大きな仕事がしたい──花屋の跡継ぎか、フラワー事業立ち上げか

並木 「私は花屋の息子で、将来はその跡を継ごうと思っていました。学生時代に修行も兼ねて、前職も花を扱う会社に入社し、ホテルブライダルを中心に仕事をしていました」

その後、ポジティブドリームパーソンズ(以下、PDP)がフラワー事業を立ち上げる際に、出向社員として参画。福岡での立ち上げもフォローしたのち、前職に戻った。

ただ、その後もPDPの代表の杉元 崇将からの相談を受けるなど、関係は続いていたという。

並木 「実家の跡を継ぐ準備をしつつも、実家は町のお花屋さん。内心、PDPで大きな仕事に携われることに魅力を感じていたんです」

そこで並木は2006年、PDPに戻ることを決意。当時、PDPではフラワー事業はまだ規模は小さかったが、サンジョルディフラワーズ ザ・デコレーター(以下、SJF)の恵比寿本店を伸ばしたいという想いに賛同したのも理由のひとつだった。

並木 「杉元から打診されたのは、マネージャーポジションでの復帰。でも、いちメンバーとして入社し、課題把握や成長基盤づくりから始めて、徐々にステップアップしたいという意向を伝えました。最初はPDPのウェディング事業にあるレストランウェディングのチームと一緒に仕事をし、花の装飾を担当することが多かったですね」

そしてその後、ユニットマネージャーを数年経験し、韓国事業が立ち上がるタイミングでSJFのゼネラルマネージャーとなる。

並木 「当時の思い出としては、PDPの中期3カ年計画にあった「質と格を上げる」というビジョン達成のため、フラワー事業として外部コンテストに挑戦したこと。私が中心となって、どのコンテストに参加するかというところから検討を重ね、「フラワーアートアワード」という東京ミッドタウンで毎年開催されるコンテストにチームで初エントリーしました」

初挑戦で最優秀作品賞を受賞し、フランスの世界大会に出場をはたす。

並木「自分自身はもちろんのこと、フラワー事業やPDPメンバーの誇りにつながるニュースを生めたと自負しています」

「何かをひとつやり切るまでは」日韓の花のパイプ役に

その後、PDPは海外でウェディングのコンサル事業を立ち上げることとなった。その韓国の婚礼ビジネスへの提案の一環で、2011年の夏、並木は急遽韓国へ呼ばれることになる。

並木 「韓国のゲストハウスのお花の事業の状況を聞いている中で、『実は韓国支店ができるんだ。並木に行ってもらいたい』という相談を受け、その後4年弱、韓国の子会社の開拓を任されました。苦労話は挙げたら相当な数が出てきますね(笑)」

でも、そんな環境だからこそ身についたスキルもあった。

並木 「現地のメンバーにお花のスキルを教えることに加えて、PDPが飲食やフラワー事業の展開を進めるにあたり、デベロッパーとの交渉や市場調査を行っていました。これまで経験したことのない業務だったので、そのスキルを身に付けられたのは大きな経験でしたね」

苦しいことも楽しいことも沢山あったが、何かをひとつやり切るまでは、という想いを抱きながら仕事に当たっていた、という並木。

並木 「実際、私が韓国にいた間でやり切れたことはあまり多くないと感じています。ただ、花の流通面の整備は、納得のいく仕事ができたかなと思います」

韓国はトレンドに対する興味やヨーロッパへのファッションへの憧れが強い。その一方で取り扱う花は、日本のものに比べて安価なものの質が低く、婚礼市場で求められている物が供給されていない状況だったという。

並木 「韓国の生産者も当時その点にはまだ注力できていなかったので、新たに日本とのパイプをつくり、日本から韓国に花を輸入する取り組みをしました。日韓の仕入れのパイプをつくることができたのは貢献できた部分だと思います」

地元の人が誇りを持てる場所へ。コロナ禍での地道な取り組み

▲10月にザ ランドマークスクエア オオサカで開催した地域貢献企画、「ええもんマルシェ」で

現在は大阪で運営しているレストラン5店舗を統括するマネジメント業務を担う並木。フラワー事業からレストラン事業への異動は前例が無かった。

並木 「正直、まさかレストラン事業にいくとは思ってもいなかったですね。もちろん、動きがあるのは知っていたのですが、韓国で仕事をしていたある日、当時の信頼していた上司と乗っていたクシーの中で急に『レストラン事業で並木の力を注いでくれ』と言われたんです。レストラン事業はもちろん未経験。知らないことだらけでしたが、『期待をされているのであれば、行きます』と返事をしました」

並木は、まず、本社でレストランの推進や営業支援を担うレストラン事業企画室(当時の組織名)でユニットマネージャーに着任。レストラン事業企画室では、数店舗あるレストランの運営をうまく行かせるための、商品企画チームやオペレーション改善チームがあった。

