起業に至った原体験──シリコンバレーでの出会い

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▲シリコンバレーの中心都市、San Jose市の街並み

「世界に通用するデジタルマーケティング人材」とは、sembear合同会社を創業する前の、私の副業時代から変わらないテーマです。このテーマは、シリコンバレーで開催されたデジタルマーケティングのカンファレンスに出席したことが、すべての発端でした。

2003年8月、当時勤務していた会社からの指示で、まだ無名に近かったSEM(検索エンジンマーケティング)のカンファレンスに派遣されることになりました。英語スキルが未熟で、コミュニケーションがとれるほどの能力があったわけではありませんが「ダメでもともと」の精神でいろいろな人に声をかけ、米国での最先端事例を追いかけようとしていたことを覚えています。それでも、やはり語学の壁は高くて厚く、到着して二日目でもう心が何回もへし折られる劣等感と敗北感にさいなまれていました。

そんな挫折を味わっているさなか、一人カンファレンス会場の中庭でリフレッシュをしていると、とある外国人が近寄ってきたのです。彼はおもむろに「煙草に火をつけたいのだけどライターあるかな?」と話しかけてきました。今振り返れば私のデジタルマーケティングのキャリアは、このたばこ休憩から始まったと言っても過言ではありません。

彼はシリコンバレーでも注目されていた、インターネット広告をアルゴリズムにより自動的に最適化するSaaSの営業責任者でした。お互いの名刺を交換して、お互いのバックグラウンドなどを語るうちに、自然と「ネット広告青空教室」が始まったのです。シリコンバレーの空の下 、まだインターネット広告業界に身を置いて日が浅い素人同然の私に対して、彼は広告運用の基本的な考え方や専門用語を解説し、私のつたない英語とつたない知識からくるつたない質問すらすべて受け入れてくれました。

彼の青空教室のおかげもあって、カンファレンスが終わるころには事例の詳細を理解し、当時の日本において自分がどのようなことに取り組めばいいのかを解像度高く理解することができました。あのシリコンバレーでの一週間がなければ、私は「世界」を意識することはなかったでしょう。「世界」と仕事をする上で必要なことは語学や知識や人脈ではなく、行動力と情熱である、と心に刻まれた瞬間でした。

個人事業から法人へ転換──会社としての成長が実感できた瞬間

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▲TapClicks本社にて

シリコンバレーでの原体験から10年が経った2013年。私は当時世界でも最大手だった広告の自動最適化ツール、Kenshooのアジア太平洋地域のバイスプレジデントとして、アジア太平洋地域のさまざまな国のスタッフと働いていました。香港に軸足を移しながら日本でも仕事をする生活の中で、日本の広告代理店から「人材育成」についての相談を受け始めたのもこのころです。

とくに検索連動型広告において、日本語は非常に異質な言語です。一つの文に「ひらがな」「かたかな」「アルファベット」「漢字」という異なる文字が存在しうる日本語という言語では検索キーワードのバリエーションの豊富さから、日本の広告運用は諸外国のそれと比べて、どうしても労働集約になりがちで運用負荷が高まる傾向がありました。私はアジア太平洋地域の広告運用をマネジメントするかたわら、日本の広告代理店の生産性について、一つの壁を感じ始めていました。それは「技術」を使うことそのものが「目的」となり、「人間の想像力」を最大限に開放するための「手段」になっていないことでした。

技術は本来、それ自体で活用できるものではありません。「技術」はなにかしらの「目的」を解決するための手段であるはずです。しかしながら、多くのケースで「技術の導入」自体が目的化してしまうことが多く、本来人間の生産性を向上させるはずの技術が逆に足かせになってしまうことが珍しくありません。

なんとかしたいという気持ちから、「広告代理店の人材育成」を中核とする自分の事業「sembear」をスタートさせました。2013年からスタートしたこの「広告代理店の人材育成」は2019年には、当時YTM/Yahoo!DMPのインフラを開発していたシカゴを本社とするSIGNAL社を退任するまで「個人事業」として展開をしていました。そして2020年1月、単なる個人事業だった「sembear」を「sembear合同会社」に法人化し、自らの事業として本格展開していくことになります。

