研究所から商品企画部へ。ヒット商品をつくりたいという想いに駆られ管理職を志すまで
私は大学で研究開発の楽しさを知り、社会人になっても研究を続けたいと思うようになりました。農学部で農芸化学を専攻していましたが、研究室にいろいろな企業の方がやってきて社内の研究について教えてくださるんです。中でも、明治の担当者の話が特におもしろくて。「こんな人が働く職場なら楽しく研究ができそう」と感じ、就職を決めました。
入社後は、当時の生物科学研究所に配属され、産業用酵素の開発を担当。20代はずっと酵素の開発に携わりました。30歳のときに研究所の組織再編に伴い、栄養機能研究所へ異動に。そこで初めて食品に関わるようになり、健康志向の食品開発をしていました。
その後、本社の商品企画部に移って引き続き健康志向食品を担当し、今度は中身ではなくコンセプトの企画やパッケージ制作などを手がけました。当時は、コンビニエンスストアやドラッグストアなど、販路が大きく拡大した時期。売り場づくりやテスト発売など、新しい仕事を経験することができました。
当時の私には、ヒット商品を出したいという強い想いがありました。あれもこれもやりたい。それを実現するには管理職になって自分の業務範囲を広げるしかないと考え、管理職予備軍となることを目指して、係長昇格試験を受けたんです。
管理職で活躍する女性社員は今ほど多くありませんでしたが、そんなことは気にもとめていませんでした。今になって振り返れば、ずいぶんと考えが未熟でしたが、自分が上にあがれば商品をもっとよくできるという根拠のない自信のようなものを持っていたと思います。
畑違いの分野でグループ長に。管理職になって初めて見えた新しい景色
商品開発に約10年携わった後、食品の機能研究を担う部門へ異動になり、ふたたび研究所に配属されました。カカオポリフェノールやコラーゲン、アントシアニンなどの機能評価やスポーツ栄養に取り組み、臨床試験から得たデータをもとに学術誌で論文を発表したこともあります。仕事の内容は大きく変わりましたが、商品の価値を伝えるための情報を集めて発信するという点で商品開発との接点が感じられていたので、戸惑いはありませんでした。
また、このときの役職はグループ長。ライン管理職となったのはこのときが初めてですが、大きな苦労はありませんでした。なぜなら、まったく畑違いの分野だったのでそもそも自分が力を発揮できる場面がなく、すべてをメンバーに任せるよりほかなかったからです。管理職となるにあたって、良い意味で頭の切り替えができたと思います。
そんな折、会社の経営統合にともなって、埼玉の坂戸から神奈川の小田原へ研究部ごと移転することになりました。坂戸から小田原というと、通勤できる距離ではありません。30人ほどいた研究員の多くは引越しをする必要がありました。
仕事や生活の環境が一変する中、もっとも大切にしていたのは、研究員たちの個性を守ること。というのも、小田原の研究所は規模が大きく、移転組はその一角にポツンと入り込むような印象があったんです。そのため、研究員たちは新しい職場に早くなじもうとするあまり、自分で自分の個性や可能性に蓋をする傾向がありました。それまで培ってきた文化や仕事への向き合い方といった良いものまで失われ、本来の力が発揮できなくなることへの危機感があったんです。研究員たちが持っている本来の強みがそのまま新天地で認められるようにと、一人ひとりのスキルや実績など各所に対して猛アピールしたのを覚えています。
当時、私は管理職として移転の責任者を任されていたため、研究員たちのキャリアや生活環境など全てを自分ごととして考えていました。この移転がなければ、研究員一人ひとりの立場に立って働きやすい環境を整えることまでは考えなかったように思います。責任者としてひとつ高い視座で取り組めたことは、自分にとって大きくプラスになったと思っています。
その後、今度は経営企画への異動を命じられました。商品開発に関する重要な要素を扱う商品開発委員会という全社的な会議の担当のひとりとして、その関連業務に携わりました。プロジェクトの運営を通じて、それまでまったく接点がなかった社内のいろいろな部署の方と関わることができました。さまざまな出会いを通して、その後のキャリアを重ねる上での貴重な経験を積むことができたと思っています。
研究戦略総括部長と研究戦略部長を兼務し、執行役員にも抜擢
