「歩けないからこそできること」を求め、学生ベンチャーを起業

article image 1
小学生の頃の垣内俊哉

車いすでいることを誇りに思え――。それは当社代表の垣内が、大学1年生のときにアルバイト先の社長から言われたひとことでした。車いすだからこそ、営業先の人に覚えてもらえる。それはお前にとっての強みじゃないのか、と。

骨が弱くて折れやすい「骨形成不全症」という病気で、幼いころから車いす生活を余儀なくされてきた垣内。そんな彼が、起業を意識しはじめたのは17歳のころです。当初は、「歩けなくてもできること」を第一に考えて事業内容を模索していました。

垣内 「その社長のひとことによって、私の考えは大きく変わりました。歩けなくてもできることではなく、“歩けないからこそできること”を見つければいい。自分自身にかけられた魔法――この障害を活かした事業を生み出していこうと考えるようになったのです」

現在、当社が掲げている「バリアバリュー」という理念は、そのときの垣内の体験から生まれました。バリア(障害)をバリュー(価値)に変えていくこと。設立当初から、ずっと株式会社ミライロが大切にしてきた想いです。

方向性が決まってからは、起業へ一直進。当時大学生だった垣内は、友人の民野剛郎(現副社長)と会社を立ち上げ、まずは資金を稼ぐために数々のビジネスプランコンテストに出場します。

垣内 「そのなかで、ようやく評価を得たのがバリアフリーマップを作る事業でした。そのために調査をしてみると、高齢者やベビーカーを利用する人なども、同じ情報を求めていることがわかったんです。そこで、もっと広い意味をもつ『ユニバーサルデザイン』に着目しました」

そもそも「バリアフリー」とは、障害者や高齢者にとってのバリアになりうる要素を取り除く考え方。しかしユニバーサルデザインは、誰にとっても使いやすい状態を目指すものです。

垣内は、このユニバーサルデザインを軸としたビジネスを展開していくことを決意。2010年に民野、岸田奈美(現広報部長)とともに、3人でスタートラインに立つことになったのです。

ハードとソフト両面から、ユニバーサルデザインの事業を生み出す

article image 2

13のコンテストで評価を受け、そこで得た賞金300万円を資本金にして創業したミライロ。当初、垣内らはバリアフリーマップの調査・作成からはじまり、ユニバーサルデザインの観点に立った施設設計のためのアドバイス、コンサルティングを事業の柱に据えようとしていました。

ただ当時のメンバーは、まだ全員が大学生。自分たちの想いを胸に意気揚々と飛び込み営業をするも、話すら聞いてもらえないことが続きました。「ユニバーサルデザイン」という言葉自体の理解度も低く、突然訪れた大学生がその必要性を訴えたところで、門前払いなんて当たり前。「大学生にコンサルなんてできるの?」と、厳しいお言葉をいただくこともありました。

しかしあるとき、運よく、ある大学の担当者が話を聞いてくれることに……。

垣内 「すると偶然にも、障害がある学生に対して、どう対応するべきかわからないという課題を抱えていらっしゃることがわかったんです。私たちの話に真剣に耳を傾けてくれて、それがはじめての受注につながりました」

まずは大学でひとつ、ホテルでひとつ、結婚式場でひとつ、アミューズメント施設でひとつ……。ミライロの考え方に賛同してくれる企業が少しずつ増え、実績が一つひとつ積み重なっていきました。

「自分たちの考え方は、間違っていなかった」――創業メンバーの3人は、少しずつ事業に対する確信を深めていったのです。

とはいえ、ユニバーサルデザインを施設や店舗に導入するには、数百万〜数千万円のコストや多くの時間を必要とします。すぐに多くの予算を割くのが難しいお客様のために垣内らが考えたのが、「ユニバーサルマナー研修(現:ユニバーサルマナー検定)」でした。

たとえハード面を変えられなくても、“ハート”はすぐに変えられる。そうしたコンセプトのもと、障害者や高齢者などをはじめ、多様な方々に対する適切な接客、おもてなしの仕方を学ぶための研修を考案したのです。そしてこの新たな事業が、お客様に対して次々に大きな成果をもたらすことになりました。

垣内 「従業員の意識が変わり、受け入れられるお客様の幅が広がって、利益拡大につながったこと。今までになかった他業界からのキャリアチェンジで、求人の応募が増えたこと。導入いただいた企業様から、うれしいご報告をいただくことが増えました。ユニバーサルデザインの導入は、決してコストではなく、収益を上げるための投資なんです」

