ひとつの景色が人生を導いた

▲FBS企画室 ゼネラルマネージャーの佐久間 直樹

佐久間が担うFBS企画室の役割は、食を中心として多岐にわたる。まず、PDPが運営するすべての施設で提供している食材や飲料の流通を、安定的に社内に供給すること。

そしてメニュー開発をハンドリングし、店舗から上がってきたメニューのアイデアを精査していき、実際に提供できる状態までつくり上げること。それにとどまらず、新店舗オープンでは産地などパートナーの新規開拓や、ディベロッパーへメニューのプレゼンテーションまで担うこともある。

今は包丁を置き、PDPにおける食の流通、その中枢を担う佐久間。料理に携わることになる原体験はあるひとつの風景だった。

佐久間 「原点は、中学校二年生のときにホームステイで行ったアメリカでした。広大な景色を目の当たりにして『こんな広大な土地、全然日本と違う。日本なんて狭すぎる』とカルチャーショックを受けましたね。

そして、ここで料理をつくったらめちゃくちゃ楽しそうだなと思ったんです。なので日本に戻ってから、調理師免許と学業の卒業資格が取れる学校に入学しました」

その後、調理科で技術を磨いた佐久間。そこでひとりのシェフに出会う。

佐久間 「その学校には、有名な音羽 和紀シェフという方がいらっしゃいました。この方はフランス、リヨンにあるレストラン、アラン・シャペルに日本人第一人者として修業に入った方で、宇都宮にいらっしゃる巨匠です。

学校のカリキュラムのひとつだったと記憶していますが、音羽さんと一緒にフランスにも行って、いくつかの星付きレストランで研修もさせていただきました。そして、いつしか和食からフランス料理をやりたいなという気持ちに変わっていったんです」

当初は「ただかっこいいから!」そんな理由でフランス料理を志した佐久間だが、その決断がさまざまな出会いや経験を生んでいく。

成長を目指す中で出会ったPDP

▲今では自身が専門学校で学生に指導をする機会も

19歳のときに、門をたたいた代官山のレストランが初の就職先。そこでは、サービスから始めた。なかなか厨房に入れない時期も続いたと言う。その後は横浜のシェフのもとに従事し、そこでたたき上げられる。

佐久間 「ものすごく熱いんですよ、横浜のシェフたちって。良い意味で“打倒 東京”といった心意気なので。横浜でシェフクラブの方たちとも交流を深め、勉強させていただきました」

茅ヶ崎でレストランの立ち上げにも携わった佐久間。その後の企業で、ある人との再会が待っていた。

佐久間 「そのレストランは、当時はまだ珍しいフルオープンキッチン仕様になっていました。360度ガラス張りで、すごく有名なデザイナーの設計でした。そこで料理をしたいなと思いましたね。

なんと、意図していなかったんですが、音羽シェフが監修に入っていたんです。そこから音羽さんに面接をしていただいて、そのまま入社しました。音羽さんのメニューの料理もつくることができて、感慨深かったです。

その後、前菜の担当やパティシエ、ウェディングケーキもつくったりしながら、3番手くらいのポジションになったころPDPと婚礼のアライアンス提携が決まりました」

その後、PDPのM&Aが決まり、それをきっかけに佐久間はPDPのメンバーとなった。迷いはなかったのだろうか。

佐久間 「いや、とにかく光しか見えなかったですね。自分自身、自己成長の欲求が強かったんです。『料理長に20代でなるぞ』と目標を決めて、試行錯誤していく中でのM&Aでした。

当時、PDP代表の杉元 崇将が4回くらいわれわれを集め『今ここでマッチングしない、自分のビジョンと合わない場合は、続けない方がいいと思います』と言ったんです。そのとき、私はここで勉強できたら鬼に金棒だなと感じましたね。

とにかく、ガンガン突き進もうとしている勢いが感じられました。特別な資料があったわけではありませんでしたが『この社長すごい!』という想いから始まったのかもしれません。明確なビジョンを言葉でずっと伝えてくださったので」

