理系卒でも商社を選んだ、その理由
商社で働く魅力──
若いうちから裁量を持つことができ、グローバルに活躍できるフィールドを有しつつ、
答えやゴールのない課題や問いに対し、自分なりの解を見いだしていく仕事、それが商社のダイナミックな魅力の一面だろう。
そんな商社の魅力を体現しているのが、産機・インフラ事業本部 機械・鉄道機材部で部長を務める、大尾嘉だ。大尾嘉は部のマネジメントと並行して、日本・中国・アメリカにある機械・鉄道グループ関係会社5社の主管業務を担当。
そんな大尾嘉は、現在に至るまで、社内でも珍しいほど多くの種類の仕事や出向を経験してきた。
日鉄物産は、2013年に日鐵商事と住金物産が合併してできた会社であり、その住金物産が1993年に吸収合併したイトマンという商社がある。このイトマンに1991年、大尾嘉は入社した。
実は、大尾嘉は工学系の大学院を出ており、理系の就職先としてはメーカーが一般的。そんな中、商社に就職するというのは、当時では比較的珍しい進路であった。
大尾嘉 「少し動機は不純ですが、一つのことを深掘りする研究に対する情熱がいつの間にか薄れていたというのが、メーカーに就職しなかった理由のひとつだったと思います。
その一方で商社を選んだのは、海外で仕事をしてみたいという思いがあったのと、お金ではないものを扱うことに魅力を感じたこと、それに商社であれば理系のセンスが通じるのではないかと考えたからです」
理系という枠にとらわれることなく、商社への就職を選んだ大尾嘉。その選択の理由となった、海外の仕事に携わること、お金ではないものを扱う魅力の真髄を入社後、自身の努力とチャレンジ力で体感していくのである。
度々の配属転換と出向、その先にかなえた海外勤務
入社後は大阪に配属され、産業機械第二課に所属した大尾嘉。直後に東京へ異動となるが、いずれでも繊維系機械を扱う仕事に従事。そして1996年からは、当時子会社だった企業に出向となり、ヨーロッパから手術用の医療機器を輸入する仕事に携わることになる。
大尾嘉 「個人としても希望していた、海外製品の輸入販売に携われたのは貴重な経験でした。出向ということで人間関係の難しさなども経験しましたが、同世代の人とはものすごく仲良くなって、今でも交流があります。ここでの経験は、私の商社人生において大きな起点となりました」
2年間の出向を経て本社へ帰任したあとは、東京機械部 産業機械課に所属。ヨーロッパからの輸入製品販売に携わり、このとき扱っていた製品の商権を持ち、2度目の出向を経験することになる。
日本でさまざまな仕事の経験を重ねる大尾嘉が、海外で仕事をしてみたいという希望をかなえたのは、2005年のこと。初の海外駐在となったアメリカでは、日本の工作機械メーカーの北米における統括代理店として、アメリカ、カナダ、メキシコ、ブラジルなど米州全域に製品を販売した。
大尾嘉 「キャリア的にもそういうタイミングだったのだと思います。海外を希望していた私の想いがようやく届いて実現したものでした。
このときは、10年もいることになるとは思いませんでしたが、最初から7~8年の長期になるとはいわれていました。赴任当時は一駐在員だったので、最前線というよりは後方支援が中心でしたが、営業もやりましたし、徐々に経営にも携わるようになりました」
そして、2006年には駐在していたKITAGAWA-NORTHTECHの取締役に就任。約10年間をアメリカで過ごし、2015年に日本に戻った。そんな海外生活が商社人生の多くを占める大尾嘉にとっては、新しい環境で積極的にチャレンジし、自身の幅を拡げていくことは商社パーソンにとって非常に重要だという。
大尾嘉 「新しいポジションをもらえるのは、これまでの仕事である程度評価を得たからだと思っています。環境が変わると不安もありますが、楽しみでもあるんですよね。環境が変えられるってラッキーなことだといつも感じています。同時に、人から評価されるためには一定の時間と努力を要します。
まずは与えられた場所で最大限の努力をすること、自分なりの活躍の仕方を模索し、あがきながら努力をしていくことは、当社のカルチャーとしてあると思います。そして、商社はヒトが財産であり、ヒトを見るプロの集団。その努力は、きっと誰かが見ていて、それが認められたとき、より高みへ行くことができるのだと思います」
リーマンショックを乗り越えた、チームマネジメントの重要性
これまでの経験の中で大尾嘉が一番苦労した時期としてあげるのが、アメリカ駐在中、2008~2009年のリーマンショックである。リーマンショックの影響で売り上げが急激に落ち、初めての赤字を経験することになる。
大尾嘉 「人を減らさなければいけなかったことや、売れていないのに在庫は増える一方という状態はとても厳しいものでした。
しかも、日本からの駐在員は私ひとりだけ、他は現地スタッフだったので、本当に身近な上司や仲間がいないというのもつらかったですね。ひとえに、会社をなんとかせんといかんという気持ちだけを原動力に、がむしゃらに働きました」
つらい時期である一方で、そこからの業績回復は大きな成功体験にもなっているという。
