表現下手が見つけた“音楽”という武器。平凡コンプレックスを胸に東京へ
2児の父である久保圭太。社内では年齢に関係なくメンバーとコミュニケーションをとり、細やかな気遣いもできる彼は、社員みんなから慕われるお兄さん的存在です。
しかし、少年時代は、今の姿からは想像ができないほど、自分に自信がありませんでした。中学生の頃は、女子とまともに話した記憶がないと当時を振り返ります。
久保 「スポーツができて、女子からモテる人たちっているじゃないですか。ああいう目立ってかっこいい集団には入れない。だけど、暗い子というほどでもない。自分の中途半端な感じが嫌で、くすぶっていたというか、悶々としていましたね。子どもの頃って、モテるかモテないか明確じゃないですか。何をしたらその状況から外に出て、自己表現できるだろう?と模索しつづけていました」
中学2年生になった久保少年。そこで手にしたのは「ギター」でした。
久保 「ある日、父のおさがりのアコースティックギターが押入れから出てきたんです。それを弾き出したときに、自分の気持ちをすごく吐き出せる感じがして。それからあっという間にのめり込んで、毎日やってたゲームを一切やらなくなり、自分だけの音楽をつくるようになりました」
また、子どもの頃から「コトバ」が好きだった久保。言葉から感じる印象=語感は少年心を刺激し、くすぐりました。アニメの副題をノートに書き留めては、ストーリーを想像してワクワクしていました。
「音楽」と「コトバ」。好きなもの同士を掛け合わせた“武器”を身につけた久保は、少しずつ自分を表現をしはじめていきました。
そして、高校生になると、自分がつくった音楽をラジオのコンテスト企画に応募するという、大胆な行動を起こすようになります。
久保 「人前で歌うことはまだできなかったけど、自分の音楽に自信はあったんです。だれかに聞いてもらいたいという気持ち、認められたい気持ちがだんだん高まってきて、こっそり応募しましたね。オリジナル曲だったんですけど、コンテストで優勝したんです。ほら、きた!と思いました(笑)」
そのとき、自分の表現が認められる嬉しさをはじめて知った久保。自分の殻に閉じこもっていた少年が、やっと世界と繋がった瞬間でもありました。
久保 「それからは、自分の歌を聞いて泣いてくれる人がいたり、音楽を通じて友達の輪が広がって。“武器 ”が、人とコミュニケーションをとる “ツール ”に変わったなという感覚がありましたね。次第に、人前に出たり、人と話したりすることが億劫ではなくなりました」
高校を卒業すると、幼少期とは真逆の「キラキラした大学生活」を送るようになります。しかし、音楽活動を通していろんな生き方の大人と接するようになった久保の心に、ある疑問が浮かびます。
自分は「平凡コンプレックス」なのではないだろうか...…。
久保 「尊敬する大人と話したり、世の中で活躍している人たちの本を読むと、だいたいみんな平凡じゃないんです。何かを成し遂げた人は必ず苦しい経験をしている。そして、それがバネとなって成長しているんです。その時、自分はこのままじゃ成長が止まっちゃうなって思ったんですよね」
広い世界を知ったからこそ、湧き上がってきた思い。その「平凡コンプレックス」を払拭すべく、就職活動に挑みます。
入社初日に赤字宣告?! “できる理由”を考えながら乗り越えた新卒一年目
平凡じゃ物足りない。
そんな思いを胸に就職活動を進め、北海道から東京へ上京することを決めます。
久保「当時は、1番挑戦できて、1番苦労できそうなところに行こうと思ってました。一応いろんな会社を見ていて、綺麗なホテルで説明会をしたり、待遇がいいところがあったり。でも、なかなかピンと来なくて……」
そんな時に出会ったのが、ボロボロの雑居ビルで、「世界へ行くぞ」と大きなビジョンを掲げていた得体の知れない企業。それが後に10年以上勤めることとなる、インターネット広告を中心に事業を展開している株式会社アドウェイズだったのです。
久保 「小さなビルで、大きなビジョンを語るそのギャップ。何が起きるのかわからない雰囲気にワクワク感さえ感じました。それに、もともとインターネットが好きだったので、その未来や可能性を信じていたこともあって、ここなら学べるなと思ったんです。
あとは、出会う社員たちがとても魅力的だった。面接にギターを担いで行っても何も言われなかったんです(笑)。ここなら、素のままの自分を受け入れてくれると思いましたね」
そして、晴れてアドウェイズに入社──そこで待っていたのは、まさに久保が望んでいた試練でした。まさかの、入社1日目の「赤字宣告」。
久保 「 2007年の入社当時、社員 150人の会社に、150人新卒が入ったんです(笑)。会社としては上場した直後で成長していたタイミングだったのですが、金融規制がかかって、業界全体の広告出稿が減り、売上が下がって赤字になってしまった。
そんなタイミングで入社したので、まずは 1年間で黒字にすることが会社としてのミッションだったんです。でも、半分新卒だから、教えてくれる人が十分にいるわけないし、自分たちでやるしかないですよね 。
新卒は正直こういうものなんだろうなと思って、やっていくしかなかったし、同期がたくさんいたから毎日楽しかったんですよね。覚悟をして入社したからにはこの中でトップをとってやろうと意気込んでいました」
アドウェイズの行動指針には、できない理由ではなく「できる理由を考えろ」という言葉があります。久保は、先輩や同期と共にがむしゃらに働く中で、その考えを自然と身につけていきました。
久保 「多分、当時辛いことはたくさんあったと思うんです。でも基本、根がポジティブなんですよね。悪いことがあっても、それを悪いことと感じずに、いつかいいことにつながるための試練なのではないか、と考えてしまう。
