デザインで経営全般に関わる「成長パートナー」という関係性
昨今、スタートアップのベンチャー企業などで、CDO(チーフ・デザイン・オフィサー)を置いているところが増えています。
PR Tableでは正式にCDOという役職を設けてはいませんが、中長期で関わる「成長パートナー」として、2018年頃より重要な局面における企業ブランドのデザインを共にしてきた人物、それが齊藤智法です。
齊藤 「PR Tableとは、経営陣である大堀兄弟との関係性もあって、深く関わってきました。代表の海さんとも、経営レイヤーの相談から施策に落とす段階まで、さまざまな場面で話し合ってきました」
齊藤は、電通のアートディレクターを経て、2020年に自らの会社「デザインで株式会社」を創業して独立。齊藤のデザイン会社の大きな特徴は、経営に踏み込んだデザインを提案することです。
経営の一翼から一つひとつの施策に至るまで、デザインで力になれる分野を増やしていきたいのだといいます。
齊藤 「私は、PR Tableの経営にデザイナーとして参画している、といっても過言ではありません。課題を細分化することはせず、俯瞰した視点で向き合うことで、PR Tableのミッションである、働く人の笑顔が“連鎖”する世界づくりに、デザインの力で貢献したいと考えています。
弊社が提供できる価値が増えれば、PR Tableの成長にダイレクトに直結すると思います。PR Tableにとっての価値創造という意味でも、成長パートナーであり続けたい。そのためにも、デザインについて極力広義でとらえて、提供していくつもりでいます」
齊藤とPR Table取締役の航との出会いは、中高一貫の私立男子校にいたころにまでさかのぼります。バスケットボール部での印象が強かった、と齊藤は語ります。
齊藤 「私の実家はお寺なんですが、当時は境内のバスケットゴールで一緒によく練習しましたね。航は中1からキャプテン。一方、私は途中からレギュラーになりましたが、練習のときはシュートが決まっても肝心の試合では外すというダメダメな選手でした(笑)航とともに過ごした中学時代のバスケ部の記憶は、今でも鮮明に残っています」
電通入社時から独立を考える。事業課題をデザインで解決する仕事にやりがい
齊藤は高校時代に、スポーツから美大受験へとモードを切り替えました。美大受験の予備校に通い、航との関りも次第に薄くなっていったといいます。
齊藤 「小さいころから絵を習っていて、美術系の進路に進みたいと思っていました。実家がお寺ということもあり、普通の大学に入って就職すると、必然的にお坊さんにならなければいけないかもしれない、という抗いの気持ちがあったのも事実です」
齊藤は2浪した末、武蔵野美術大学に入学。当時から就職のことを考えて行動していたと振り返ります。広告代理店に就職しようと考え、常にアンテナを張り続けていたのです。
齊藤 「課題やグループ制作に没頭する、いたって真っ当な美大生でした。美大生の場合、就活時に自分の作品をまとめたポートフォリオを作成しないと、勝負できませんから」
2009年に電通に入社した齊藤は、入社した時からまずは大きな賞を獲ることを目指して働いていました。
齊藤 「クリエイターの世界では、賞を獲ることに大きな意味がある。定期的に賞を獲ってキャリアアップしていくイメージですね。最終的には独立を考えていました」
入社2年目の2011年、齊藤は朝日広告賞でグランプリを獲得。電通を退社する1年前には、海外の広告賞でもグランプリを獲得しました。
齊藤 「その仕事の最初の依頼はロゴ作りの相談だったものが、森アーツセンターギャラリーで行う展覧会全体のクリエイティブ・ディレクションにまで発展。自分がどこまでできるか挑戦したかった。結果的に、たくさんのクリエイティブパートナーに支えられ、海外のアワードのデジタルクラフト部門でグランプリを獲得できました」
電通時代、あるスタートアップ企業と仕事をしたことがキャリアの転機となった、と語る齊藤。
齊藤 「現在では上場し、大成功しているラクスル株式会社との仕事でした。当時は上場する前段階。代表の松本恭攝さんからのご指名で仕事をしたんですが、当初は電通のチームで向き合っていましたが、CMの製作がひと段落し、アートディレクターの私だけが残ることになったんです。週1回、経営レイヤーの相談をデザインで向き合い、解決する時間を持っていました。
デザインという課題解決の手法が、クライアントの成長に結びついている。そんなことを実感する中で、これは自ら道を作っていったほうがうまくいくと確信したんです」
