新卒入社後に過ごした、やりきれぬ気持ちを抱えた5年間

▲出向先の野球部の試合後の草野

草野 裕吾のキャリアがスタートしたのは1988年のこと。

はじまりは、「人の食生活を支えたい」という想いでした。

草野 「僕は農学部出身なのですが、就職活動を始めた1987年当時、世間では将来の食糧危機が叫ばれていました。その一方で国がオレンジ、乳製品や牛肉などの輸入規制を解除し、食糧の自由化を目指すことが報道されていたんです。そういう機運もあり、海外から食糧を輸入調達して販売する仕事に就きたい一心で就職活動を始めました」

食糧専門の企業や商社を中心に見ていた草野。調べていく中で、イトマン株式会社(後の住金物産。現:日鉄物産に吸収合併)に出会います。

草野 「イトマンは食肉に強い上に国家管理品目を扱う権利を持つ、国の指定商社でしたから、『ここであればやりたいことが実現できる』と感じました。また当時はバブル後期で売り手市場の中、イトマンが熱心に地方の国立大学を回っていたことが決め手でしたね」

こうして入社した草野は、畜産販売第一課の牛肉チームに配属。思い描いていた仕事についたものの、担当した輸入牛肉は国家管理商品故に企業が自由に売買できなかったのです。

草野 「国が決めたものをひたすら輸入する仕事で、理想と現実との差に愕然とし、仕事に身が入らなくなってしまいました。悶々としながら、入札書をつくったり、運んだりする仕事をしていたので、ミスも起こるし作業効率もだんだんと悪くなって……。

そんな中、見かねた上司の判断で当時取引先だった食肉加工卸売会社に出向することになったんです。『いずれ自由化される業界だから、今のうちに勉強してこい』と」

入社3年目からの2年間を出向先で過ごすことになった草野。出向先の社員と一緒に早朝から作業場に入り、肉を捌き、パック詰め・箱詰め作業に従事。午後は配達です。さらに、夕方には先輩たちが買った肉を工場に持ち帰り、翌日の加工作業準備をする──そんな食肉加工現場での仕事に明け暮れる日々でした。

草野 「憧れのスーツ姿で仕事をする商社マンになった筈なのに、なぜか作業服の日々でしたね。(笑)。でもその後、出向先の社長とは結婚する時に仲人になってもらうほどの関係になりました。

この社長には社会人としての規範や食肉の基礎知識など、その後業界で生きていく術の多くを教えてもらったんです。そしてなんと言っても商品知識が身につきましたね。出向前、国が指定する牛肉のみを輸入していたときは商品を写真とコードナンバーで管理していたので、肉の知識はほとんどありませんでしたから」

そして、入社5年目に帰任。その頃には牛肉の輸入自由化が実現し、自由に商売ができる環境の中で草野は同じ部署に戻り、再スタートを切ります。

草野 「本社に戻ったものの、商社の仕事がわからないまま出向したので、後から入社した後輩たちの方が僕よりも仕事ができるわけです。なので帰ってきたあとの1年間はまた見習いのような感じで、ほとんど会社には貢献ができませんでした」

この5年間で感じた煮え切らない悶々とした気持ちと焦燥感が、負けず嫌いな草野の心に火をつけました。この経験が海外の地でさらなる展開を見せていくことになります。


災い転じて福となす。オーストラリアの地で掴んだ千載一遇のチャンス

▲出向先のオーストラリア事務所で部下や同僚と

取引先から帰任後は牛肉輸入自由化の波に乗って原料買付で海外に出向き、営業で全国行脚の多忙な日々が続きました。

その後2001年に、草野はオーストラリアのメルボルンにある住金物産豪州会社へ出向することに。

草野 「その頃社内では誰よりも牛肉のことがわかるような状態で、海外のサプライヤーとも専門的な話ができるようになっていました。

日本のお客さんのニーズを供給基地へフィードバックすることが得意で、加えてオーストラリアで和牛の血筋を継承させ、高級牛肉を生産するプロジェクトのリーダーだったので僕が海外出向することになったんです」

