海外留学で広がった視野が、転職のきっかけに

article image 1
▲未経験から、モノづくりエンジニアへ挑戦した浅田の人生とは

小さい頃からものづくりが好きだった浅田は、総合デザインの専門学校でインテリアデザインを学んだ後に、新卒で建築事務所に就職。そこで空間デザインの仕事に従事しながら、感覚的なデザインではない、図面制作のスキルを少しずつ身につけていきました。

浅田 「建築の設計現場では、安全性と共に生活環境や用途にあった機能性、デザイン性などが求められます。そのためには、間違いのない緻密な設計図が求められます。学校では感性やパッションを重視する課題が多かったため、建築の設計は慣れるまで時間がかかりましたね。ただ、ここで培った基礎的な“図面を書く力”は、今の仕事の礎になっています」  

その後、不景気の影響もあって、建築事務所から外部への出向を命じられた浅田。「このままこの会社に居続けることが正解なのか」と疑問を抱きはじめた彼女は、会社を退社し、短期留学をするためにカナダへと旅立ちます。 

浅田 「留学中は老若男女、世界各国のさまざまな人々と交流ができて、たくさんの気づきが得られました。それぞれの留学のきっかけや、今後の夢や目標の話を聞いていると、『すごいな、みんな強くてカッコいいな』と感じるとともに、自分の視野がどんどん広がりました」  

世界の広さと価値観の多様さに触れ、自分の気持ちの整理が着いた浅田は帰国後、転職活動を始めます。そして彼女の目に留まったのが、パーソルR&Dの前身である日本テクシードの求人募集でした。 

浅田 「90年代後半の当時としては珍しく、テクシードは女性のトレーサー(図面を書く設計者)を募集していたんです。『今までの経験が生かせそうな、ものづくりの現場に携わりたい』と考えていた私にとってピッタリな求人だと思い、迷わず応募しました」  

無知を受け入れて、相手のふところに飛び込む勇気

article image 2
▲歴代上司&2017年現在の上司と。「私は本当に人に恵まれています」と浅田は語る

1997年、テクシードに入社した浅田が最初に配属されたのは、海外との取引を担当する課でした。

浅田 「最初に配属された課では、海外拠点用の図面作成や簡単な翻訳作業、プレゼンの資料作りなどの仕事がメインでした。イメージとは少し違っていましたが、当時は留学から帰ってきたばかりで『もっと英語を勉強したい、また海外に行きたい』と思っていたので、業務で英語に触れられるのは楽しかったです」  

海外設計業務を9年ほど経験した浅田は、いよいよ本格的な開発や設計を行う課に異動しました。ここから、彼女の苦難と奮闘の日々がはじまります。  

浅田 「前職で建築の設計経験はあったものの、いざ機械的な設計に向き合ってみると、わからないことだらけで。“図面を描く”という行為は一緒ですが、根本はまったくの別物。ゼロから勉強し直す必要がありました」 

理工系の大学出身ではない浅田にとって、機械設計の世界はほとんど未知に近い領域でした。彼女は業務外の時間も費やして、懸命に勉強し続けましたが、すぐには現場で通用するレベルに追いつくことはできません。 

しかし、経験者として中途で入社し、社歴も積み重なってきた浅田に割り振られる仕事は、着々とレベルアップしていきます。彼女にとっての最大の試練は、設計担当としてクライアントと話をすることでした。  

浅田 「クライアントは当然、私のことを機械設計の知識がある人材と認識して、いろいろと相談をしてきます。正直に言うと、最初は相手が何を言っているのか全然わからなくて……。お客様から遠回しに『なんでこんなことも知らないの?』と言われることもあり、当時は本当に申し訳なさでいっぱいでした」 

ただ、圧倒的にアウェイな環境の中でも、浅田は折れませんでした。留学時に養った“強(したた)かさ”を武器に、コミュニケーションから活路を見出していきます。  

浅田 「わからないことでモジモジしていたら、余計に相手をイライラさせてしまいます。だから調べてもわからない事は『すみません、わからないので教えてください』と、その都度聞くようにしていました。わからないことをそのままにして話を進めてしまうと、後で大きなトラブルにつながってしまうからです。 
勇気を出して素直に謝り、相手のふところに飛び込むこと――知識や経験が足りなくとも、こちらから最大限の誠意と努力を見せれば、お客様も快く対応してくださることが多かったです。ただ、無知を承知で何かを伺うときは、タイミングが大事ですね。相手と話が出来る状況かを見極めて声をかける、お腹がすいていなさそうな時間帯に聞く、とか(笑)」  