そして齊藤は、11年間勤めた電通を辞めて、ついに独立を果たしました。
再会のきっかけは結婚式。スタートアップへの支援に魅力を感じる
話は、PR Tableとの関係に移ります。2017年、齊藤は自らの結婚式に、PR Tableの経営陣で中学から同級生である航を招き、再会。キャリアの転機となったラクスルの松本氏も同席していました。
齊藤 「PR3.0の立ち上げにあたり航さんたちが企画を練っていたころで、相談に乗ってもらえないかと声をかけられて。電通に在籍している最後の時期の頃です。独立してからもしっかり力になっていける関係性を、電通時代につくっておきたいと思いました」
PR3.0とは、パブリックリレーションズ(Public Relaitons=PR)のアップデートを目的としたイベントやコミュニティなどの探究活動のことです。
当時のオフィスは、六本木の一角にあるマンションの一室にありました。PR Tableのスタートアップの規模は、齊藤がこれまで関わってきた企業の中で最も小さかったのです。
齊藤 「オフィスは狭かったですが、みんなでひしめき合いながらいろいろやっているという印象で、熱量の高さをひしひしと感じましたね。行くたびにブレーンストーミングをして、ホワイトボード上で考えたことを形にしていくのがとても楽しかった」
齊藤がもう1つ記憶しているのは、航のセンスの良さだといいます。
齊藤 「オフィスを訪れて初めて、意外とセンスが良いことに気付きました(笑)。置いてあるものが全部お洒落で。それに、スターウォーズ関連のグッズが飾ってあるなど、趣味で塗り固められていました」
PR Tableのオフィスが渋谷に移転するころから、本格的な付き合いがスタート。PR Tableの会社ロゴのリニューアルなども手がけていくことに。そして2021年に入り、双方の関係を制作単位での受注ではなく、中長期で成長を分かち合える形に変えていくことになりました。
齊藤「PR Table全体の成長に対して、時間もリソースを限定せずに向き合うことができる形に切り替えたんです。私も、積極的にPR Tableが提供するバリューを代弁して、世の中に伝えていきたいですから」
“Public Relations”を学び、デザインがより好きになった
PR Tableは、2021年9月にエッグフォワード社からの出資を発表。ビジョン・ミッションも刷新し、組織体制やカルチャーも数年で大きく変化してきました。今回、新しくなったビジョンのキービジュアルと、プロダクトサイトのデザインを手がけたのも齊藤です。
齊藤 「個人的にはより『らしく』なったな、という印象です。私は、PR Tableの成長のプロセスを間近で見てきました」
PR Tableが創業当初に立ち返ったと感じている齊藤。スタートアップ企業の原点に立ち返り、新たなフェーズにチャレンジしていると考えています。
齊藤 「より純粋に、大堀兄弟が創造する事業に立ち返った感じがしています。半年後や1年後に結果として現れるように、デザインの力が必要とされるなら全力でコミットしたい。今回、いわば足場を立て直したわけですから、そこからジャンプするために私の力が役立ったらとてもうれしいです」
齊藤がPR Tableから学んだのは、「個がどうであるか以上に、関係性は可能性を最大化する」ということです。
齊藤 「広告業界で見てきたPRとは全く違うPublic Relationsのあり方を、航さんたちは先見の明を持って探究しています。PR Tableと向き合う中で、デザインという職能を持って社会とどんな関係性を作っていくべきか、関わる人や社会全体にとって有益かを考える視点をもらいました。
Public Relationsは、意味としてはデザインよりも広義。“関係性”を包含していると考えています。デザインの仕事でも、顧客との関係性は非常に重要です。関係性が変われば、スタンスが変わる。スタンスが変わると、見える世界が変わる。ですから、関係性を考えていると、デザインという仕事がどんどん好きになってくるんです。
私の中では、まだまだゴールや正解は見つかっていないですが、高い視座を持って向き合っていくことこそが、解を見つけるための近道だと考えています」
齊藤は小手先の技術や目先の利益ではなく、人生が豊かになるデザインを経営に生かそうとしています。グロースパートナーとしてPR Tableに深く関わるという新しい関係性を通じて、デザインの力を社会で証明していく。齊藤の眼差しは、そんな未来を強く見据えています。