オーストラリアでは、牧場や食肉加工場に足繁く通い日本市場向けの原料調達、商品開発、契約管理や輸出業務などさまざまな業務をしていました。

草野 「しっかりとミッションを持って海外に行けたのは、良い経験でしたね。今は語学研修と実務研修両方を経験できる『海外チャレンジ制度』のように、充実した研修体系や研修内容がありますが、当時はそこまでではなかったので、仕事をしながら英語を覚えていました。

オーストラリアで過ごした3年間は日本で経験してきたことを活かせた上、実業を通して英語も覚えたり、ゴルフも上手くなったり(笑)。何より人脈が広がって貴重な経験となりました」

オーストラリアで順風満帆な日々を送っていた草野。ところが、思いがけない事態を迎えることになります。

草野 「2004年ごろに世界で牛海綿状脳症(BSE)という家畜伝染病が蔓延。日本では米国をはじめBSEが発生した国からは牛肉の輸入ができなくなってしまいました。唯一輸入できたのがオーストラリアとニュージーランドでしたが、風評被害により牛肉そのものが販売不振で利益が出ていない状況でした」

そんな危機的な状況で、のちに大きな花を咲かせる出会いが訪れました。それが台湾にある外食企業との出会いでした。

草野 「オーストラリアのとある飲食店のオーナーに日本に帰る話をしたら、『紹介したい人がいる』と言われて。それがのちに業務提携を果たす、台湾の焼肉チェーン店の社長でした。

当時、台湾でも日本同様、狂牛病により米国産の牛肉が手に入らなくなり、その社長は代替としてオーストラリア産牛肉の調達調査をしていました。しかし当時まだ4店舗しかなかったため、どこの商社や専門業者からも相手にされず、途方に暮れていたんです。

僕も日本での販売不振は深刻で牛肉が売れず困っていたので、『4店舗でもいいから買ってくれ』ということで、取引をするようになりました。その後その会社は当社供給の豪州産牛肉を糧に、あれよあれよという間に急成長を遂げることとなります。

あるとき商品取引のみならず当社とのパートナーシップを強化し、店舗及び経営拡大を果たしたいという話となり業務提携話が持ち上がり、僕に経営参加してほしいと声がかかったのです」

草野は日鉄物産(当時:日鉄住金物産)からの出資を条件に役員として招かれることに。2011年には台湾へ赴き、取締役商品本部長として食材仕入れや牛肉の加工指導、商品づくり、商品管理や物流整備をするようになりました。

草野 「台湾での3年間では豪州駐在の経験のみならず、若いころに出向した食肉加工卸売会社での経験が活きましたね。体得していた食肉の加工技術や肉の目利き、川下の流通現場の実態を体験できたあの2年間がその後の業務に活かされたのです。

その間出会った多くの人たちに支えられ、心折れずにやってきたことで人間としても成長することができました。その台湾企業は台湾のみならず中国本土へも進出し今では内外ビーフチームのトップ10に入るお客さんで、ビジネスも人との交流も盛んなんです」

自由な社風に支えられながら、二足の草鞋で事業を推進

▲台湾出資先の中国・深圳 開店記念イベントで、会社幹部や株主たちとの一コマ

台湾へ3年間出向した後、2014年に帰任。草野は前年に設立された新規事業推進室の室長となりました。

草野 「本音としては『何もないところから新しいことをするのか』と思いましたね(笑)。この部署のミッションは、新しいビジネスを起こすこと。事業投資やM&A他これまで取り組んだことのないビジネスを手がけることになりました」

当時の新規事業推進室は少数精鋭の3名チーム。室長としても奔走する一方で、台湾の出資先の非常勤取締役を今も担っています。その後両社の更なる関係強化につながる増資を2度にわたり実現。

草野 「台湾案件以外で手掛けた主な仕事として、国内加工食品会社のM&Aで子会社がひとつ増えました。さらに2020年4月、将来の事業領域を広げるために『植物肉』プロジェクトを立ち上げ、取り組みを加速させるために動物性代替蛋白質を製造するスタートアップ企業へ投資して資本業務提携します。

植物肉のビジネスは一見すると当社が主業とする食肉のビジネスと利益相反なのですが、人口増加による将来の食糧危機を見据えた次世代食糧分野の位置づけです。フードテックと呼ばれる食品製造の技術革新で大豆等植物を肉に似せてつくることができるようになり、今ではファストフード店やコーヒーショップなどでも取り扱われています。