言葉というナイフで、人を刺してはいけない

article image 3
▲女性エンジニア同士の交流も大切にしており、プライベートで温泉に行くほど仲良し

入社して早20年。2017年現在、高級車のエンジン部品の設計という、高度な専門性と緻密さを要求されるプロジェクトに携わっている浅田。弛まない努力の甲斐もあって、今では社内外を問わず、周囲に頼られる存在となっています。

浅田 「最初のうちは、できないことが多すぎて、苦しくて逃げ出したくなることもありました。けれども、ものづくりの楽しさは、苦しさの先にこそあるんだろうなと思っていて。壁が高ければ高いほど、乗り越えた時の達成感は大きくなります。それを、一緒につくってきた仲間と分かち合えるのも素敵ですよね。  
苦しいからこそ楽しい――ものづくりの現場が、私はやっぱり好きなんだなと、最近あらためて感じています」  

そんな浅田には、日々の業務で大切にしている信条があります。それは、彼女が敬愛している祖母からよく聞いていた「言葉は見えないナイフと同じ。一度刺さったらなかなか抜けない。だから、言葉は気を付けて使わないといけないよ」という言葉です。 

浅田 「言葉で受けた傷って、記憶の中で跡になって残るものなんですよね。なので、私はなるべく話し出す前に一息置いて、相手を傷つけるような表現にならないよう、言葉を選んで話す努力をしています。  
それでも、こちらが意図しない部分で、相手の気分を害してしまうことがあります。そういった場合は、それがどんなに小さなすれ違いだとしても、なるべく時間を空けないように、その日のうちに解決しようと心がけています」 

浅田が大勢の人から頼りにされているのは、彼女の日々のやり取りにおける繊細な気遣いを、周囲の人々が感じ取っているからでしょう。  

浅田 「自分は周りに比べて、知識や技術が圧倒的に不足していて、会社にもクライアントにも迷惑をかけてきました。けれども、私の周りの皆さんは本当に優しく、助力してくださるばかりで。自分も恩返ししたい、皆さんに貢献できることを……と考えた結果、知識がなくてもできる気遣いなどに、意識が向いたのだと思います。特別なことは、何もしていないんです」

誰もが働きやすく、働き続けられる職場環境を目指して

article image 4
▲パーソルR&D女性エンジニアの仲間たちと、企画開催に向けた会議を行っている

日本テクシードが同じグループ会社のDRDと統合して、パーソルR&Dへと社名が変わり、周りの環境が少しずつ変化している中で、浅田は2017年現在、とある社内企画を立ち上げようとしています。

浅田 「私たちの会社は今なお、社員の9割以上が男性です。今後、会社としても多様性を重視するため、女性社員を増やしていく方針をとっています。そんな背景もあって、私は『女性が入りやすく、働きやすい職場環境をどうやって作っていくか』を考えるプロジェクトをはじめようと頑張っているところです」  

男性色の強い職場において、より女性が働きやすくなるためには、まず「相互理解」が必要だと、浅田は考えています。  

浅田 「うちの男性社員、本当にすごくいい人ばかりなんです。でも、真面目で誠実だからこそ、ちょっと固さがある部分もあって(笑)。性差における働き方や体調変化の違いについて、お互いの理解が今より深まれば、もっと働きやすい職場になるはず……そんなきっかけになる場づくりを、これから手がけていきたいですね。  
また、女性社員に向けては、気軽に相談ができるようなネットワークづくりを検討しています。同性じゃないと相談しにくいことって、やっぱりあると思うので。まだまだ社内でも人数が少ない分、見える形でセーフティとなる場所を用意できたらなと。この会社を選んでくれた後輩には、ぜひ長く、楽しく働いてほしい」 

ほぼ未経験でエンジニアリングの世界に飛び込んだ浅田は、幾多の壁を持ち前の勤勉さと気遣いで乗り越えてきました。そして彼女は後に続く女性社員のため、会社全体のために、新たな試みに向き合おうとしています。  

堅実ながらも、挑戦する姿勢を絶やさない――そんな浅田の存在はきっと、パーソルR&Dだけに留まらず、パーソルグループ全体における、大きなロールモデルになるでしょう。