自身の価値が生み出す可能性を追求し続ける

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ビジネスパーソンとしての〈みずほ〉社員でありながら、『サッカー人』としての顔も併せ持つ福田。みずほ証券グローバル投資銀行部門のマネージングディレクターとして、手腕をふるっています。

福田 「企業買収ファンド、いわゆるPEファンドにソリューションを提供する仕事です。世界有数の買収ファンドの方々を顧客とし、彼らからの『M&Aをしたい』、『会社を上場させたい』などの要望を受けて、サポートしています」

公認会計士の資格を持つ福田は、いわば金融のスペシャリスト。そこに誇りを持っているからこそ、自身の価値を発揮することで会社に貢献できるよう、業務の幅を日々広げているのです。

福田 「みんながやらないこと、やりたくないこと、会社としてやれていないことを私が引き受けます、と上司に伝えています。具体的には、要求の高い顧客や、パートナーとして難易度の高い顧客は、すべて引き受けます。そうでなければ私がいる意味はない、と思っています。それに管理職の道への執着も、偉くなりたいという欲求も一切なく、プレイヤーとして戦い続けたいのです」

福田のもうひとつの顔は、日本サッカー協会監事、東京武蔵野ユナイテッドFC(以下、TMU)の代表兼総監督、国体東京選抜監督という『サッカー人』としての顔。TMUは、〈みずほ〉などが協賛する日本フットボールリーグ(JFL)に所属するサッカーチームで、Jリーグに最も近いところに位置する東京のアマチュアNo.1(※)のクラブです。

そんなTMUの理念は、東京のど真ん中にスポーツを通した人と人の交流の場を作ること。その先で東京のど真ん中から、都民の暮らし、そしてココロを豊かにし、多種多様な社会課題を解決する、新しい都市型スポーツコミュニティを創造することを目指しています。

福田 「TMUは2021年にできたチームです。東京武蔵野シティFCと東京ユナイテッドFCの2つのクラブが手を結び誕生しました。地域、サポーター、スポンサーといった関わる人々をつなぎ合わせ、クラブそのものがみんなの『コミュニティのプラットフォーム』になればいいなと思っています」

今でこそチームとして拡大しているTMUですが、その始まりは、慶応BRBという慶応OBチームにありました。

福田「まず慶応OBチームである『慶応BRB』に、私の母校である東大OBチームの『東大LB』有志が合流し、『LB-BRB TOKYO』になりました。その後2017年に名称を『東京ユナイテッドFC』に変更し、2021年には『東京武蔵野シティFC 』と提携して『東京武蔵野ユナイテッドFC(TMU)』となりました」

シンボリックな存在としてJリーグを目指すだけではなく、プロもアマチュアも、シニアも女性も、それぞれのライフスタイルに合わせた競技生活を選べるチームを作りたいと福田は考えています。

福田 「クラブを応援する・されるという関係性はもちろん、プレー環境を提供することでも人と人のつながりができます。そうした『クラブはコミュニティのプラットフォーム』だという意識があったので、それを実現する場所としてゼロからクラブを作ったのです」

それは2010年頃、福田が〈みずほ〉と出会う前の話でした。

コンプレックスを克服し東大へ。父の死から学びレールに乗る人生を捨てた

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時は、福田の幼少期に遡ります。

福田がサッカーに出会ったのは小学校のころ。それから全国大会で活躍する暁星中学・高校の赤いユニフォームに憧れ、中学受験を試みましたが、合格には届きませんでした。

福田 「中学生時代は、暁星の赤いユニフォームを見るたびにコンプレックスを感じていました。羨ましさとコンプレックスにさいなまれた3年間だったと思います」

没頭できるものが見つけられず、中学3年の12月から卒業式まで素行不良で停学になったという福田は、一発逆転を目指して暁星高校を受験します。数名しかない入学枠を目指した原動力はやはりコンプレックスでした。