また、畜産業は二酸化炭素の排出、牧場づくりのための森林破壊、悪臭問題など環境負荷が大きい産業です。このプロジェクトを通して当社が掲げるSDGs取り組みへの貢献とともに、既存食肉事業との共存共栄を果たしていきます」

幅広いフィールドを駆け回る草野。こうも自由に働ける背景には、日鉄物産の社風がありました。

草野 「日鉄物産のいいところは社員に裁量権を持たせ、自由にやらせてくれることだと思います。商社の業務は分業化されていないことが多く、自部署でなんでもやらなければいけない。逆に言えばなんでもできるということですから、これがおもしろいんです。

もし、自分にできない分野があるなら、得意な人間を社内外から連れてくればいいだけです。やはり、大きなことはひとりではできません。それは、組織にいるからこそできるので積極的に活用しようと思っています」

さらに、草野は新規事業推進室での経験から、新しいことをする上では「ばか者・若者・よそ者──BWYと呼ばれる3つの異なる人材」が必要だと言います。

草野 「B・ばか者はいわばとんでもない変わり者、ちがう視点を持っているからこそ新たなアイデアを生み出す。W・若者は若いからこその行動力がある。Y・よそ者は全く違う業界の人脈や思いもよらない考えを持っている。

この3つの要素が揃うと化学反応が起きてあらたな価値や事業が産み出されると言われています。当室もようやくBWY人材が揃ってきましたのでこれからが益々楽しみです」


チャレンジし続ける。その先に思い描くのは、自身の変化と若者たちの成長

▲新規事業推進室で取り扱う最新の動物性代替蛋白質製品と

30年以上にわたる長いキャリアを通じて、草野はある言葉を大事にしてきました。

草野 「僕は『変わらないために変わり続ける』という格言が好きです。簡単に言えば、チャレンジを続けることです。サラリーマンは自分で仕事の領域を決められません。裁量権はあっても人事権は会社が握っているわけですから。

その就業環境で待遇を上げながら豊かな生活、好きなことをしようと思ったら、自分の信条を少し曲げてでも会社から変化を求められる使命に順応していくため、自身が変容する必要があります」

実際に、草野は“商社パーソンとして楽しく活き活きと生きていく”を実現するために、会社の要請、新たな環境の変化を受け入れ臨機応変に順応することへの意識を強く持っています。

草野 「今思えば、転勤を含めてこれまで経験してきたことや処遇にはすべて意味があって、無駄はひとつもなく、連続性があると感じます。僕の根幹にあるのは楽しく生き、何事も楽しむことです。仕事が楽しくなかったら週末も楽しくないですし、余暇を楽しめなかったらが仕事も続かないですからね」

こうした変容に対峙する想いを持つ一方で、チームプレイが必要不可欠な商社業界に対し、部下の育成にも取り組む必要があると言います。

草野 「今後は自身が環境の変化に順応することはあっても、飛躍的に成長することは難しいと思ってます。世の中の価値観が変わってくることを自分の頭ではわかったつもりでいても、これからの時代を担う若者たちの本音やニーズは徐々にわからなくなってくる。

それであれば、次の世代が楽しいと思えることに取り組んだり環境をつくったりしたいんです。植物肉の事業などはまさに将来に向けた布石です」

若い世代に向けた土台づくりへ想いをよせる草野。自身の部下へ向き合う姿勢にもこだわりがあります。

草野 「まず、僕から意見を言わずに喋らせることが大事ですね。喋らないことで部下が育つんです(笑)。やはり部下は『どう思いますか?いいですか?』と判断を仰ぎに来ることが多いのですが、そういう時は『考えてください』と自分の意思や答えを持って相談にくるよう伝えています」

さらに今後は、どんどん現場からのアイデアを吸い上げられるような環境が必要だと考えています。

草野 「大手総合商社は事業投資や事業経営がメインで、物販は主に子会社や関連会社が担っています。しかしながら日鉄物産のような中堅の商社では物販を中心に据えて投資などで事業の幅だししていくことを求められるんです。

最近当社へ入ってくる新人の能力やポテンシャルはかなり高いので、これからの世代はさらなる事業拡大に向けて、物販と事業投資の両立を間違いなく果たして行けると思います」

いつまでもミッションを持って取り組み続ける草野。
これからも将来に向かって自分自身を変化させ続けていきます。