その後、佐久間の成長意欲はレストラン事業にとどまらないフィールドでの活躍につながっていく。

マルチを目指す中で出会った困難

▲一会場GMだった当時の佐久間

佐久間 「PDPで私がレストラン事業だけでなく、ウェディング事業にも関わり始めたのは、ある会場での“オープン前キッチントーク”がきっかけでした。

“オープン前キッチントーク”というのは、婚礼の下見にいらっしゃったお客様に会場の魅力をキッチンメンバー自ら語るというアクションです。料理人で、ここまでお客様をつかめるようになったら半端じゃないなと思ったので、ワクワクしながらガンガンやりました。

ウェディングプランナーをまねてスクリプトをつくり、『キッチンでご成約をいただこう!』くらいの気概だったんです。マルチにやることも自分の生き残り作戦だと思ってましたね」

やがてキッチンメンバーから、一度本部機能にあたるFBS企画室に入った佐久間。その後、ウェディングや宴席の事業も統括する会場のゼネラルマネージャー(GM)も担うことになる。

佐久間 「一度本部を知っているからこその、一会場GMの動きを考えました。そもそも、ウェディングもレストランも業務を縦で分けるべきじゃないなと思ってたんです。

お客様に感動していただける“コト”を提供するというのであればそこにある料理、ワイン、サービス、そしてつまるところ人対人でどうすべきかと考えてましたね。

まずは大きな目標が必要だなと思いました。セクションを越えたビジョンというものを大きなポスターでつくって、みんなで同じ方向を向こうかなと。ここに力を注いだのが最初ですね」

そう意気込んで心血を注いだマネジメントにも、実際にはたくさんの困難があった。

佐久間 「会場のメンバーにはいろいろ問いかけ、方向や目標は立てられました。しかし、それをぐんと伸びる何かにつなげられたかというと、まだ引っ張り切れていなかったのかなと思います。

もしくは引っ張る必要はなかったのかなと思うようになりました。実はスペシャルメンバーがいっぱいいたんです。それぞれが良いものを持っていたのに、佐久間のやり方という型にはめる必要なかったんじゃないかと……。必要な機動力だけ注ぐというやり方もあったかもしれません」

そして佐久間は2020年現在、再びFBS企画室で会場メンバーの発意を生かし、組織や商品を開発している。

人との出会いや想いを起点とし、自分ができることを一生懸命に

▲産地の視察をし、レストランがある地場の地域循環やパートナーシップが大事だと佐久間は考えている

佐久間 「私の役割は、店舗メンバーの感性を養うような時間や機会をつくること、そして日々の業務では見失いがちな、圧倒される場面や景色に出会わせることだと思っています。そのために私ができるのは、協力してくれるパートナー様との関係性づくりですね」

2020年の今、PDPは婚礼で培ったノウハウを生かし、レストラン事業を第二の柱として成長させている。さらに大型でレストランや結婚式も実現可能なスケールを生かした施設を展開しながら、一方でそのレストランがある土地の文化、食材や特性を生かすことで、地元の人と共存も目指す特化店の展開も。PDPはこれらふたつの市場を視野においている。

佐久間 「これまで育んできたスケールメリットを生かしたパートナーシップを強化する一方で、まだ企業規模が小さかったころに、小さかったからこそつながれた生産者との関係性が、生き始めています。

PDPのレストラン事業も、スケールとプレミアム感の両方を求められている今、生産者とどういう風にやれば実現できるかというのはなんとなくわかっているんです。

それを私が料理人にお膳立てして接続をし、そしてサイクルできるようにする、それがやれると、より地場に愛される店づくりができるのではないかと思いますね。

店舗のメンバーもどういう風に野菜を使って、どういう風にお客様にご提供して、どんな言葉をもらっているかというのが見えてくれば生産者をもっと大事にして、より良い関係が築けていけるはずです」

GMとしてPDPのこれからをどう見据えているのか。

佐久間 「通常なら他社が『それは無謀だよ』と思うことをPDPはチャレンジし続けています。たとえば7席のところで出すクオリティを80席でも実現しようとするところとか。

すごいジレンマですよ。いつも難しい方に行くことを選択する。でもあえて、難しいことを追求していくことが、他社との違いだなと思っていますし、そういう部分をいつも頑張りたいっていう想いがありますね」

PDPが持つ可能性に一生懸命応え続ける。これからも佐久間の成長は続いていく。