2018年に経営企画部から技術研究所に移り、栄養研究部長を務めました。調整乳や流動食、スポーツフーズなどの情報開発などを統括するような部署です。その後、研究戦略部長となり、現在は研究戦略総括部長として研究管理も管轄しています。
研究戦略部の主な業務内容は、明治の4つの研究所それぞれの研究領域を設定し、研究テーマの立案・実行のためのサポートなど。会社として進むべき方向性を明確にした上で、関係部署と連携しながら進めています。
研究戦略が“攻め”だとすると、研究管理は“守り”。安全衛生やインフラの管理、リソースの割り当てなど、管理的な業務を担っています。攻めと守り、両面から研究活動をサポートしています。
2022年の6月には執行役員となりました。明治に限らず、社会的に女性管理職への期待が高まっていることは認識していたので、大きな責任を感じています。就任当初は自分には不相応な役職だと感じたこともありましたが、ほかの企業の同じような立場にある方たちとご一緒する機会が増える中で良い刺激をいただいたことで、今はとても前向きな気持ちです。
私にはもともと楽観的なところがあって、たとえば、失敗しても「早く気づいて良かった」と、物事を良いほうに考えたり事態が良くなっていくと思ったりするのが得意。そんな性格も幸いしていると感じます。
影響力が大きい立場となり、職位をわきまえた発言をすることに特に気を配るようになりました。各部署のメンバーと接する際、何気ない表現が誤解を生まないよう、自分が発する言葉の重みを認識してコミュニケーションするようにしています。
たとえば、こんなことがありました。メンバーから提案を受ける際、「おもしろいね」と口にしたことがあったんです。するとそれが私からの“指示”なのか、“感想”なのか相手がわからなくなることがあって。かつてのような深度でコミュニケーションできなくなった今、メッセージが間違って伝わってしまわないように、正確に意思の疎通を行うことがとても大切だと感じています。
もうひとつ、職場では不安を口にしないように気をつけています。責任の重い仕事や未知の経験に取り組むときは、誰もが不安を感じるもの。私も例外ではありません。そんなとき、誰かに対して弱音を吐きたくなるものですが、私は家族や友人など親しい人に気持ちを打ち明けるようにしています。
同じことを上司や同僚に対してしてしまうと、甘えからくる行動とみなされたり、成果を出せなかったときの予防線を張る行為だと取られたりしがちです。「自分のことしか考えていない」と周囲から誤解されないように、職場ではプロとしての振舞いを心がけています。
研究所をもっと強くし、明治のイノベーションの中核として貢献していきたい
社内でより高いポジションを目指している方には、“管理職”という言葉をあまり意識しすぎないようにしていただけたらと思っているんです。それに代わるものとして、私は“経営職”という言葉を意図して使うようにしています。
“管理職”という言葉からは、人の管理をする側/される側をどうしてもイメージしがちです。ところが、実際には人だけではなく、テーマや費用を含めさまざまなリソースを管理しながらアウトプットしていくことが求められます。それはまさに、経営そのもの。そうやって経営に積極的に関わっていく意識を育むことが大切だと思っています。
実際、“経営職”となったことで視野が広がり、見える景色が大きく変わりました。より幅広いものの見方ができて、多くのことを自分ごととして捉えることができれば、さらに価値ある学びが得られると考えています。
私の今後の一番の目標は、研究所をもっと強くしていくこと。研究所が元気であればあるほど、会社が強くなっていくと思うからです。研究所には研究開発が好きで、いろんなことに挑戦したい思っている人が集まっています。以前に比べて社会からの期待が大きく、情報の取り扱いやコンプライアンスの面で厳しく対応しなければいけない場面が多いのですが、研究員たちが伸び伸びと働き、力を発揮できるように環境を整えていきたいですね。
また、事業のさらなるグローバル化に向けた展開を後押ししていきたいとも考えています。ありがたいことに、国内では多くの方に愛されていますが、世界的で見ればまだまだ挑戦者、やるべきことはたくさんあります。近い将来、明治がグローバルカンパニーとして躍進する日が来ることを願っています。