こうして確かな手ごたえを感じながら、ハード面の設計・コンサルティングと、ソフト面の研修。現在のミライロの軸となる事業の基礎が、次第に固まっていきました。

時代の後押しによって、ユニバーサルデザインへの理解が深まる

article image 3

自分たちで試行錯誤を繰り返し続けたのはもちろん、時代の流れとともに、ユニバーサルデザインそのものに対する理解も深まりはじめていました。

当社にとって大きな転機となったのは、設立から1年にも満たない2011年3月11日の東日本大震災です。

創業メンバーの垣内、民野、岸田は、その翌日から事業を一度停止し、ボランティア活動に明け暮れました。被災地の状況を見て、車いすで生活している人たちが、生活するのも困難な状況に置かれていることが想像できたからです。

まずは障害者向けの避難方法や、避難所での暮らし方をマニュアル化してWeb上に公開。さらに、募金を募ってパンクしない自走式の車いすを現地に300台以上寄付することにしました。これがテレビや新聞などのメディアの目に止まり、瞬く間に話題になったのです。

垣内 「結果的に、会社の認知度も急上昇しました。そしてなによりも、防災などの観点から見ても、ユニバーサルデザインは命を守るために不可欠であることを証明するきっかけになったと思います」

さらに2013年、今度は2020年の東京オリンピック・パラリンピック招致が決定しました。2012年のロンドンがそうであったように、多くの国ではパラリンピックの開催を期に、さまざまなユニバーサルデザインの導入が急速に進む傾向があります。まさに今、日本でも大きな動きが生まれつつあるのです。

また2016年4月には「障害者差別解消法」が施行されました。すべての国民が相互に人格と個性を尊重することで、障害による差別をなくすための法律です。この法律により、民間の施設や自治体では、障害者を受け入れるための設備の強化が義務づけられることになったのです。

このような時代の流れによる後押しもあり、1年目はわずか120万円だった売上げも、毎年倍々で成長。そしていつしか、ミライロには40名以上の多様な社員が集うようになっていました。

事業に共感して参画してくれた、元大手証券会社のNo.1営業マン。商社に勤めていたバイリンガルの社員。長年、自身の障害に悩んできたメンバーも多くいます。

しかし一気に組織が大きくなったため、一時期は会社の整備が追いつかず、せっかく入社してくれた社員が退職してしまう事態に直面したこともありました。

垣内 「2014年頃からは、社員一人ひとりに“バリアバリュー”を発揮してもらうにはどうすればいいか、夢半ばで会社を去る人を出さないためにはどうあるべきかを、会社としてきちんと考えるようになりました。事業を全国に広めていくためにも、さらにみんなが働きやすく、価値を発揮しやすい会社にしていきたいと考えます」

世界一のユニバーサルデザイン先進国を目指して

article image 4

まずは理念への共感からはじまり、ユニバーサルデザインの価値を提供することで、お客様にビジネス成果をもたらし、さらに自分たちのサービスを改善していく――ミライロでは、こうしたビジネスの循環を何よりも大切にしています。

垣内 「よくNPO法人にしないのはなぜか、と聞かれますが、大切なのは社会性と経済性の両立だからです。費用をいただくことでそれだけの責任も生まれますし、それはサービスを継続するために不可欠なことですから」

そして設立から怒濤の6年が過ぎた今、私たちミライロはひとつの大きな目標を掲げています。それは、東京オリンピック・パラリンピックが開催される2020年までに、日本を世界一のユニバーサルデザイン先進国にするということ。

垣内 「日本は法律の整備も早く、優れた技術もあります。実はハード面だけ見ると、点字ブロックや地下鉄のエレベーター設置率など、ある意味すでに世界トップクラスのバリアフリー環境を実現しているといえるんです。しかし、それだけでは世界一とは呼べません。日本人は、もっとハートの部分を強化していかなければなりません」

いくらユニバーサルデザインの施設が普及しても、多くの人が周囲の人を手助けしたり、思いやったりする気持ちやスキルを持っていなければ意味がありません。

その“ハート”の部分を強化するために、私たちは主軸の事業のひとつである「ユニバーサルマナー検定」をさらに普及させていきたいと思っています。

垣内 「自ら障害のある当事者の視点から語ってもらうことにより、より説得力のある研修プログラムを作っています。私たちの一番の強みでもある“バリアバリュー”を活かして、多くの人に受講していただきたいですね」

2020年までに、現在10数名の研修講師を100人に。そして、受講者を100万人に――。
本当の意味で日本を「世界一のユニバーサルデザイン先進国」にするために、ハードとソフト両面の事業を拡大しながら、ミライロはこれからも走り続けていきます。