小さな町に生まれた少年は、祖父母の優しさに育てられた
宮城県石巻市に生まれた千葉洸平。
両親が共働きで忙しく、祖父母と過ごすことが多かった彼は、おじいちゃん・おばあちゃん子として育ちます。
絵本を読んでもらったり、いろいろな場所に連れて行ってもらったり……。ふたりに優しくしてもらった経験から、自分自身も周囲に対して、同じように接するようになっていきます。
千葉 「人からはよく優しい性格だと言われます。自分で言うとアレですが(笑)、おじいちゃん、おばあちゃんに優しくしてもらっていたので自然とそうなっていったんだと思います。
妹や周りの友達はもちろんですが、困っている人がいると気になっちゃうんですよね。そういう意味では面倒見がいいのかもしれません」
そんな優しい心を持った少年は、友人に誘われ、小学4年生のときに野球と出会います。そこでは、人生の礎を築きます。
仲間と何かを成し遂げるということ。そして求められるさまざまな能力に対して、才能に頼るのではなく、愚直に頑張るということ。
この学びを胸に、少年野球ではレギュラーとして活躍。中学校入学後も、これまで一緒にやってきたなじみのメンバーとともに野球部に入部しました。しかし、骨折をきっかけに試合に出られなくなります。
千葉 「本当に悔しかった。でも、決して辞めませんでした。
試合に出れないときでも、チームのために、何か役に立てることがないかって考えて。スコアつけたり、練習の準備をしたり、朝早くグランドならしたり……マネージャーのような役割で自分なりにチームを支えましたね」
やがて高校生になり、進路を考える時期を迎えます。
生まれ育った石巻は小さな町ゆえに、小中高と変わらない同級生たちと過ごすのが当たり前。仲が深まるという反面、変わらない環境に、ずっと閉鎖的な空気を感じていました。
そこで、地元を離れ、東京の大学に進学することを決意します。
まさかの「福祉系サロンモデル」に。将来のキャリアに葛藤する
晴れて、念願の東京での大学進学。選んだのは福祉学部でした。
おじいちゃん・おばあちゃん子だった千葉らしく、困っている人の役に立ちたいと考えたことから。そんな大学時代、意外なところで彼の将来に結びつく出会いがありました。
千葉 「 19歳のときに、原宿の駅前で声をかけられて、サロンモデルをやることになったんです。
当時、大学のサークルや部活には入らずに、サロンモデルとアルバイトに明け暮れていましたね。女の子からもちやほやされるようになって、僕もチャラチャラするようになって。
福祉の勉強とは、まるでイメージの異なる世界にいる美容師さんたちと関わることができ、大学では感じられなかった、新しい刺激を受けました」
そこで彼は、自分の好きなことを掘り下げていくという新たな道を考え始めます。
しかし、キャリアについては、まだ明確なビジョンを持つことができませんでした。これまで自分が信じてきたものに、新たな方向性が加わったことで、心の中で葛藤が続きます。そして、就活浪人をしながら、将来について考えていきました。
千葉 「何社か受けました。でも、当時の福祉業界は、経済的な概念があまりないのかなという個人的な印象で……。“お金をもらうこと=悪 ”みたいな感じがしちゃって、それってどうなのかなと。
もちろん良い仕事だと思うのですが、将来のイメージが描けなくなってしまったんです」
そして千葉は、「目の前にいる人の役に立つこと」に加えて、「興味のあること」「成長できるところ」を軸に決め、美容メーカーで最初のキャリアを踏み出します。
猛勉強の末、自分を売り込むリレーション営業に目覚める
1社目として選んだ企業は、社員数約50人。
裁量権があり、大手企業との取引も経験できることから、成長できると信じて入社を決めました。研修制度など整っていないベンチャー企業。「とりあえず己で行け!」という社風に、たくさんの苦い経験もしてきました。
千葉 「入社して 1カ月後、まだまだ知識もない中で、ひとりで顧客向け講習会をやることになったんです。もちろん自分なりに予習はしていったんですが、質問攻めにあって、すべてに答えられなかったんですよね。
後日、顧客のひとりが先輩社員に対して『なんであんなやつ連れてきたんだ!』と言われていたことは、かなり悔しかったですね」
千葉は、その悔しさをバネに、猛勉強を続けました。製品の化学的な知識を含め、何を言われても答えられるようにしようと徹底的に──。
千葉 「営業に出ているときに感じたのは、商品を気に入ってもらえているというより、自分のことを気に入ってくださっているなという感覚でした。そんな方々の環境をもっと良くしてあげたいし、何かお返しをしたい。だから、昔から持っている “人の役に立ちたい ”という気持ちに変わりはなかったんです。そのためだったら頑張れましたね」