もともと個人事業として展開していた研修については、多くの広告代理店さんから引き合いもあり、研修コンテンツとしての品質も十分に高いものを提供できている自負もありましたが、それでも日本の広告運用が諸外国と比べたときに「労働集約」であることは変わりません。研修だけでは「世界に通用するデジタルマーケティング人材」の育成の実現が難しいと悩んでいたある日、転機が訪れます。それが米TapClicks社との出会いでした。

米TapClicks社はアメリカの広告代理店向けに運用負荷、とくにレポーティング稼働を削減するSaaSを提供している会社です。そしてTapClicksのプロダクト開発責任者が元Kenshooの同僚であり、営業責任者が元SIGNALの同僚だったんです。その両名が「日本で展開するならsembearだ」と信頼してくれていたこと、そしてsembear合同会社という会社が「広告代理店の人材育成」を実施していることによる相乗効果など、当社とTapClicksの事業提携交渉はすさまじい勢いで進展していきました。

そして2020年11月にはTapClicksの日本向け展開を開始、翌年には利用代理店、広告主の数も順調に増え、TapClicksのプロダクト自体にも日本向けの機能拡充を実現するなど大きく事業を進展させることに成功します。何より、この提携は自分のみならず、当社従業員にとっても「世界で通用する会社」であることを実感できる取り組みになったことは言うまでもありません。

広告代理店向けの人材育成からの地方自治体のデジタル化へ

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▲栃木県庁デジタル戦略室(当時:現在はデジタル戦略課)の皆さん

sembear合同会社は「広告代理店」を陰ながらサポートをする会社、いわゆる「デジタルマーケティングのプロフェッショナル向け」の会社として当初はスタートをしていました。それと同時に2023年2月現在、大きな軸に育ちつつある事業があります。それが「地方自治体のデジタル化支援」です。 

大きな転機になったのが、栃木県庁で実施した研修でした。2020年8月に栃木県庁デジタル戦略室から「デジタルシフト研究会」の講師依頼を受け、大手広告代理店でも実施している研修コンテンツについて、言葉遣いや表現を県庁職員向けに変更し、「プロ向け」とほぼ同等の内容で研修を実施しました。参加された方はもちろん、実施した当社としても非常に納得感のある研修を提供できたという確信を持つことができました。 

この研修をきっかけに、栃木県を中心とした「地方自治体向け」のサービスを構築することとなります。地方自治体におけるデジタル活用はまだまだ進んでいるとは言い難い状況の中、「デジタル人材の育成」について、今まで取り組んできた 「プロフェッショナル向けの人材育成」のノウハウを活用できたことは大きな発見でした。

同時にsembear合同会社は、非常に独特な立ち位置にいることもプラスに作用しました。あらゆる広告媒体、ツール事業者、広告代理店に対して公平な立場であるにも関わらず、ノウハウについては一線級のスタッフがいるので、中立性が必要とされる自治体・行政のデジタル化についてのコンサルティングやアドバイザリーと言われるサービスと親和性が高かったのです。

結果として、今では栃木県庁だけではなく、宇都宮市や真岡市といった栃木県の各自治体、そして栃木県外の自治体からも声がかかる状況になってきました。

「世界に通用するデジタルマーケティング人材」の育成

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▲sembear合同会社ロゴ

創業から今までを振り返ってみましたが、やはりsembear合同会社は常に「世界に通用するデジタルマーケティング人材の育成」をテーマにしていますし、今後も変わらないでしょう。

「デジタルマーケティングのプロ」である広告代理店であろうと「これからデジタルに取り組む」地方自治体あろうと、当社は「世界水準」のノウハウを惜しみなく伝え、そして実践する環境を作るお手伝いをしてきましたし、これからもしていきます。

かつてシリコンバレーで経験したたばこ休憩に端を発し、初めて会った人から「ネット広告青空教室」で多くを学び、世界に通じる扉を開けることができたように、多くの「デジタルマーケティングをやっている人」の背中を押し、そして世界への扉を開ける会社であり続けたいと思っています。