海外でのインターンシップを経験。世界中の人々との出会いを通じて変化した価値観

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▲インターンシップ中に過ごしていた寮生活での1枚。仕事終わりに、各国から参加した同僚とポットラックパーティーを開いたりしていました!

物心がついた時からピアノを弾いていたという佐藤。10代のころはいつかバンドサポートとして演奏することが夢だったと話します。

「誰とでも打ち解けられる性格の子どもだったのですが、自分の感情を表に出すことがなぜか苦手で。両親には『話すよりピアノの音色を聴くほうが感情を理解できる』と言われていたほどでした。いつしかバンドのバックでピアノを演奏したいと思うようになり、高校も大学附属で芸術関連学部がある学校に進学。吹奏楽部に入部し、コンクールでの入賞をめざして日々練習に励んでいました」

しかし、高校2〜3年次のピアノ・吹奏楽のコンクールがきっかけで、佐藤は将来の夢を考え直すようになります。

「ピアノ連弾で東京都の大会に出場した時、自分たちのレベルなら入賞は確実だと思っていたのですが、開始1秒で私がミスをしてしまって……。さらに吹奏楽部として最後のコンクールでも、今までで一番良い演奏ができたと思ったものの、課題曲・自由曲を合わせた全体の時間指定を3秒オーバーしてしまったことで失格になったんです。

どれだけ努力しても、努力ではコントロールできないほんの些細なミスで結果が左右される現実を知り、自分は音楽の道には縁がないのかもしれない、諦めたほうがいいのだと考えるようになりました」

それでも文化や芸術など、少しでも音楽に関連性のある分野に進みたいと考えた佐藤は、1年間の浪人生活を経て、異文化コミュニケーションを学ぶ国際系の学部に進学。そこで経験したアメリカ・フロリダ州でのインターンシップが、佐藤の価値観を大きく変えます。

「私がインターンシップに参加したのは、2011年の7月。東日本大震災からまだ数カ月しか経っていないタイミングでした。仕事の内容は、有名テーマパーク内のレストランやキャラクターショップでの接客で、世界中から訪れる観光客をもてなしました。

観光客の中には、東日本大震災についてまったく事実と異なる認識をしていたり、誤ったニュースを鵜呑みにしている方もいたり。自分が思っていたイメージとは違い、遠い国では日本の実情は全然知られていないことに驚きました。一方で、日本から比較的距離の近い韓国・中国・東南アジアの方々は、被害の実情をよく知っていてとても親切にしてくれたんです」

そうした経験を通じて思ったのは、知る深さが心の近さと比例しているということ。職場の仲間は国籍も多様で、LGBTQの人もいれば、雇用形態もさまざまです。先入観を持たずに、お互いの考えやバックグラウンドをきちんと理解すれば、友達になることができる。そんなことを、身をもって学んだ経験でした。

MICE事業を手掛ける会社に入社。会議の運営を通じて芽生えた、集客への興味

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▲ワイナピチュの山頂でバックパッカーの方々と出会い、視野が広がりました

インターンシップを通じて、多様な価値観に触れた佐藤。その経験は、就職活動にも影響を与えました。

「インターンシップ中、休暇を利用してペルーを旅したのですが、そこでもさまざまな出会いがありました。東日本大震災を経てキャリアを考え直し、医学部に入り直した人や、バイヤーとして土地本来の魅力を伝えるため、転々と旅をしている人など……。

そういう人たちと接して感じたのは、さまざまな考え・選択があっていいんだということです。対話を通じて、世間体ではなく自分がどうしたいかを掘り下げていく中で、日本のホスピタリティを表現するような仕事がしたいと考えるようになりました」

帰国した佐藤は、旅行代理店などを中心に就職活動を展開。いろいろな企業を見ていく中で、MICE事業に興味を持ち始めます。

「初めてMICEという言葉を知り、国際会議などの運営に携わる仕事は自分の志向に合っていると感じました。それでMICE事業を手掛ける会社を受けたのですが、最終面接で自分の意見を素直に語るうちに、当時の社長と議論が白熱。最後は論争のような感じになってしまったので、内定は諦めていました。

でも翌日、『ぜひうちで働いてほしい』と連絡があったんです。予想外の結果でしたが、ありのままの自分を出せた会社で働くことに決めました」

入社後、佐藤は国際営業部と通訳部を兼務。通訳コーディネーターとしての仕事をメインに、国際会議などの運営に携わりました。

「医学会などの学術集会や、各国大臣が参加する会合などの国際会議、メーカー・大使館主催の展示会の運営を担いながら、通訳コーディネーターとして会議に参加する人たちの言語コミュニケーションをサポートしていました。

仕事をするうちに考えるようになったのは、会議という“場”にもっと人を集めるにはどうすれば良いのかということ。運営の前に前提として、集客を成功させることが大事だと思うようになったんです」

そんな折、ある外部ディレクターとの出会いが、佐藤のキャリアを新たな方向へと導きます。

「その方がおっしゃったのは、MICE事業の認知を高めて人が集まる場所を増やしたくても、現場はまだまだアナログで、SNSなどを使った情報発信のノウハウがないということ。そして私がデジタルマーケティングの知見を習得すれば、この会社でもっと良い仕事ができる可能性があるということでした。

