面接官のことばが、入社の決定打。──初任店で銀行のあり方を知った

▲打ち合わせ中の様子

自身の働く会社の魅力と一口に言っても、そのあり方は人の数だけ存在し、十人十色と言えるでしょう。平松 正は、〈みずほ〉の魅力を「人」と表現します。

そんな平松がそもそも〈みずほ〉に入ることを決めたきっかけは、 当時出会った面接官からのあることばでした──。 

もともと大学時代は金融ゼミへ所属していた平松。その当時はバブル期で、 大手銀行のみならず様々な業種の企業が新卒大量採用をしていました。そういった背景の中、就職活動をしていた平松の第一志望は、自然と銀行になりました。

そして、当時、〈みずほ〉の面接官から聞いたある話が決定打となり、入社を決断することになります。 

平松 「面接で『この組織にいると自分自身がいろんな経験ができて成長できるチャンスがたくさんある』というお話をしていただきました。また、ビジネスの中身や規模ではなく、『社員一人ひとりの成長に重きを置いている』という話にも感銘を受け、ここで働こうとすぐに心が決まりました」

今よりも定年退職まで一つの会社で働き続けることが、当たり前とされていた時代。長く働くのであれば、自分を高められる大きな組織が良いのではないか、という思いも平松の中にはありました。そうして〈みずほ〉へと入社した平松は、初任店の横山町支店で銀行員としての基盤になる大切なことに気付きます。 

平松 「横山町は繊維問屋が多く、伝統のある町です。夏の初めに地域のお祭が開催され、当時は若手行員が神輿を担いだり、支店の前に神輿が来ると支店長も地域の方々に向けて挨拶をしたりしていました。 取引先の社長さんや地域の方々が合いの手を入れているのをみて、銀行にとっては地域の方との交流もすごく大事なことなのだと感じました」 

単にお金を預かって、お金を貸すことだけが銀行の仕事ではない。地域社会に入っていく努力があって、仕事が成り立っている。そんなことを平松は実際に働いてみて知ることになったのです。 

平松 「今、昔と同じ方法を取るとしたら難しい部分もあると思います。ですが、社会における銀行の立ち位置をきちんと理解し、変わらず今に合った方法で地域社会に入っていく努力は続けられていると思います」 

そして、厳格な銀行業務をミスなく毎日終えられるよう必死に過ごしていた平松に、転機が訪れます。

逆境の先で培われたマインド──「違っていて当たり前」と思えること

▲米国勤務時代の平松

入社6年目、支店から市場部門の研修に参加することになったことが転機となりました。

その後、平松は東京で3年間市場部門で勤務、そして2000年にはニューヨークの市場部門へ着任することになったのです。 その一方で、〈みずほ〉は2000年に3行(旧第一勧業銀行、旧富士銀行、旧日本興業銀行)が統合することになります。 

平松 「当時ニューヨークの市場部門は、第一勧業銀行がワールドトレードセンターの北タワー、富士銀行がワールドトレードセンターの南タワー、日本興業銀行がミッドタウンに拠点を構えていました。正式な統合前に、市場部門だけ先に3行が集合し、ワールドトレードセンターの北タワーで業務を開始していました」 

しかし、統合に向け業務を開始した1週間後、思わぬ事態に見舞われます。それは、2001年9月11日に起こった同時多発テロ事件です。事件当時は、3行で協力しながら皆で必死に避難しました。

避難後に別の拠点でそれぞれ体制を立て直し、2002年4月ミッドタウンのオフィスで改めて正式に統合し、業務を開始することになります。 

平松 「半年後に再会し、業務を開始してみると銀行の市場部門という同じ業務であってもさまざまな違いがあって、最初は本当に大変でした。トレーディング業務でもディーリングの手法やリスク管理の方法等大きく異なる部分がたくさんあり、融合していくことにとても苦労したのは事実です。ただ、前提として9・11を一緒に乗り越えてきた仲間という絆が間違いなく芽生えていました。」 

平松は、業務の進め方、リスク管理の方法等、毎日議論が行われている中、客観的かつ公平な立場で判断しながらアプローチしていくことを、常に心掛けて業務を行っていきました。 

平松 「誰しも自分の経験や、考え方に固執してしまうことがあると思います。しかし、違っていることが当たり前です。振り返ってみれば、どう違うのか、なぜ違うのかをきちんと受け入れて理解する姿勢は、統合を経験する中で自ずと身についていったのかもしれません。

統合後も、多様な国籍の部下ができたり、業務が変わって拠点を移ったりしてきましたが、その都度、違いを受け入れ理解しようとする姿勢が活きているなと思うことが多かったです」