福田 「赤いユニフォームを着たい、と心底思っていました。コンプレックスをひきずったままの人生は嫌だ。もう1回サッカーに全力で向き合うことで今の自分を認めてくれない人々を見返したい。そんな一心で必死に勉強しました」

結果は見事、合格。福田は暁星高校に入学して、サッカー部に入部します。

しかし、レギュラーになることは叶わずに3年間を終えることになりました。

福田 「何かを達成するために必要な『努力の必要絶対量』が人によって違うことに否が応でも気づかされたのです。1の努力でたどり着く人もいれば、100の努力をしてもたどり着かない人もいます。それが才能の差だと思います。

生まれながらに与えられる才能は人それぞれで、『思い』なくしてどこにもたどり着きませんが、『思い』があってもたどり着くとは限らない。そんな、世の中の不条理のようなものを学びました」

高校生活を通じて、サッカー競技者としての限界を感じた福田は、東大受験を決意します。当時、恩師の教え子で暁星高校サッカー部から東大に入った生徒はおらず、“認めさせてやりたい”という反骨心の気持ちも相まって、意思を固めたのです。

福田 「高校3年間、何も成し遂げられませんでしたから意地があったのだと思います。さらには、2浪した夏に父の末期がんが判明して『余命数カ月だ』という話になったのです。さすがに東大に受かれば親父も喜ぶだろう、と東大合格への思いを強くしました。いわば、東大受験が自分の人生の分水嶺になったと思います」

晴れて東大の赤門をくぐった福田は、最終的にサッカー部でキャプテンを務めました。

しかし、体育会のキャプテンならば引く手あまたのはずの就職活動の道をあえて選ばず、公認会計士の資格取得のための勉強に没頭します。

福田 「『新卒採用・終身雇用』の枠組みに、はまりたくなかったのです。私の父は52歳で亡くなっています。人はいつ死ぬかわからない。もしかすると明日死ぬかもしれません。ですから、大学卒業してからの30年を『どう生きるか』を考えざるを得なかったのです。日本企業に入って『60歳で社長になった。ありがたき幸せ』みたいな人生は自分には描けないなと思いました。

また、自分は周囲と比べても凡庸な人間です。何もないままに社会に飛び込む勇気はありませんでした。だから、『何ができるか』を自他ともに認識しやすい資格取得に舵を切りました。何か一つ専門性を有することにより、物事を見通す『軸』を持ちたかったという気持ちもあります」

決戦の1カ月前に転職。後進のためにくくった腹と見せた背中

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大学卒業後は公認会計士、外資系および日系の証券会社を経て、2015年10月に福田は、みずほ証券へ転職します。

一方で、その時期は自身が監督を務める東京ユナイテッドFCが関東社会人サッカー大会で優勝・関東リーグ昇格を果たし、新たな局面を迎えた頃でもありました。

福田 「選手たちにはアマチュアとしてスポーツを続けていくにあたり、何よりもまず『与えられた自分の仕事をしよう』と、常々言っていました。仕事で認められてこそ自分のプライドが保たれますし、社会人としての成熟が結果的にプレーヤーとしての成熟につながるのです。

だから、『仕事をサッカーの言い訳にするな、サッカーを仕事の言い訳にするな』と選手たちに言い続けていました。でも、20代の若者がほとんどですから、『仕事はコントロールできないよ』、『福田さんは40代だからできるかもしれないけれど自分たちにはできないよ』、という感じの反応でした」

福田は、自ら手本を見せる形で、仕事の環境を変えることを決断します。

福田 「東京都リーグを終え、関東リーグへの昇格をかけた昇格決定戦が11月に予定されていたのですが、その決定戦の1カ月前に私自身が転職をしました。『〈みずほ〉という新しい環境で、自分もチャレンジする。だからお前らも甘ったれんな』という思いです。

もちろん、チームのためだけではありません。声をかけていただいたこともありましたし、金銭的にも役割的にもこのあたりでもう一度ステップアップしたい気持ちがありました」