そこで思い切って会社に、いったん外で修業がしたいと伝え、3年間の約束でデジタルマーケティングを専業とする広告代理店で経験を積むことにしたんです」

広告代理店で培った集客のスキルを活かし、会社という“場”の周知を図る仕事へ

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▲新卒入社の同期と、10年に1度日本で開催される金融関連の大型国際会議に携わる。お互いの成長を同じ現場で感じ合えた、思い出に残る案件の1つです

広告代理店で佐藤は、営業から運用・分析まで、一気通貫でデジタルマーケティングの支援を経験。ターゲットに合ったメディアを選定し、目標の設定から効果の測定、数値分析に基づく施策の提案に携わりました。

「広告代理店で私を育ててくれた先輩から教わったのは、『絶対に無理やり売ってはならない』ということです。とくにそのことを経験として学んだのが、ある女性向け商品を担当した時のこと。その商品は、社長の友人が、抗がん剤治療の副作用に悩んでいたことから開発されたものでした。開発の背景や社長の想いに胸を打たれ、ぜひ同じ悩みを持つ方にこの商品の存在を知ってほしいと思いました。

どうすれば届けたい人に届けられるか。それを徹底的に考えて、上流工程から下流工程までクライアントに伴走。開発した人や使う人の想いに寄り添いながらソリューションを提案でき、自分が考える『良い仕事』ができたと思いました」

指導してくれる先輩方にも恵まれ、順調にデジタルマーケティングの知見を積んでいった佐藤。会社からチーフリーダーへの昇進を打診されます。

「昇進の話はありがたかったのですが、承諾すべきか悩んでいる自分がいて……。理由のひとつは、3年間の約束で離れた1社目に対する強い想いがあったからです。戻ることも考えたのですが、コロナ禍を経て会社自体も以前とは変わってしまった状況。自分は1社目でどういう仕事がしたかったのか。それをあらためて考えたときに、人が集まって、会話が広がり、新たな価値が生まれる“場”が好きだということ。

そして、そういう“場”の存在をもっと知ってもらうための、役に立ちたいということです。そんな考えにたどりついたとき、偶然出会ったのがPR Tableでした。多種多様な会社があって、その魅力やカルチャーを発信する『talentbook』というメディア・プラットフォームを運営している。会社も一つの“場”だと考えると、自分がやりたいことと合致すると思いました」

そして佐藤は、PR Tableのストラテジックプランナー職に応募。新設されたポジションだというのも、魅力的だったと語ります。

「これまでの私は、ロールモデルとなる先輩方がたくさんいて、良くも悪くもその先輩方の真似をしてスキルを身につけてきました。だから先輩方に近づくにはどうすれば良いかばかりを考えて、自分がどうしたいかをあまり考えたことがなかったんです。

そんな中、最終面接で『新設ポジションだからフローター的に動かないといけないけれど、そういう生活を望んでいますか?』と尋ねられたんです。この会社に入社したら、今までの自分とは違う、想像もできないような自分になれる。そう直感的にワクワクして、PR Tableへの入社を決めました」

メンバーをつなぐ起点となり、多様なプロの力を掛け合わせて新しい価値を創出したい

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▲前職退職日に開いていただいたお別れ会にて。大好きな先輩と、頼りになる同僚に囲まれ、照れている自分(笑)。前職で過ごした時間も、大切な財産です

2023年5月、佐藤はPR Tableに入社。既存顧客の営業担当と協力し、戦略策定や資料作成などの提案をサポートしています。

「サービスの充実と拡大をめざし、サイト制作の提案サポートも行っています。クライアントと直接コミュニケーションを取るのは営業担当なので、営業の想いをしっかりと汲み取ることを意識しながら、その先にいるクライアントの課題解決に取り組んでいます。入社から5カ月が経ちましたが、最終面接で言われたとおり、仕事の内容がどんどん変わっていっているのでとても刺激的です」

PR Tableに入社したことで変わったこと、そして変わらないことがあると、佐藤は語ります。

「これまでは生活のすべてが仕事でしたが、フルリモートになったことで時間の融通が利くようになり、プライベートも大切にするようになりました。あと新設ポジションということでロールモデルがいない分、自分がどうしたいか、どうなりたいかを考えるようになったことも大きな変化だと言えます。

その中でも変わらないのは、『良い仕事をする』の定義です。私が思う『良い仕事』とは、関わったすべての人が笑顔になれる仕事です。チームで話し合い、みんなが心から納得した提案で、クライアントに満足してもらい、talentbookのユーザーにも喜んでもらう。そういう仕事が自分は好きだし、それをPR Tableでも実現できていると感じます」

自社サービスだからこその、プランニングのおもしろさがあると言う佐藤。これからチャレンジしてみたいことがたくさんあると語ります。

「デジタルマーケティングを成功させるには、コンテンツの力が欠かせないと思っています。PR Tableには、採用広報のプロはもちろん、記事作成・編集や動画制作、デザインのプロもいます。そうしたプロの力を掛け合わせることで、実現できるクリエイティブは無限にあるはずです。

今後はストラテジックプランナーとして、私が起点となりメンバーをつないでいきたいと考えています。そしてtalentbookという自社が持つメディア・プラットフォームで、新しい価値を生み出していきたいです」

誰かの真似ではなく、自分が考える「良い仕事」を追求していくために。PR Table初のストラテジックプランナーとして、佐藤は新たな道を歩み続けます。

※ 記載内容は2023年11月時点のものです