交換留学で来日後、東京という街の魅力に惹かれて日本で働くことを決意

article image 1
▲大学院時代、学校の代表の一人としてJapan Tent留学生国際シンポジウムに参加

中国の福建省に生まれた王。幼少期から日本のゲームやマンガが大好きで、日本という国にも自然に興味を持ったと言います。

王 「上海の大学では日本語を専攻し、3、4年次に日本との交換留学プログラムに参加するため来日しました。九州の大学で経済学を学んだ後、関東にある大学院の国際地域研究科・日本語学科に進学。そのときは、日本語を本格的に勉強し、将来は中国に帰って日本語教師になろうと考えていました」

 しかし、その考えは徐々に変化していきます。

王 「実際に勉強を進めていくと、なんか違うな……という感覚が生まれて。もちろん日本語を学ぶのは楽しかったのですが、それを人に教える職業に就くのは、本当に自分に合っているのか、やりたいことなのか、という迷いが出てきたのです。

そこで、もっと別の分野も学んでみようと東京にある別の大学院に移り、マーケティング理論を専攻。ここでの勉強は楽しかったですし、なによりも東京という街が魅力的でしたね。暮らすのに便利ですし、少し足を延ばせば自然もある。山登りやスノーボードなどのアウトドアにはまって、中国ではなかなかできない経験をたくさんしました」

王にとって東京の街は、今まで暮らしてきたどの都市よりも快適でした。中国に戻らず、ずっと東京で暮らしていこう──そう決意した王は、就職活動を始めます。

入社の決め手は社員の人柄の良さ。庶務業務を中心に国内外で活躍

article image 2
▲若手時代、建築事業本部総務部の一員として江戸三大祭の一つの山王祭に参加

就職活動を開始した当初は、小売やIT、メーカーなど、幅広い業界を見ていたと言う王。しかし、次第に興味は製鉄業や重工業、ゼネコンへと傾きます。

王 「スケールの大きい仕事に、魅力を感じました。最終的にゼネコンに絞って企業を探していたとき、清水建設からオファーをもらいました。さっそくリクルーターの方にお会いしたのですが、とにかく人柄が良かったのです。エントリーシートの書き方から面接への臨み方まで細かく教えてくれて、志望動機の伝え方まで一緒に考えてくれたこともありました。

清水建設にはここまで親身になってくれる温かい人がいるのか、こんな先輩と一緒に仕事をしたいなと思ったので、入社しました」

2012年に入社してからは、建築事業本部での庶務や、本社経理部での決算業務を担当した王。2016年からはシンガポール営業所に駐在し主に総務や人事、経理などの管理部門で行う事務及びサポート業務全般を担った後、2019年にはフィリピンのマニラ営業所へ。マニラ地下鉄建設プロジェクトの立ち上げに携わりました。

その後、コロナ禍を機に帰国すると、会社の中で最も大きな組織である建築総本部に配属となり、2023年3月現在に至ります。

王 「現在の主な仕事は、建築企画室の業務全般がスムーズに運用するようにサポートすること。会議の案内を出したり会場を設営したり、議事録や資料作成したり。また、フリーアドレス推進チーム、BCP訓練の建築対策本部、建築総本部の表彰の事務局も担っています」

念願のスケールの大きな仕事──マニラ地下鉄建設プロジェクトに立ち上げから参画

article image 3
▲海外駐在(フィリピン)時代、着任早々にマニラ市内を“視察”

入社以来、幅広い経験を積んできた王。中でも最も印象に残っているのは、マニラ営業所での経験です。

王 「マニラ初の地下鉄をつくるという、巨大な土木プロジェクトに初期段階から加わり、現場事務所を立ち上げるという役割を担いました。入社してから一番大きな仕事でしたし、一番達成感のあった仕事だったと思っています。

大変なことはたくさんありましたが、特に苦戦したのは人財探しですね。最初はスタッフが誰もいない状況だったので、求人広告を出して、面接をして、なんとか人事、経理、総務に配置する人財を揃えました。