並木 「私の仕事は後者のオペレーション改善チームで、現場メンバーが使う帳票を改善するなど、普段の業務の効率化を図ることでした」

しかし、飲食ビジネスがどう成り立っているのかもわからない状態。まずはレストランの経営を学び、現場の声を聞いて反映させるということを2年ほど注力し続けたという。

その後、3カ月に1店舗オープンという急スピードで店舗数が増えたため、並木は現場のフォローに回ることに。名古屋に2店舗目ができた時に店舗に異動をし、名古屋店舗の統括を任される。

また、すでにあった大阪の施設も軌道に乗せるため、大阪の店舗も兼任。現在は大阪の2つ施設にある計5つのレストランを統括している。

並木 「PDPの運営するレストランは各店舗にコンセプトがあり、それに合わせた形で運営をしています。たとえばですが、大阪の中でも大阪城のすぐ横にある「ザ ランドマークエア オオサカ」は、立地上インバウンドのお客さんが多く、日本の文化や大阪の食を楽しんでもらえる場所をつくりたいというコンセプトがありました。

2017年の立ち上げ当初はそこがうまく表現されていなかったんです。日本のよき文化がある場所にはインバウンドの観光客が溢れてしまい、地元の人々の憩いの場がそうでなくなってしまうという課題を持っている観光名所は多いと思いますが、大阪城も同じで世界各国の人が多数訪れる場所になっていく一方で、地元の方々から反発もあったのも事実でした」

今、新型コロナウイルスの影響で、ターゲットになっていたインバウンドの観光客が来なくなってしまった中で、それをチャンスに変え、より地元の人が誇りを持って紹介できる場所にしようという活動を強化している。今年10月には、地元の農家や特産品の生産者を呼んでマルシェを開催、地元住民の多くの人にご来場いただいた。

並木 「そこに至るまでも、パートナーの農家さんや酒蔵さんを含め、さまざまなことを話し合いました。コンセプトや描いている未来を伝え、それまで取り扱えなかったものを仕入れられるようなルートづくりができるように交渉をしていきました」

「もちろん、いきなり私たちが行っても難しい場合も多いので、仲介業者さんのお力を借りてお店を知ってもらうことから始めたんです」

農家さんがつくった野菜で料理を考案し、実際にその農家さんに食べてもらったりすることも。

並木 「施設の3階にある「レストラン ラズベリー ウィズ ムーンバー」では、新しい和食のスタイルを洋風のコースで提供して、ペアリングを日本酒で揃えているのですが、実際に酒蔵さんに食事をとってもらいながら日本酒とのマリアージュを楽しんでもらうという機会もつくりました。

そうやって横のつながりを増やしながら、今では、地元の人が来たくなるようなイベントを本部と一緒に企画するなど、地道に活動を続けていっています」

「多くの人たちに“夢”と“可能性”を」みんなが笑顔で働ける環境にしたい

▲社員一人ひとりが常に携帯している企業理念が書かれている「PDP WAYカード」

並木 「PDPに入社して以来、怒涛の日々を送ってきたなとは思っています。SJFの恵比寿本店に行った当初は組織的にも課題があり、そこを立て直すために文化を変えましたし、新規事業の立ち上げにも沢山苦労がありました。しかし、そうした経験があったからこそ、課題にも柔軟に対応できるパワーが身に付けられたのかもしれません。

あとは、学生時代からフラワーアレンジメントの修行やコンテストへの出場など、精神的なストレスが掛かることも多かったので、そうした経験がベースになっていますね。前職も日本の中では大手の花屋だったので、仕事環境としてもシビア。競争意識や努力する意識はそこでも育てられました」

そして、今その意識を支えているのは、PDPが掲げる企業理念への共感だという。また「感動で満ちあふれる日本をつくってゆく。」というコーポレートビジョンは、もともとPDPでやっていこうと決めた時に、仕事をする上で持ち続けたいと思っていた気持ちと合致していた。

並木 「この企業理念を踏まえて、チャレンジできるフィールドを与えてもらっていますから、この企業理念やビジョンがある限り、自らも“感動”をつくっていきたいと考えいます。

PDPには、この企業理念やビジョンに共感する、同志的な人たちが集まってきており、経験はなくとも意気込みがすごいメンバーが多いんです。そういうメンバーを育てていけるのはやりがいですし、結果を出して成長していく姿を見られることも楽しみのひとつです」

PDPに入った時に、ある上司から「上に立つ人間の目標は数字をあげることだけでなく、下で支えてくれている人の人生を支えることだ」と言われたことが、いつも心にあるという。

並木 「新しいメンバーが増えていく中で、そのメンバーの人生を受け止め、みんなが笑顔で働ける環境をつくっていきたいんですよ。今後もこの考え方をぶらすことなく、役職が上がっても現場が声を上げやすい環境を維持する努力を続けたいです。

個人としては家族もいるので、自分の子どもにも自分自身の考え方や気持ちを伝え、その気持ちを持って将来巣立ってもらえるようになったらいいなと思っています」

常に変化の中で挑戦をし続けてきた並木。事業や公私を超えてこれからも変化をプラスに捉え多くの人に”夢“と"可能性”を与え続けていく──