穏やかな性格を育んだ家庭環境。高校では野球、専門学校では勉強漬けの日々

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▲趣味の草野球で、バッターボックスに立つ花城

東京都渋谷区生まれの花城。沖縄出身の父と東京生まれの母との間に生を受け、3つ離れた兄、それに二卵性双生児の妹がいます。昔からずっと、互いに仲が良いといいます。

子どもの頃はテレビゲームよりも外遊びが好きで、近所の公園を駆け回り、野球に明け暮れました。こうして都会の真ん中に暮らしながらも太陽の下で体を動かし、父の故郷をルーツに持つ空手も習って心身を鍛えたと振り返ります。

花城 「温和な家族とのびのびとした環境のおかげなのか、人見知りもせず育ちました。あまり自覚はありませんが、両親からはよく『どんなことが好きなのか読めない、不思議な子だった』といわれます。物心が付いてからもとくに反抗期などはありませんでした」

野球は高校に入ってからも続け、練習や試合のため、正月や盆を除いて自由に遊んだ記憶がほとんどありません。しかし、そのハードさから3年次に肩を壊してしまい、毎週のように整形外科を訪れることになります。

花城 「整形外科に通ううちに『この仕事なら自分のように故障で悩む人を救い、再びスポーツに打ち込めるよう支えられるだろう』と考えるようになりましたね。そのために柔道整復師の国家資格を取ろうと、高校卒業後は専門学校に進みました」

資格取得に向け、入学後は高校時代の野球と同じく勉強漬けの日々になりました。そんな中での息抜きは格闘技観戦。同じクラスに数名のプロ格闘家がいて、彼らと連れ立ち、あるいは彼らが出場する試合を応戦するため、ボクシングなどを観に行ったと話します。

花城 「肝心の国家資格は、残念ながら取得できませんでした。懸命に勉強したものの、合格ラインにわずか1点足りなかったんです。学校に残って再び挑戦することも考えましたが、いつからか『どんな形でも今すぐに働きたい』という思いが強くなっていきました」

その理由のひとつとして、柔道整復師の仕事は不調の緩和方法が千差万別で、答えが一つに絞れない点が自分には不向きだったかもしれないといいます。

そして、話し好きの性格を生かせる仕事に就こうと現在の道に進むことに。これまでとは180度変わる決断でしたが、花城は「今となっては営業になって本当に良かったと実感している」と振り返ります。

専門商社でタフな心を養い、人材紹介会社で業務効率化や戦略の立て方を知る

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▲プライベートで友人と行った沖縄旅行での一コマ

PR Tableでのキャリアは短いものの、花城はすでに計4社で営業を経験しています。

花城 「その会社でしか得られない貴重な経験を積み、今の自分に生かせているので転職回数についてもポジティブにとらえています。新卒で入ったのはコピー機や電話、ルーターといったオフィス機器を扱う専門商社でした。“超”が付くほどの体育会系企業で、印象に残っている出来事が山ほどあります」

当時はコール業務がメインで、出社後の9時から18時まで、10秒ごとに目の前に表示される営業先にひたすら架電する日々。さらに、一日の通話時間目標も設定されていました。長期間にわたるイヤホンの着用で体に不調をきたしたことが転職を考えるきっかけになりました。

花城 「ハードな職場でしたが、プレッシャー下でも努力を続けていく能力が身に付きました。上司や先輩からも厳しい指導を受ける毎日だったので、良い意味で耐性ができ、メンタルもタフになりました」

そして2社目に選んだのは、ベンチャーを絵に描いたような、若手社員が台頭する人材紹介会社です。主な取引先は、同業他社の参入が少ない警備やタクシーなどの業界。競合がいない分、自分のスタイルやペースで営業をかけやすく、効率よく開拓する術を身に付けました。

花城 「入社当初は、新しいお客様を見つけて案件数を増やすことに必死でした。でも途中から方向転換し、ひとつの案件に対して多くの求職者をご紹介できる、キャパシティの広い企業を探すように。『エンタープライズをいかに攻略するか』がテーマでした」

国内でも有数の規模であるタクシー会社や警備会社なども自らの新規顧客とし、巨大企業の課題をヒアリングして一緒に解決策を練った経験は大きかったと続けます。

花城 「こうした業界では横のつながりが強いことも知り、営業活動に取り入れました。ある企業と新たに取引を始めるために、何らかの関連がある既存客をリストから見つけ、担当者を訪ねてご紹介いただくことも頻繁にありました」

