どうすれば「特別」になれる? コンプレックスが彼女の強みをつくった
IT企業に勤務するかたわら、空手家としての顔を持っていた父。まじめで教育熱心な母、そして兄。そんな家庭で生まれ育った時岡舞は、小さいころから活発な子どもでした。
時岡 「興味があるものを見つけたら走りだしたり、高いところを見れば登りだしたりしてしまう、好奇心旺盛なタイプ。目を離したらケガしてくるような子どもだったので、母は大変だったみたいです(笑)」
「女の子らしく」「みんなと同じように」「常識的に考えて」……。
そんなお説教を繰り返されるうちに、彼女は自分が人と違う「特別な存在」になればいいんじゃないか、と考えるようになります。
時岡 「選ばれし者や、天才になりたかったんですよね。それなら常識から外れてても仕方がないし、むしろ外れている方が、かっこいい。目立つ役割を積極的に引き受けて、あえて人とは違うことを選ぶようにしていました。
みんなが空を青く塗るなら、私はピンクに塗りました。子どもなりのアイデアですが(笑)。勉強してないふりしてできたり、実はスポーツが得意とか、そんなことにも憧れましたね」
他の誰とも同じじゃない。私はわたし。そんな「特別な存在」になるために、日々の行動を取捨選択します。しかし、ふとしたとき、身近なところに“ホンモノ”がいることに気がついてしまうのです。
時岡 「実は兄が、素でそれをやってのけるタイプだったんです。目立つのは好きじゃないと言っているのに存在感があって。小学校、中学校と、入学するたび『時岡の妹』というポジションがついてきました。
学年ビリの成績から一転、トップ校に合格したり、ふらっと出かけたかと思えば、海外まで行ってたり。ちょっと特別な振る舞いと評判がうらやましかったんです」
無意識ではなく、意識的に行動していた。そんな自分にコンプレックスを感じるようになった時岡。しかし、その視点を持っていたからこそ、人がそれぞれ持っている「特別」に気付くことができるようになっていたのです。
時岡 「どうすれば特別になれるか?といつも考えていたので、他の人が、自分自身の長所や魅力といった特別な部分に気付いてないことが、すごく不思議だったんです」
優しい、おもしろい、面倒見がいい、勉強が得意、ピアノが弾ける、おしゃれ、足が速い──自分にない長所や魅力を見つけ出すたび、本人に「それってすごいことだよ!」と伝えたい衝動に駆られます。あまりにも率直に、感じたいいところを伝えていくので、学校の通信簿でも「友だちのいいところを見つけて伝えてあげることができます」と書かれるほどに。
時岡 「たとえば自信がない子とかがいたときに『なにもできないし……』と言われたら『いやいや、これすごいことだからね!』と認めさせたくなるんですよね。優しさというよりは『わたしが “特別なことだよ ”って言ってるんだから特別なの!』っていうエゴなんだと思います(笑)」
それが顕著に現れたのが、高校からの趣味である写真撮影。「かわいい」を認めて欲しい女の子たちの写真を撮り続けています。
時岡 「基本的に女の子って『かわいい』って言っても『そんなことないよ』と返すじゃないですか。それが納得いかなくて……。じゃあ、写真に収めればいいんだって思ったんです。
アルバイトで貯めたお金で一眼レフカメラを買って、今もずっと続けています」
オタク活動に夢中になる。いいものは「いい」、好きなものは「好き」が信条
彼女にとって「特別な存在」の宝庫だったのが漫画。漫画好きだった兄の影響も受け、だんだんオタク活動に夢中になります。そこで彼女がしていたことは、幼少期と変わりませんでした。
たとえば、少年誌にアンケートをたくさん書いて送り、大好きな漫画が打ち切りにならないよう支援し続けるなど……。
時岡 「いいものは『いい』と伝えないと!という責任感や危機感が、自分の中にあるんです。そうしないと連載は終了するし、アニメも 2期はつくられない。『いい』は、伝えないと廃れてしまうと感じてました」
しかし、中学や高校になるにつれ、周りの友だちがだんだんオタクから卒業していきます。それはオタク趣味が「かっこ悪い」「ダサい」「いけてない」という“隠したいもの”へ変化していったから。時岡もそれに合わせ、恋愛やオシャレに興味があるふりをしていました。
時岡 「とても苦しかったのは、周囲に自分を無理やり合わせていたこと。ちょうどそのころ、ホンモノの特別じゃないなら、みんなと同じようにならないと……と考えていたんです。
でもやっぱり好きなことを思いっきり『好き』って言えないのはしんどかったです」
大学に入学してからは周りに合わせることを全部やめて、オタク活動をいう趣味に思いっきり時間とお金を費やしました。イベント、コスプレ、動画制作、ポートレートの写真撮影。そのために夜勤でバイトも……。
半年先の予定も埋まってるほどに多忙な生活で、充実した四年間を過ごします。
紆余曲折の末、キャリアアドバイザーに。こうして彼女の強みは開花した