いかに量をこなすか考え、量質転化を目指す日々。
新卒1年目にして業界2位の販売代理店を任されることになった際には、とにかく相手との関係性を深めようと考え、訪問を繰り返します。
徐々に千葉の熱意が伝わっていくと、顧客から商品ではなく、自分のことを必要としてくれていると実感ができるようになりました。その期待に応えたい、還元したいと考えるうちに、いい循環ができ上がっていきました。
しかし、調子がいいように思えたのもつかの間、何かもどかしさを感じるようになっていきます。
千葉 「美容室の売り上げは約 40%でカラー剤が占めています。僕がいた会社は、美容メーカーの中でもニッチな商材を扱っていたんです。売り上げを占める商材を扱っていないことで、本当の課題解決となる売り上げや経営の話には携われないんですよね。
根本的な課題解決を一緒にすることができなくて、このままでいいのかな?本当に自分が役に立ててるのかな?という危機感が募っていったんです」
そして、2年半勤めた後、キャリアチェンジを決意。また新しい道を模索し始めます。
プロダクトに心を揺さぶられたのは初めてだった
2社目として選んだ企業は、業界上位にランクインする大手美容メーカー。
レスポンスのスピード、話し方、すべてに細かい指摘をされるスパルタな環境。「自分と関わった人に対して価値を与えろ」という言葉をくれた尊敬できる上司のもとで、千葉は個人ではなく、チーム全体にとっての価値を考えるようになりました。
千葉 「前職との違いは、顧客の規模感が大きくなったこと。大型店や、グループ店の窓口を僕が担当しながら、チームがいる状態でした。前々職は新規開拓が多かったんですが、既存のお客さんと関係をつくっていくみたいな仕事が多かったですね。どうナレッジを共有していくか? チームにいい影響を与えていくか? こだわるようになりました」
そうした変化の中で、千葉本来の優しさが発揮され、仕事やプライベート、さらにはキャリアの相談を受ける機会も増えていきました。
千葉 「でも、成長しそうだなとか、頑張ってるなと思っている後輩に限って、退職を考えていたりすることが多くて……。これはきっと、自分がいる会社の価値や理念が、メンバーに伝わりきってないんだなと痛感しました。
だから、悩んでいることに対しても、根本的な解決ができず、話を聞くことくらいしかできない。そんなときにも人に価値を与えるには、どうしたらいいんだろうと考えるようになりましたね」
周囲のメンバーと向き合う中で、自分がどうしたら、目の前にいる人の役に立つことができるかを考えます。人事として社内を改革していくという選択肢も浮かびましたが、これまで美容メーカーという業界の中で培ってきた自身のスキルに対し、疑問を抱きます。
30歳になったその年。彼はチャレンジを決意します。
PR Tableは、エージェントから紹介された企業のうちの1社でした。
千葉 「 1回目の面接、実は僕は何も調べないで行ったんです。なんかおしゃれそうだなという印象と、プロダクトも少し知っていた程度で、取締役の菅原弘暁にすぐ見抜かれましたね(笑)」
「調べて来なかったでしょ?」 と詰め寄られ、素直に謝罪を述べた千葉。それに対して菅原は「本当に転職する気があるなら、次回はちゃんと調べてきてね」と2次選考に進むチャンスを与えます。その理由は、「ばかだけど、悪いやつではなさそう」だったから。
千葉 「これまで、そういう面接官の人なかなかいなかったので、驚きました。
菅原と話していく中で、どんどん惹かれていきました。家に帰ってちゃんと調べて見ると、会社の価値や理念が伝わらずに辞めていった前職の後輩や同僚たちを思い出して、このプロダクトを売りたいと思いましたね」
これまでのキャリアでは、顧客に対する想いがあっても、商材に対して入れ込む経験がなかった。だからこそ、プロダクトそのものに心を揺さぶられる自分に新鮮味さえを感じています。
千葉 「次の面接で、『売れますか?』って聞かれて、『売れます!』って即答しました。正確に言えば『売りたいです!』っていう気持ちを伝えたかったんですけど(笑)」
そんな熱意が伝わり、彼はPR Tableに入社することになりました。与えられた役割は、もちろんセールスです。
千葉 「とりあえず、いっぱい売りたいのひとことに尽きます。このプロダクトをもっともっといろんな人に伝えたいし、伝えます」
昔から変わらぬ優しさを武器に、新たな挑戦はスタートを切りました。