問題を「自分ごと」として捉えるための「対話」
“誰一人取り残さない”キャンパス実現に向けて、ダイバーシティ共創センターでは、学生・教職員だけでなく、学内外を問わず多様な方々と協力して課題解決や価値創造を行う「共創」を大切にしています。
共創の過程では、お互いがどのような価値観を持っているのか、どのような興味や課題意識を持っているのかなどを理解するための「対話」がとても大切です。
私は、共創を進めるための全体プロセスを設計したり、一つひとつの対話の場を設計してファシリテーションをしたり、対話から生まれたアイデアをどのように実行していけばよいか参加者と共に考え、支援したりしています。
私が所属する株式会社フューチャーセッションズは、社会や組織のさまざまな問題や課題に対して、異なる立場の多様な人々を招き入れた共創的な対話の場「フューチャーセッション」を通じて、新たな未来を共に創造することをめざしています。
私がフューチャーセッションを知ったのは働き始めてから数年経ったときのこと。学生のころから私は、貧困や格差などの社会問題に関心があって、「どうしたら地球上の一人ひとりが社会問題に対して当事者意識を持ち、より良い社会のため一緒に解決に向かって取り組めるのだろう」と考えていました。
偶然、フューチャーセッションズの創業者である野村の著書『フューチャーセンターをつくろう』を読んで、自分の疑問に対する答えが一つ見つかったような気がしました。「課題解決のためのアクションを生み出す場をつくる仕事があるんだ!」と感動したのですが、そのときはまさか自分がフューチャーセッションズで仕事をすることになるとは夢にも思っていませんでした。
私は「より良い社会を実現するために『人』を通じたアプローチがあるのではないか」と考え、大学卒業後は、企業研修の会社に就職しました。勤め始めて5年が間近に迫るころ、「これから自分はどんなことをやりたいだろう?」と次の道を探していたときに、ちょうどフューチャーセッションズが人材を募集していることを知り、縁あって今の仕事に就くことができました。
海外で強く感じたのは相手との「違い」よりも「同じ」という意識だった
私が社会問題に関心を持つようになったのは、海外での経験がきっかけです。私は小学生のとき、両親の仕事の都合でカナダに1年間ほど住んでいたことがありました。
小学校高学年だった私は、日本で毎日楽しい生活を送っていたので、「カナダに行くよ」と親に言われてもまったく乗り気ではありませんでした。いざ、転校してみても、英語はまったく話せないし、偶然同じ学校にいた日本人の友達と毎日日本語を話しているばかりで、半年間クラスにもなじめないままでした。
ところがあるとき、「せっかくカナダに来たのに、現地のお友達をつくらないの?」と両親に言われて。勇気を出して自分から周囲の子に話しかけてみたら少しずつ友達ができました。そのことがとても嬉しかったのですが、気づいたころにはもう日本に帰国する時期になっていて、「もっと友達をつくればよかったな」という想いを残してカナダを去ることになってしまいました。
「もっと英語を話せるようになって、異国での生活や文化になじみ、友達もつくりたかった」という想いが、心のどこかでずっとあったのだと思います。今度こそリベンジだ、そんな想いを胸に高校生になった私は再びカナダへ留学することに決めました。
留学先のケベック州はフランス語が公用語で、私はフランス語を話すホストファミリーのもとにステイしながら、学校に通うことになりました。それまでは「海外=英語」というイメージだったのですが、それだけではないことに気づきました。
また、同じ留学支援団体を通じて留学してきたヨーロッパやアジア、南米など世界中からの留学生との出会いも心に残っています。みんな母国語はバラバラで、国籍も育った環境もまったく違いますが、カナダという異国の地で1年間頑張っているのは同じ。お互いにとって異国語であるフランス語を通じて、世界中の人と心を通わせることができたという体験は私にとって大きなインパクトを与え、自身の世界を一気に広げてくれました。
海外の友達ができて、文化の違いを感じることもありました。たとえば、南米の子たちは「踊る文化」で、音楽の流れる場所では自然と踊り出します。自分は人前で踊ることに少し恥ずかしい気持ちもあったので、彼ら、彼女らの自然な姿には驚きました。
でも、海外に身を置いてみて私が最も強く感じたことは、出会った人々と自分は「同じ」であるということでした。「国籍も育ちも違うけれど、今はカナダという新しい世界で挑戦をしている仲間」という感覚です。
多様性に触れる経験が「自分ごと」の範囲を広げる