大学3年生。就職活動を迎えます。趣味に没頭したいがために、休みや給与などの条件だけで就活をしていた時岡。内定を獲得するも、いざ向き合うと、興味のない仕事を続けられるのか?と疑問が湧きます。
時岡 「仕事内容に興味を持てないと、楽しめなさそうだなと思い始めちゃって……。内定辞退をしてイチから就職活動をやり直しました」
そんな中出会ったのは、既卒や第二新卒といった20代の若手を支援する人材紹介会社。「日本の就活を変えたい。新卒で入社するという一般的な就活ルートから外れただけで、“ダメな人”と認定されるのはおかしいじゃないか」という代表の言葉に共感しました。
時岡 「昔から人の長所や魅力を見てきたから、ですかね。当時、就活で悩んでる優秀な友だちも周りにいたので、表面的なスペックだけで人の良さは判断できないぞって、より強く感じたのかもしれません」
そして、入社を決めます。最初に担当することになったのは、法人営業の仕事でした。
時岡 「企業担当として、採用に困っているお客様にアプローチをすることからはじまりました。テレアポで新規開拓をしていく毎日。同期の中で結果が出るのが 1番遅く、最初はとても苦しい時期を過ごしました。
でも、 2年半が経つころ、やっと成果が追いついて、キャリアアドバイザーの仕事も任せてもらえるようになりましたね」
そこでは、思うように進路が決まらない求職者の方々が、人として自信を失っている状況を目の当たりにすることになります。そこは時岡の“強み”が生かされる瞬間でもありました。
時岡 「あがり症で面接が苦手だけど、勉強熱心で専門的なスキルをいくつも持っている人。本来は明るく人懐っこい性格なのに、前職でのミスマッチをきっかけに、極力人と接したくないと望んでいる人──。
新卒じゃないことや 3年以内で離職していて、自分はもうダメじゃないかと落ち込んでしまう人々に『そうじゃない』と伝えられることは、私とって情熱とやりがいを持てる仕事でした」
そして時岡は「自分らしく生きるために、人はどうすればいいのだろう」と考えはじめます。
仕事のかたわら社会人スクールに通い、キャリアコンサルタントについて学び、国家資格を取得。年齢も職業も違う、さまざまな角度でキャリアと向き合う、仲間と出会うこともできました。
企業にとっても、個人にとっても、お互いに不幸なミスマッチをなくしたい。その人らしさを追求するためにもっと何かできることはないかと思った時岡は、人材紹介以外の領域へと目を向けるようになります。
趣味と仕事、どちらかを犠牲にしたら「自分らしく」生きていくことはできない
そもそも、「私らしさ」って何だろう……?これまでやってきた写真撮影や動画制作の趣味を通じて、時岡は再度自分を見つめ直します。どうすればもっと人の魅力やいいところを引き出せるんだろう? これまで楽しんできたことが何かにつながらないか……。考え続けるなかで、「ブランディング」というキーワードにたどり着きます。
時岡 「社外に対して魅力や価値を表現していくだけでなく、社内に理念やビジョンを共有するような、インターナルブランディングも重要という話にピンときて。これだと思いましたね。そして色々と調べていたら、 PR Tableを見つけたんです」
“あらゆる企業に表現力を。すべての個人に選択力を。”というプロダクトフィロソフィーに深く惹かれた時岡。最初の面談で、ほぼ入社意思は固まっていました。
時岡 「いくら個人の幸せを願って、面談という場で関わっても、入社後にミスマッチがあったら意味がないということは、何度も直面してきました。そして、採用側の想いも知っています。
誰も、ミスマッチなんて望んでいない。そこを解決していくには、個人側が自己分析をして、自分をアピールするだけでなく、採用する企業側も、自社のことを採用候補者や社員にしっかり伝えるしかないと前職で体感していました。だからこそ、惹かれたんだと思います」
そして、PR Tableへ入社。新たな場所で、彼女はどんな想いを信じ、貫くのでしょうか。
時岡 「自分らしく生きていける人を増やしていきたいからこそ、自分自身がそれを体現している人間になりたいんです。だから、オンとオフのどちらも大切にしています。趣味に力を注ぐ場合、惜しみなくお金を使うためにも一生懸命働く必要があります。とはいえ、大好きな趣味を我慢して 8時間も職場で過ごすのに、ひたむきになれない仕事だったら耐えられない。
どちらかを犠牲にするのではなく、どちらも全力で楽しむことが、自分らしさにつながっていると感じています」
彼女らしい生き方に重ねて、さらなる夢を描きます。
時岡 「将来的な夢は、 PR Tableによってあらゆる企業が表現力を身に付けることができるようになってきたとき、また個人と向き合う仕事をすることです。
どんな風に生きていくことが、その人にとって最も幸せなのか。それを見つけられるように、改めて支援をしていきたいです」
企業は自社らしさを、個人は自分らしさをしっかりと自覚して、発揮していくことができるような世の中にしていきたい。それは決して容易ではありません。
それでも時岡は、情熱と誠意を持って、これからも自分が信じる道を歩み、挑戦し続けます。