でも、採用できたと思ったら数日で辞められてしまうことも多くて。初めのうちは、とにかく人が足りないので、マニラ営業所の力も借りつつギリギリで業務を回しました。ただ、面接を繰り返すうちに、徐々に人を見る目が養われてきました。時間はかかりましたが、良い人財が揃い、理想的なチームを作ることができました」

ゼロから立ち上げた現場事務所は、1年半後に王が帰国するころには、エンジニアも含めると100人以上の大規模な組織に。

王 「初めて部下を持ったのも、このときでした。7、8人の部下ができ、自分が上に立ってチームをリードしていく、マネジメントしていくという経験をしました。彼ら彼女らの力になれるようにという想いで、働きやすさやコミュニケーションのとりやすさにはこだわりましたね。自身のキャリアアップになったと思っています」

一方で、これまでのキャリアの中で苦しかった時期を聞くと、王は迷わず経理時代を挙げます。

王 「入社して4年目の頃、本社経理部門に配属されました。毎日数字を整理する仕事が私にはまったく向いていなくて、非常につらかったのを今でも鮮明に覚えています。数字にひたすら向き合うということに、楽しさを見出せなかったかもしれません。つらすぎて、職場で涙を流してしまったこともありました。

正直、会社を辞めるという選択肢も頭によぎりましたが、そこは先輩やリクルーターに励ましてもらって、踏みとどまることができました。本社経理部の方たちは本当に優しい人ばかりだったので、みなさんに支えられながら1年半をなんとか乗り切ったかたちです

このとき改めて、就活でも感じた“社員の人柄の良さ”を再認識しました。この会社の人たちは、困っている人がいたら自然に助けてくれる親身で優しい人ばかり。人柄こそ清水建設の最大の魅力だと、個人的には思っています」

ダイバーシティは、まだ道半ば。みんなが自分の個性を出せる風土を作りたい

article image 4
▲現在、建築総本部の企画部門で日々自分磨き

清水建設では、社内のダイバーシティを鋭意推進しています。外国出身者である王は、当社のダイバーシティについてどのように感じているのでしょうか。

王 「シンガポールやマニラに駐在していたときは、多様性あふれるスタッフたちと一つのチームを組んでいました。国籍で言えば現地の人や日本人だけでなく、他のアジア人、欧米人もいて、オープンな環境でとても働きやすかったです。中国語や英語を使いながら、いろいろな人とコミュニケーションをとれたことにも楽しさを感じましたね。

それと比較すると、日本の本社のダイバーシティは、まさにこれから進んでいくフェーズ。いろんな国や地域の人財を採用していくことは、多様性を生む一つのきっかけになるでしょうし、そのためにいろいろな言語の勉強会を社内で開催するのもいいかもしれませんね」

その一方で、外国出身者として日本企業で働く上での葛藤をこうも語ります。

王 「思い返してみると、私は早く会社に馴染もうとするあまり、周りの日本人社員に合わせ過ぎてしまっていたのかもしれません。いわゆる“空気を読む”とか、立場が上の人の意見にそのまま頷くとか、そういう日本特有のやり方に染まってきた部分があります。

真のダイバーシティを進めていくには、その人らしさをそのまま受け入れる組織になる必要があると考えているので、今後入社する方たちには自分の個性をどんどん出してもらえたらいいなと思っています。

外国人であれば、日本の文化や日本企業のことを理解しながらも、自分のカラーを大事にしてほしいです。それが、個人にとっても会社にとってもプラスになるはずです」

最後に王は、今後の自身のキャリアについて次のように語ります。

王 「現在、入社して10年ですが、これまでのキャリアでは、総務系の仕事をメインにいろいろな部署を支えてきました。次のステージとしては、人を支えるだけでなく、自分自身がもう一歩前に出ていきたいです。

サポートという立場は決して嫌いではありませんが、自分で直接事業に参加した方がやりがいは大きいと思いますし、会社の利益にも直接貢献できるのではないかと思っています。 実は入社してからずっと希望を出している部門が投資開発本部。海外向けの投資事業に関わって、語学力など自分の長所を活かして働いてみたいと思っています。この夢は、近い将来ぜひ叶えたいですね」

グローバルかつさまざまな業務で周囲を支えてきた王。今後は自身の夢を実現するために、もう一歩前へ踏み出す覚悟です。