違いを受け入れさまざまな判断を担ってきた平松ですが、決して順風満帆な日々を過ごしていたわけではありません。思い通りにいかないことも経験していました。

「自身が成長できる組織」──恐れず挑戦できるフィールドがあること

▲業務中の様子

これまでのキャリアで平松が最も苦労を重ねた時期。それは、2000年から担当したトレーディング業務を行っていたときでした。途中の2~3年思うような結果が出せず、実績を伸ばせないことに苦しんでいたのです。

しかし、そんな平松に答えではなく、ヒントを与えてくれる存在がいました。 

平松 「やり方がいけないのか。考え方がいけないのか。能力が足りないのか。いろんなことを考えても、自分だけでは答えを見つけられずにいました。そんな姿を当時の上司はずっと見ていてくれて、色んな角度からヒントをくれたのです。後になって気づきましたが、ダイレクトに答えをくれるわけではなく、自身で考え、答えを導き出せるようにサポートしてくれていました」 

そして平松は、最後の1年で絡まっていた糸がほどけ、トレーディング業務で成績を残すことができました。それは、間違いなくタイミングを見てサポートをしてくれていた上司のおかげであったと、平松は感じています。 

平松 「この会社には見てくれている人が必ず一人はいる。長年〈みずほ〉で働いてきた経験から言えることです。苦しいときには目の前のことに精一杯で気付けないこともあります。

ただ、後から振り返ると、難局を乗り越えたときは必ず見ていてくれている、手を差し伸べてくれる人がいました。 だから、私の歩んできた〈みずほ〉での転機の場面では、必ず人との繋がりがポイントになっています。

銀行に対して人との関わりの深さや、人の温かみに触れるというイメージを持つことは少ないかもしれませんが、人とのつながりの強さは今も昔も変わらない〈みずほ〉の強みだと思います」

30年間のキャリアは沢山の人に支えられて築いてきたものであると感じているからこそ、平松は〈みずほ〉の魅力は“人”にあると考えています。

そして、“人”に加えて〈みずほ〉という広いフィールドだったからこそ経験できたことは沢山あり、どの局面であろうと頑張れば成長できる機会がやってくるとも平松は感じています。

新しい〈みずほ〉へ。──変革を加速させるために必要なこと

▲現部署 業務監査部のある小舟町記念会館前にて

働き方改革の影響もあり、〈みずほ〉の人事制度は大きく変わってきている。平松は長く〈みずほ〉に身を置いているからこそ、そんな風向きの変化を感じています。 

平松 「ジョブ公募制度や社内外兼業、副業にしても、社員一人ひとりがもっと制度を理解して活用していけば、今以上に活気が出てくるし、〈みずほ〉の変革をもっと加速させる力になるのではないでしょうか。 自ら手を挙げ、希望する仕事ができるチャンスが今の制度にはたくさんある。ためらわずにチャレンジすれば、誰かが必ず見てくれているので心配ないですよ」

そんな平松はセカンドキャリアの公募制度を利用し、新たな道へ挑戦を始めました。 

平松 「現在、挑戦したい仕事を自ら見つけるプログラムの中で活動をしています。今の監査という仕事もやりがいのある重要な業務ですし、急ぐ必要もないのかもしれない。

とはいえ、セカンドキャリアにいくのであれば、早く行きたい。そうすることで次のキャリアへ移行しやすく、そこでの経験も豊かになるのではないかと私は思っています。あえて業種等は絞らず、様々な会社に応募しているんです」

しかし、平松自身も最初からセカンドキャリアへの挑戦を考えていたわけではありません。「ライフシフト」について考え始めたことが、そのきっかけでした。 

平松 「それまでは、定年まで〈みずほ〉で働いて、定年後は実家に戻りお墓を守ろうという漠然とした考えで働いていました。でも今は定年が終わりではなく、その先にも生業があって、さらにその先にも何かあるかもしれない時代だなと思うようになったのです。

それからは、一つの会社で職業人生を終えるのはもったいないと考えるようになりました。銀行で学んだことを基盤に、これからもチャレンジしたいと、強く思っています」

そんな平松は、周囲に対してセカンドキャリアへの挑戦について話すことがあります。しかし、そこではあまりポジティブな反応が返って来ないと言います。

平松 「セカンドキャリアに行けば処遇も下がる可能性もあり、不安が大きいという人が多いんです。確かにその気持ちも少しわかります。ただ、私自身は、今よりもっと成長できる新しい出会いにワクワクする気持ちのほうが大きいです。それに、社員一人ひとりの挑戦を後押しし、成長を支える〈みずほ〉だからこそ、世代を問わず新たな挑戦に踏み出すことができると思うんですよ」

時代にも、〈みずほ〉にも、 変革の時は訪れています。そんな中で、平松はこれからの未来に向けてその歩みを続けていきます。