「留学先で出会った世界中の人々も、自分と『同じ』である」。この感覚は、私の社会に対する意識も大きく変えました。
それまでの私にとって世界で起きているさまざまな問題は、あまりピンとくるものではありませんでした。中学のころは、「どこどこの国の子どもたちの学校を建てるために寄付をしましょう」と学校で声をかけられて寄付をしてみても、あまり現実味もなく、「100円あれば部活の終わりにパンが買えたのにな」と余計なことを考えてしまう始末でした。
ところが、海外に行って多様な国の人々に出会ったことをきっかけに、世界中の戦争や貧困、悲しいニュースに触れたとき、「私が仲良くなったあの子の国で同じことが起きたとしたら」と考えるようになりました。そのようなニュースに悲しみや痛みを感じ、何とかできないかな、と自分ごととして世界の問題を捉え始めている自分がいました。
自分にとって他人ごとだった話が、ふとしたきっかけで自分と地続きの問題になる。みんなが「今は自分には関係ない」と思っていることも、きっかけ一つで自分ごとになるかもしれない。そのようなきっかけがあれば、より良い社会をつくるためにより多くの人が共創できるのではないかと考えるようになりました。
このような経験から、対話の中ではお互いの違いを受けとめると同時に、何か共通する点や共感できる体験を探すことも、私はとても大切だと感じています。「ダイバーシティ共創」の取り組みが始まった当初は、センターの役割の認識も、“誰一人取り残さない”キャンパスのイメージもみんなバラバラの状態。
でも、誰かが正しい答えを持っており、その人に聞けば解決するというわけではありません。だからこそ、対話にしっかりと時間をかけて“誰一人取り残さない”キャンパスのビジョンを一緒に描いたり、ときにはクリスマスパーティや運動会など、感情を共有する体験を盛り込んだりすることで、参加者同士の関係性をつくっています。そして、対話の中から6つの「共創アクション」が生まれ、実行に取り組んでいるところです。
今までいろいろな場でフューチャーセッションを行ってきましたが、流通経済大学の「ダイバーシティ共創」に関わる皆さんからとくに感じるのは「力強さ」です。参加している全員が「取り残される」ということに関して、自分と地続きの問題として捉え、取り組んでいると感じています。
また、立場や価値観を越えたフラットな関係性のもと、安心して新しいことに挑戦できる「ダイバーシティ共創」の環境に価値を感じてくれているようにも思います。そして、自分が「ダイバーシティ共創」で体験したことを他の人にも広げられないかと一生懸命に考えるピュアな気持ちや姿勢には力をもらいますし、センターの大きな強みになっていると感じます。
「取り残された」と言えずにいる人が少しでも救われる対話の場にしたい
私自身、カナダに転校や留学をして、言葉がわからないために自分の意思をうまく伝えられず、みんなの輪に入っていけなくて「取り残された」ように感じたこともありました。新しい環境になじむことに毎日精一杯で、自分一人で頑張っていると思っていました。でも、当時を振り返ると、私の周りには常に寄り添ってくれる人がいました。
小学校のときは、家に帰れば家族が「今日は学校どうだった?」と話を聞いてくれましたし、留学時は、ホストファミリーが片言のフランス語で語る私の話をいつも楽しそうに聞いてくれました。ホストファミリーは、異国から来た私のことをいつも「自分たちの娘」と呼んでくれて、本当に温かく家族に迎えてくれました。そう考えると、自分は取り残されていなかったとも思うし、「取り残されそうになった」と語るのも大袈裟なんじゃないか、とも思います。
一方で、私が感じたように「こんなことで『取り残された』なんて言ってはいけない、自分で頑張らなきゃいけないんだ」と声を上げられない人もいるかもしれません。そういう方々にとって、「対話」が取り残されたと感じた痛みに寄り添ったり、自分を支える誰かの存在に気づくきっかけになったりすることを願っています。
流通経済大学がめざす“誰一人取り残さない” キャンパスを、センターやどこかの組織が「提供してくれるのを待つ」のではなく、大学に関わる一人ひとりが「自分ごと」として参画・共創することができたら、本当にすばらしいと思います。
社会的孤独や孤立が社会的に大きな問題となっており、内閣府も取り組んでいます。ダイバーシティ共創センターの取り組みは答えがないからこそ、悩むこともたくさんありますが、その分新しい未来が待っていると信じています。私自身も、共創を通じてどのような知見を発見できるか、ワクワクしながら一緒に試行錯誤しています。