大尾嘉 「人や在庫の問題などをひとつひとつクリアしながら、3~4年後に会社の収益が大きく上がったことは、成功体験のひとつです。取り扱い製品を増やしながらも、在庫量を増やしすぎることなく、新しいユーザーや顧客を開拓していき、業績UPを目指し全方位的に取り組んでいきました。
結果として、リーマンショック前を上回る実績を残すことができ、本社から成果に対してお褒めの言葉を頂いたときには、商社パーソンとしてひとつ大きな階段を登ることができたという達成感がありましたね」
つらい経験や成功体験を経験する中で、やがて大尾嘉はチームマネジメントを重視するようになっていったと語る。
大尾嘉 「アメリカでは米人の同僚たちと二人三脚で仕事を進め、成功につながりました。そもそも僕は4~5年おきに仕事が変わっているので、どんな分野でも、必ず僕よりキャリアも長い、その道のスペシャリストがいますから、トップダウンで強引に指示を出しても、本来うまくいくものもうまくいかなくなります」
周囲の協力を得ながらものごとを進める上で大尾嘉が重視しているのは、こまめで丁寧なコミュニケーションである。
大尾嘉 「僕のポリシーは、つねに周囲と相談しながら決めていくことです。丁寧に、そして小まめにコミュニケーションを取ることはとても重要です。
たとえば、何かを伝える場合でも、“なぜそのことを伝えるのか“を必ず理解してもらえるように意識していますね。仕事をする中では、朝令暮改、朝言ったことと真逆のことを午後に指示しなければいけない状況も起こります。そういうときも、理由を必ず伝えます。
少しでも相手が疑ったり、不満を抱えたまま仕事をしてしまうと、次第に人間関係が崩れ、うまくいかなくなるケースが珍しくありません」
仕事の「種」をつかむことが大きな成長につながる
さまざまな苦楽を経験した大尾嘉は、その経験や学びを部下や後進たちにしっかりと受け継ごうと取り組んでいる。中でも伝えたいのは、仕事の「種」を見逃さないことで新たな機会を得ることができるということだ。
大尾嘉 「新しい場所に行くのは、その機会を与える上の人間にとってもチャレンジなんですよね。そんな中、機会をもらえる人というのは、仕事の『種』のようなものをつかめる人だと感じます。
新入社員時代、当時の課長から『電車に乗るにしても、ぼーっと俯いて何も考えていないやつと、窓の外に何が見え、昨日と違った風景はないか見ているやつとでは、数年後大きな差が出る』と教えられたことを今でも鮮明に覚えています。
何気ない日常にも目を凝らし、ささいな変化を見逃さず、自分なりの軸を持ち、物事を判断していく。商社の仕事とはまさにそういったことの繰り返しであり、そういうマインドを持っている人こそ、仕事の“種”を見つけることができると、これまでの経験から感じています」
大尾嘉自身も部下に仕事を任せる際、入社年次を考えることはない。あくまでも、その人にその仕事ができるかどうかが判断基準だ。
最近では、主管している子会社が、業務用厨房機器をアメリカへ輸出する際に必要な製品の安全規格取得に苦戦しており、機械・鉄道機材部がサポートすることに。その担当者として、入社5年目の部下を抜てきしたという。
大尾嘉 「このビジネスは年間100台-200台ほどの販売が見込まれており、部内でも規模が大きい仕事です。
彼が担当する業務はロシア向けがメインでアメリカとの取引はありませんでしたが、語学が堪能なことはもちろん、違う国とのビジネスを難易度の高いビジネスフィールドの中で経験することは、彼にとって大きな成長のエンジンになると考え、抜てきしました」
チームマネジメントを重要視する大尾嘉は、自部署の社員だけでなく、あらゆる部署に顔を出し、網羅的に関係性を築いている。そうした中で、部下に積極的にチャンスを与え、その挑戦をサポートする体制を構築しているからこそ、大尾嘉のチームはいかんなくその実力を発揮できるのだ。
そうして大尾嘉は後進を育てつつ、さらに部署の規模を大きくしていくための新たな取り組みを検討している。
大尾嘉 「まずは、産機・インフラ事業本部の最大の強みである少数精鋭で、グローバルニッチ分野でのトップシェアを目指します。すでにあるアイテムの販路を、まだ未開拓な世界の国々へ拡げること、一定の既存のお客様に新しい製品を売っていくことに取り組んでいきたいですね。
それにはヒトの力が不可欠なので、今の戦力を強化していくことは必須です。そして、いずれは関係会社含めた高い専門性を生かし、最新技術や先進的分野での新規ビジネスを切り拓きながら、持続的な成長をしていきたいと考えています。
また、個人としては、やはり新しいことにチャレンジすることが好きなので、今の会社の中で、他事業本部と連動し、まだトライできていないビジネスフィールドを開拓して、シナジー効果を発揮したいですね」
多様な仕事でチャレンジと学びを積み重ねてきたゼネラリスト的要素が強い大尾嘉の多様な経験は、後進たちに脈々と受け継がれている。そして今、大尾嘉が撒いてきた種がきっかけとなり、日鉄物産の新たな時代が切り開かれるのもそう遠くないだろう。
※組織・役職等は取材時点での情報です。