働くことへの価値観を生んだ、母の姿──そして新卒入社直後の事件

「会社の社長になる」

これは、掛川が小学校時代の文集に書いた言葉だ。その夢の礎には、幼少期から見てきた母の姿がある。

掛川 「学生のころから、兎に角働きたいという意思が強くありました。私の母が40代になってから資格を取得したり、そのときそのときの環境に合わせて努力したりする姿を見てきて、私も母のようにしっかりと働きたいという想いを抱いてきたからだと思います」

そして、成長していくにつれて自分の働く姿へのイメージを膨らませていく。

掛川 「働く人ってかっこいいな、尊敬できるなと思っていました。夏休みは住み慣れた実家を離れて祖父母の家で過ごしたり、ある程度の年になったら兄のご飯などは私がつくったりとか。そういう自立的な環境で育った経験が、私の働くスタンスの根底にあります」

そうしてスタートした社会人人生。しかし、入社早々起こった稀有な事件から、彼女が持っていたイメージは覆されることになる。

掛川は新卒入社した企業で、東京 代官山をエリアとした営業職を担当することとなった。ノウハウもない中で飛び込みの営業を行うような、実践的な企業だった。

ところが、入社3カ月目のある日、突然社内クーデターが起こる。社員約1500人のうち、約1/3の社員が同日に会社を辞めてしまった。その日からは、一日8時間クレームの対応に追われる日々。それでも掛川はそれから約一年、ただ頑張り続けた。

掛川 「『君にはまだ未来があるから、転職をしたほうがいいよ』と、当時の上司が声をかけてくれました。それで、踏ん切りがついたのです」

そして選んだ次の転職先では、前職の仕事に対して抱かざるを得なかったネガティブな気持ちを治癒したいという思いもあり、安定して従事していけそうな営業事務職についた。しかしやはり掛川には何か物足りなく感じた。

掛川 「はたして自分の力で今何ができるかと考えたときに、“今のままじゃ何もできないな“と思いました」

そのころに起業を考えている人と出会う機会もあったことで、掛川の中で忘れかけていた思いが沸きあがってくる。

掛川「『今、変わらなければならない』と、このとき思いました」

前職から転職して3年目のことだった。

ターニングポイントにはいつも大事な「人」がいる

2007年にPDPに入社。

海外で活躍するフリーのウェディングプランナーに刺激を受けて、掛川はウェディングプランナーを志望した。志望した理由は、結婚式をつくり上げたいからではなかった。自分自身が武器になり、自立してできる仕事として魅力的だったからである。

そして入社してからは7年間、代官山にある婚礼のゲストハウスで働いた。掛川は当時のことを、青春だったと語る。

掛川 「青春って、何度でもつい話題にしてしまうようなことがたくさん生まれる場所だと思うんです。学生のころの部活や文化祭のときの思い出って何度も話してしまいますよね。そんなことが仕事の中でも築けた場所でした」

当時のことで一番思い浮かぶのは、自身が携わった結婚式での一場面以上に、裏舞台での同志たちと過ごした日常の場面。いつだって価値観の合うメンバーたちとの熱量の交換があった。

掛川 「お客様のことでも仕事のことでも、兎に角本当によく毎日会話していました」

やがて、上司の異動と同時にそれまでPDPになかった「ユニットマネージャー(以下UM)」という役職が新設され、そこに掛川が抜てきされる。掛川には、その施設の“ウェディングチーム”のメンバーを束ねることが期待された。

掛川 「そのときは、自分の努力が認められ、そこにたどりつけたというのが素直に嬉しかったです。そのときはただそれだけだったし、まだ、マネージャーとしてそんなに人を大事にできていなかったと思います」

