知る人、技術を深く知る人、そして弁理士が同じ席についてディスカッションをしながら慎重に進めるべきこと。ところが、複雑であるがゆえに企業内で特定の部署に任せきりになってしまったり、経営層がその重要性を理解しきれていなかったり……というケースもまだまだ多いのが現状です。

新山 「知的財産というものは、そもそも非常に複雑でわかりにくいんです。それこそ私たちのような業界関係者であっても、100%理解しているとは言い切れないくらいに……。だからこそ、知的財産がどう事業と関わっていくのか、専門家以外にも簡単にわかってもらえるように説明しなければいけない。それは我々弁理士が果たさなければいけない説明責任である、と」
今後自分が取り組むべき課題を目の前にして、彼はまさに今が、自分にとってのターニングポイントになると感じています。

新山 「一般的に、事業に必要なものは『ヒト・モノ・カネ』といいますが、そこに『知的財産権』を加えたいですね。それほど企業にとっては重要なものなんです。だからこそ私は弁理士として、知的財産について正しく理解してもらうための仕組みを作りたい。理解が深まれば適切な活用が可能になり、多くの企業がさらに発展するための力になるはずですから」
20代でこの道を志し、正林事務所の門を叩いた新山。知的財産の活用によってクライアントの事業を成功に導く――。そうした強い使命感を胸に、これからも弁理士として走り続けていくのでしょう。その挑戦は、まだまだはじまったばかりです。