新しい環境でのゼロからのスタートは、自分の力を確認する上で非常に大きい。福田はそう感じています。

福田 「転職するにあたっては、環境を変えて、自分が築いてきたキャリアをベースに信頼されるビジネスパーソンになっているのか確かめたい気持ちもありました。ですから、〈みずほ〉で自分の力を確認し、新しく構築していくプロセスが楽しかったのです」

受け入れてくれた〈みずほ〉という器が、多様性を認める社風を生み出している、と福田は語ります。

福田 「〈みずほ〉では、会社が制度を整えて多様性を受け入れています。このことは、働く人の心をとても豊かにしているのです。自分がいずれ日本サッカー界を背負って立つ立場になったら、『私を支えてくれたのは、〈みずほ〉です』とはっきり言える自信があります」

まだやれることはある。人生を切り拓くのはいつだって自分だ

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競争の激しいスポーツの世界に身を置き、金融業界では世界のビジネスパーソンと共創して〈みずほ〉に価値をもたらす。不屈の精神でこれまでのキャリアを築いてきたようにも見える福田ですが、「精神力は鍛えられるわけがない」と断言します。

福田 「私の持論ですが、メンタルは強くなりません。精神力は鍛えられないのだから弱い自分を認めていい。その上で、メンタルが折れた時にリカバリーするために、多様な選択肢を持つことが大事です。

人間は、ひとつの価値観で生きていると行き詰まる可能性が高いです。だから時に、心を穏やかにできる場所が必要になると思います。そうした自分がコントロールできる場所や環境を作ることこそ自身の精神を安定させ、結果的に、人生を豊かにしてくれるはずです」

福田は、人生には変えられる条件、変えられない条件があるとも考えています。

福田 「私は生まれつき左手に障がいがありますが、これはどうしても変えられません。だからこそ、変えられるものに目が行くのです。しかし世の中には、変えられるものなのに『無理』と言って変えようとしない人がなんと多いことか。変えられると思うものに対してめげないことが大事ではないでしょうか。

一方で、私だって、うまくいかなかったことはたくさんありますし、努力が足りずに変えられないことはたくさんありました。しかしそんなとき、会社以外にも自分の居場所があれば、心はきっと健やかになると思います」

複数の外資系金融機関や〈みずほ〉を見てきている福田。だからこそ、〈みずほ〉の良さがわかるといいます。福田は、〈みずほ〉に身を置く若手社員にこうメッセージを送ります。

福田 「いくつもの会社を見てきました。しかし、こんなに懐の深い会社は見たことがありません。実際、不真面目に映ることも多いはずの私を理解してくれる上司にも出会えました。そんな〈みずほ〉に身を置いているからこそ、将来につながる視点が獲得できるはずです。だから『そんなに簡単に辞めないでくれ』と伝えたい。社会を見る目、スポーツを見る目など、多角的な視野が役に立つ日はきっと来ます。

人間はプライドのかたまりの生き物だから、今いる場所で認められないと次へ行っても自信ある仕事はできません。今置かれている状況でしっかり認められる人になってほしいです。己の価値は自分で創造せねばなりませんが、その価値を評価するのは常に他人です。人間はずっと自己評価と他己評価のギャップに苦しみ続ける。他人に迎合することなく、確固たる価値を創造することは、人生の永遠の課題です」

また福田は、同世代に対してもメッセージを綴ります。

福田 「40代は、会社の中で自分の立ち位置が見えてくる世代です。『ワーク・ニアリーイコール・ライフ』という形で人生デザインしてきた人も多く、子どもが巣立ち、いざ先のことが見えるところまで来ると『この先何したらいいんだろう』と、ぽっかり心に穴が開く人もいます。でも、同世代の仲間には、『まだまだ枯れてんじゃないよ、枯れる前にやることあるだろ』と言いたいです」

※東京のアマチュアNo.1…2020年シーズン終了時点において

(ストーリー後編に続く:https://www.talent-book.jp/mizuhofg/stories/48282