それまで、自分自身の成長に重きを置いて行動してきた掛川。もともとあった主体性や積極性を生かす場がUMになってからは、突如場面を選ぶようになる。

マネージャー昇格が個人主義を卒業する転機に

掛川はマネージャーになるにあたって、そのあるべき姿を上司から学んだ。

掛川 「上司には、『掛川はミーティングでは思いつきで発言しないで。もし、発言することがあるなら事前に相談して、みんなが迷うから』と言われました(笑)」

当時の役員に呼ばれ“あなたはなんのためにいるのか”と問われたこともある。

自分の発言ひとつでメンバーが動き、自分のイメージはチームの評価にもなる。自分が誰かを不幸にしてしまうかもしれない。心が痛む場面も少なくなかった。

掛川 「でも、上司の言う通りだと思いました。この時徹底的に責任感を植えつけてもらったと思っています」

マネージャーに昇格し、責任感と人間関係の重要性を知らされたことで、掛川の価値観が変化し始める。

掛川 「関わってくれる人たちの存在のありがたさと、お客様からいただく喜びや学びがどれだけかけがえのないものであるかを痛感したことがきっかけです。これ以降、私は周囲の人に全力で関わっていきたいと思うようになりました」

掛川は、今まで見てきた上司の姿から、自らのマネージャーとしての姿勢をつくりあげていった。

掛川 「私がマネージャーになる前の上司は、兎に角一つひとつの備品に対してもとても丁寧で、厳しかった。入社当時の私はまだまだ未熟だったので、『最初はなんでそんなに大事にするんだろう。

もし備品が割れたら買えばいいじゃないか』とさえ思っていました。また別の上司は、根気よくメンバーを成長させようという姿勢が記憶に刻まれています。何を会話していても“成長させてあげたい”という気概を感じて、とても影響を受けました」

“細部まで一つひとつを丁寧にやり遂げること”

“メンバーの成長にコミットすること”

掛川が理想のマネージャー像として抱くこれらの上司の姿勢は、当時の会場の偉業にもつながっていった。

代官山のゲストハウスは、掛川が在籍して3年目に過去最高の結婚式の施行数を達成した。また社内の売上げ目標を達成するキャンペーンで、何度も一番乗りを果たした。

掛川 「自分がマネージャーではなかったときに、自分自身がそのマネージャーと一緒に仕事をして変化したという経験や、今の自分がいるというありがたさを、今度は自分が誰かのためにそうありたいと思うようになったんです」

掛川はマネージャー昇格を自分の仕事に対する価値観の変化につなげていった。

日常を大切にすることができれば道はきっと開ける

掛川は施設の支配人であるゼネラルマネージャーを務めた後、二度の産休育休期間を経て、人事部にあたる人財開発室に従事した後、商品企画室のマネージャーを打診されることになる。

掛川 「子育てとの両立に正直不安もありましたが、マネージャー職に就いて成長したい」という想いが勝りました」

このとき思い出したのは、現場で上司から学んだマネージャー像だ。

掛川 「現場で働いていた、あのときのイメージが残っていたからこそ、『いずれはまたマネージャー職に」と想い続けていたのです」

丁度そのころ、「復帰支援から戦力化支援へ」と銘打たれた、育児をしながら働く女性への支援制度“ポジティブママズ制度”が改定されたことも、掛川の背中を押した。

掛川 「現行の制度は、自ら選択した時短幅と、職種ごとに基準が設定された”ママコミットメント“の適用有無に報酬体系が連動しているので、以前のような”気負い“がなくなりました」

自身の想いと、会社の新制度の後押しを受けてマネージャー職に復帰した掛川は、仕事の楽しみは「青春」であると語る。

掛川 「私にとってはチームを持つことがすべて。メンバーの成長や喜びにふれる瞬間は、モチベーションの源泉にもなっています。

何度でも話せる思い出の生まれる青春が、仕事の中で実現できれば、人生の楽しみが増える。私がまさに経験してきたことです。これをメンバーにも味わわせてあげたいです」

掛川の念頭にいつもあるのは「日常が宝」という想い。高い目標を掲げるのは意義のあることだが、“今”をより豊かにするために努力を重ねることでも、おのずと道が開けていくはずだと考えている。

掛川 「入社当時から憤りや失敗なんかも全部受け止めてきた。至らないことだらけだったけど、誠実に柔軟に謙虚に受け入れてきた。その日常の積み重ねがあったからこそ、今が在るって思っています」

掛川の言う“日常を大切にする”とは、自分にとって良いことだけでなく、都合が悪いことまで跳ね返さず、すべてを受容することだ。

掛川 「若手のメンバーにとっての”天井“を上げていけるように、より豊かな人間になって生きたいですね」

掛川は母親そして上司からもらった宝を、これからも自分が関わる人につなぎ続けていく。