人と関わる喜びや楽しさは、やがて“顧客満足”という発想に
チャレンジ精神が旺盛で、チャンスがあれば迷わずつかみにいくことを信条としてきた市川。その活動的な性格は幼少期に培われたものでした。
市川 「私はふたり姉妹の長女で、小・中学生くらいまでは、学級委員や生徒会に参加するようないわゆる優等生タイプ。どの科目もまんべんなく得意で、周りの大人からは『しっかりしてるね』といわれるようなまじめなキャラクターでしたね」
学外の活動にも積極的に参加していた市川。いろんな場所へ出かけていっては、面識のない大人たちとも物怖じせず関わり、学校では経験できないことをどんどん吸収していきました。
市川 「小学生のころ、『子ども議会』に参加して自分の住む町のことを大人と考えたり、中学では、自治体のプログラムを利用して施設の中で英語だけで生活する国内留学を経験したり。 大学生になるとローターアクトクラブに加入して、企業経営者ら地域社会のリーダーたちと一緒にボランティア活動をしていました」
大学入学後は、ローターアクトクラブの活動と並行して、さまざまなアルバイトを経験。人との関わりを楽しむ中、期せずしてクライアントニーズをつかむ方法を学んでいきます。
市川 「当時、ハンバーガーカフェでアルバイトしていたんですが、接客コンテストに縁あって参加させていただいたところ、本選で優勝したんです。それまでは接客することをただ楽しんでいたのですが、CS(顧客満足)について考えるきっかけになりました。ほかにも、球場でビールを販売するアルバイトをしたこともあります。そのときは、お客様にファンになっていただくことをすごく意識してやっていましたね」
大手人材派遣企業での成長の日々と、念願だった海外赴任での葛藤
大学卒業後、市川が就職先に選んだのは、人材派遣大手のパソナでした。
市川 「大学の時に経験したボランティア活動を通じて、経営者や地域社会のリーダーたちと交流を重ねる中で、いろんな方々と関わりながら働きたいと思うようになって。公共的な課題を民間の視点から解決していく事業アプローチに共鳴したのもありますが、パソナでは、幅広い業界や企業と接する機会がある法人営業ができる点がとても魅力的に思えました」
入社後は、人材派遣の営業を担当。100〜200社程を任され、派遣求人の獲得や派遣後のフォロー営業のほか、人材に関するサービスの提供、研修や福利厚生といった課題への提案など、幅広い業務に携わります。
市川 「初めは失敗も多かったんですが、仕事に慣れるにつれて四半期での成約賞をいただくなど、徐々に成約数を伸ばせるようになって。多くの経営者の方とやりとりさせていただく中で、担当する企業の事業に興味を持ったり、お客様や企業のファンになって考えたり……。学生時代に培った心がけがすごく活きたなと思います」
そんな市川にとって、最初の転機が訪れたのは入社して2年目のこと。夏休みを利用して単身ニューヨークへ旅行をしたのです。その際、現地支店を訪ね、日本人メンバーと交流する機会を持ったことがきっかけで、海外への想いを新たにします。
市川 「大学時代から『海外で仕事をしてみたい』という気持ちがあったので、海外に多くの拠点を置いていたこともパソナを選んだ理由のひとつだったんです。ニューヨークに行ったことで、海外で活躍する日本人の方々への憧れがますます強くなりましたね」
渡米後、市川は社内公募制度を利用して、タイ法人への異動を志願。念願だった初めての海外赴任が実現します。
しかし、持ち前のチャレンジ精神で飛び込んだタイでの生活は、楽しいことばかりではありませんでした。
市川 「留学経験がなかったこともあり、言語がほとんど通じない状態から現地での生活が始まりました。タイ赴任に伴い、これまで携わっていた人材派遣営業から紹介派遣営業にキャリアチェンジしたことへの戸惑いもあって、しばらくは迷走する日々でしたね。初めのころはふと我に返って、『私なんでここにいるんだろう』と思うこともありました」
コミュニティができ、現地の日本人やタイ人のスタッフにも支えられ、ようやく現地の生活に慣れてきたのは半年ほど経ってからのこと。それでも依然として成績はあがらず、長く苦しい時期を過ごすことになります。