周りから見たら相当辛かったことや、それって挫折じゃない?ということでも、乗り越えてしまえばいい思い出だったなって思うんです」
自然に身についた行動指針が、かつて得た音楽やコトバのように、久保の“武器”となり、彼をどんどん強くしてくれたのです。
創業メンバーと運命的な出会い。そして自分史上最もエモかったPR担当時代
その後、営業チームのマネージャー、新規部署立上げを経て、人事戦略室という採用・育成・文化づくりを担う部署へと参画。着実にキャリアを積んでいきました。
ちょうどその頃。久保はPR Tableの創業メンバーと、少し不思議な出会い方をするのです。
久保 「あるチームメンバーが病気になってしまったんです。上司として病院に駆けつけたら、その彼の『同居人です』って、大堀航と菅原が挨拶してくれたんですよね。そこで名刺交換をしたのが初めての出会い(笑)」
しかし、運命とは不思議なもの……。
それから2年ほど時が経ち、当時のメンバーと飲んでいた時のこと。
久保「たまたま PR Tableのリリースを見たタイミングで、『このサービス面白そうなんだよね』とぽろっと話したんですよね。そしたら、『それ、前に同居していた人たちが立ち上げたサービスなんですよ』って言われて。
運命を感じた僕は『すぐに会いたい!』と彼に伝えたら、その場で電話してくれて、2日後には再会を果たしました。12月 26日の年末だったんだけど会いに来てくれたんですよね。すごく嬉しかったのを覚えています」
それを機に、大堀航と弟の海、菅原の4人で飲むことが増えます。ただその時は、人事や、これからの未来について語り合うだけの飲み仲間という感じでした。
その後、久保は人事の経験を活かしながら、新たに「PR&マーケティング室」を立ち上げることになります。
しかし、いざ担当になったものの、これまでに経験のない初めての領域。右も左もわからない……。本を読んだり、見よう見まねでプレスリリースを書いたり、当時菅原が登壇したセミナーにも足を運びました。学びながらも実践を繰り返す日々。
時には岡村社長から突然呼び出されて、こんな厳しいことを言われることも……。
「大事な取材記事なのに、そもそもメッセージのニュアンスが違うんだったら広報がいる意味がないよ。なんのためにいるの?」
久保 「言われた瞬間、めちゃめちゃ悔しくて。そのあとしばらく会議室から動けなくなったんです。コントロール出来ないもどかしさとあまりの悔しさに、そのあとひとりでちょっと泣きましたね。これが、僕の一番の挫折だったかもしれない」
このときばかりは挫折感を味わったと語る久保。しかし──。
久保 「取材、執筆、編集とすべて担当したコンテンツが、今度はめちゃくちゃ褒められることもありました(笑)。感情がグルグルして、入社してから 1番“エモ”かったのが PRの仕事。それと同時に PRの難しさと奥深さをすごく感じる毎日でした」
PRの仕事をしていく中で、何かこれまでと違う、ざわざわした感覚を心の片隅で感じはじめていたのです。
今この選択をしなかったら絶対に後悔する──新たな挑戦の日々へ
2018年2月。久保は、PR部署の責任者としてさまざまな模索をしながらも、自身が手掛けたコンテンツが好評を得て、手応えを感じはじめていました。そして、PR Tableが「PR3.0 Conference」を開催するという発表を目にします。
久保 「その発表を見た時、直感で『一緒にやらなければならない』って思ったんです」
そんな思いを抱いていた、まさにその時……。
「久保さん、そろそろじゃないですか」。航から放たれた一言に、ついに久保の心が動かされます。
久保 「これは自分にとってタイミングなんだと感じました。そしてPR Tableが大きくなったとき、自分がそこにいなかったら絶対に悔しいだろうなと思ったんです。
やると決めたら中途半端な気持ちでいても仕方ない。すぐに心は決まりましたね」
運命は必然であり、偶然はない。縁とタイミングに逆らってはいけないし、それを大切にしていれば必ず道は拓ける。自分で選択した決断を、自分自身が楽しんでいけるかが大切だと考えています。
久保 「実は入社する前に、自分への約束として 3つの軸を定めました。ひとつは、事業と組織の両輪を円滑にして成長を加速させること。もうひとつは、社内外の関係構築に最も貢献する人物になること。そして最後が、足りない部分を補い、役割や立場関係なく出来ることはすべてやることです」
こうして、2018年9月に正式にPR Tableに入社しました。
取締役の菅原とともに、日々駆け回りながらPR3.0 Conferenceの準備を進め、無事大盛況で終えることができました。しかし、そのとき久保の中には達成感と共に、それとはまた違う感情も芽生えてきたのでした。
久保 「世の中には、自分の仕事に誇りを持ち、楽しく働いてる優秀な人たちがこんなにもたくさんいるのかと胸が熱くなって……。それと同時に、自分もこんな風になりたい、と強い憧れと嫉妬が生まれました。
この歳になっても、泥臭さをなくしたらいけない。社会人歴を重ねると、年下の子が増えたり、少し立場が上がっただけで、自分が何か出来る気になって勘違いしてしまう。でも、そんなことであぐらかいてる場合じゃないな、と改めて気づかされました」
「1番悔しい想いをしたし、1番嬉しい想いもしたのが、PR=Public Relations」──だからこそ、この会社を次のステージとして選びました。
他のメンバーと比べると「大人」かもしれない。でも、世間一般でイメージされる「大人」にはなりたくない。久保はこれから、PR Tableでどんな“胸熱”な選択や想いを経験するのでしょうか。