さらに、入社当初は営業メンバーが組織化されていなかったため、部署を立ち上げてマネジメントすることも任されました。部下やチームの目標設定と管理、新卒の採用と育成も担当するなど、まさにチャレンジの連続でした。

先進のインサイドセールスを経験して課題と向き合い、自信が芽生えた

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▲2021年12月 オフラインイベント『PR Table Special Thanks Day』にて

人材紹介会社で順調な日々を送る中、花城はふと、日常的に業務で使っているオンライン商談システムに目が止まりました。他に類を見ないスムーズな接続方法で、誰でも簡単に顧客と話せる秀逸さに注目したのです。

花城 「オンラインツールは世の中にあふれていますが、営業特化型は数えるほどです。しかも、パソコンやITが苦手な方も多い業界の方々も愛用していました。開発元を調べるとSaaS(Software as a Service/インターネット経由で利用するアプリやサービス)企業で勢いを感じましたね。『このプロダクトを展開する会社で、営業経験を積みたい』と、さっそくアプローチしました」

無事に3社目への転職が決まり、自ら惚れ込んだ製品のインサイドセールスになりました。ここでは自ら進んで案件を獲得し、結果を出すことが求められたといいます。

花城は在籍中、複数のKPI(Key Performance Indicator/重要業績評価指標)で毎月のように100%以上を達成しました。「ここにいればずっと成長できる」と思っていましたが、反比例するかのように経営が振るわず、規模を縮小することになります。

花城 「私よりも優秀な方々が残って会社を立て直すべきだと考え、離れる決意をしました。ここでの経験は他社でも絶対に通用すると自信があったので、本音では辞めたくなかったものの悲観はしませんでした」

そんな彼の自信は、先進のインサイドセールスを経験し、課題を放置しない体制に身を置いてきたことから生まれました。

花城 「私たちインサイドセールスが営業先とアポイントメントを取り、フィールドセールスにトスアップしますが、案件の良し悪しについては多くの企業が明確な判断基準を設けておらず共通の課題でした。一方で私が所属した会社は、スコアを付けて評価を可視化していたんです。案件の内容が一目瞭然なので、フィールドセールスにスムーズにトスアップできていました」

インサイドセールスとして数々の経験を積んだ花城が、次のステージに選んだのは、PR Tableでした。

仕事をわかりやすくひもとき、価値を高めるムーブメントの中心になりたい

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▲キャップ姿が印象的な現在の花城

PR Tableには2021年10月に入社。これまで培ってきたインサイドセールスの経験を生かせること、企業規模、会社の成長フェーズから興味を持ちました。

花城 「組織が固まっていない企業でこそ、自分の能力が発揮できると考えていました。また、当社の看板ツール『talentbook』はあらゆる業界・業種に通用する上、企業の活性化にも貢献できると知って驚きました。『おもしろそう』と率直に感じられた点も入社の決め手です」

毎日の業務では、夕方までは電話営業を中心とし、企業の担当者と直接話す機会を作っています。限られた時間内で集中するためにも、会議などはなるべく架電の後に入れるようスケジュールを設定。また、これまでの経験から「電話がつながりやすいのは昼休み前まで」と認識しているため、午前中が勝負の時です。

花城 「PR Tableでの時間はまだわずかですが、改善できる点がいくつかあるように思います。とはいえむやみに手を出さず、優先順位を決めて取り組むことが大切です。このスキルは以前にも増して求められ、自ら高めていく必要があると感じています。そもそも、改善できる点に気付くようになったこと自体、成長の表れかもしれません」

これからチャレンジしたいのは、自分で考案したフローを用い、受注率を上げること。

花城 「いつかはインサイドセールスの仕事を可視化し、何が重要なのかわかりやすくひもといていきたいです。さらにこの仕事の価値を高めるムーブメントを起こし、その中心人物になりたいと思っています」

子どもの頃から明け暮れた野球は、まだまだ現役。週に1回の草野球で、ファーストやセカンドを守り、直近ではプロが使う球場で試合をする機会を得ました。また、将棋は3級の腕前で全国の猛者とオンラインで対局し、3、4時間はのめり込むといいます。

野球も、将棋も、もちろんインサイドセールスの業務にも集中力と忍耐力が欠かせません。

これまでの経験や知見を活かし、PR Tableという新たなステージで存分に自身の力を発揮している花城。鍛錬を楽しみ、さらに大きな一歩を踏み出そうとしている花城の今後に期待が集まっています。