母としての自分も、働く自分も、同じくらい大切にしたい
スタートこそは思い描いていたような海外赴任ではありませんでしたが、帰国直前には半期分の売り上げを1カ月で達成するという好成績を収めるまでになります。そして何より、市川にとっては、現地でタイ人の就業観に触れたことが、自分のキャリアパスを描く上で大きな刺激になりました。
市川 「彼ら、彼女らは若いときから自分が成功するために必要なことを考え、はっきりした目的意識のもとで語学を学んだり、大学に再入学して転職をしたりしているんです。転職が多いことは日本ではデメリットと考えられるケースもありますが、彼ら、彼女らのおかげで、今は転職をポジティブに捉えています。『どうすれば自分が幸せになれるのか』を指標にキャリアを構築し、デザインしていく大切さを教えてもらいました」
帰国後、国内で新規事業部の法人営業に携わるようになった市川は、週4勤務を取り入れ、フリーランスの仕事にも着手するなど、さまざまな働き方を模索し始めました。
そして、結婚とふたりの子どもの出産をきっかけに、人生最大の転換期をむかえることになります。
市川 「実際に妊娠してみて初めて、自分の身体がこれまで通りではないと知ることになって……。妊娠によるマイナートラブルが多かったことから、仕事を休業することを余儀なくされてしまったんです。出産自体ももちろん大変だったんですが、その後、自分の身体が以前とは違うことを受け止め、自分らしく生きていくにはどうしたら良いか、真剣に考えるようになりました」
そして、市川が選んだのは、ふたりの子どもを育てる母としての自分と、働く自分、その両方を大切にする生き方でした。家庭を大事にしながら、同じくらい仕事をしている自分も大切にしたいと、強く思うようになります。
変わらぬ“顧客第一”の想いを胸に、新天地へ
自分らしい働き方を求めていた市川にとって、全メンバーがフルリモートで活躍するPR Tableとの出会いは、再び訪れた大きなチャンスでした。
市川 「転職先としてさまざまな選択肢があった中で、PR Tableのフルリモートの仕事には、その先にある『これまでとは違う何かにつながるんじゃないか』という期待がありました。30代をむかえ母親となった今、20代のころとは違い、なんでもかんでもつかみにいくということは難しくなりましたが、PR Tableとの出会いは、私にとってまたとないチャンスでしたね」
市川は2022年7月現在、カスタマーサクセス部に所属し、AE(アカウントエグゼクティブ)として既存顧客向けの営業を担当。ふたりの子どもを育てながらフルタイムで働けるPR Tableには、本来のパフォーマンスを発揮するための環境が整っていると話します。
市川 「『talentbook』というプロダクトをお客様にご活用いただくにあたり、コンテンツ内容や人選に関するコンサルティング、契約まわりのお手伝いをさせていただいています。
入社したてで右も左もわからないまま、フルリモートでやりとりするのに苦労はありましたが、頼りがいのあるメンバーが揃っていて助かっていますね。AEには人材派遣業出身の方がとても多く、バックグラウンドが近しい方々とともに働けることも、心理的安全につながっています」
新天地で新しい働き方を見つけた市川。学生のころから大切にしてきた“顧客第一”の考えに、今も変わりはありません。
市川 「お客様と価値観を共有できる一番のファンでありたいという想いが、自分の中に一貫してあって。人材を通じて企業や事業を成功へと導くという部分が、自分としては一番気持ちいいと思えるところなんです。
だから、タレントの想いを通じて企業や事業の魅力を引き出し、発信するお手伝いができるPR Tableのサービスには、とても共感しますね。人材派遣企業での法人営業の経験を活かし、細かなニーズをていねいに拾いながら、お客様と長く並走していけたらと思っています」
今後、市川が新たなフェーズでどのようにチャレンジ精神を発揮し、チャンスをつかんでいくのか──新たな旅がここからはじまります。