書類確認の「最後の砦」としての責任感──人材育成にも尽力する日々

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2023年現在、西川は、かんぽ生命神戸支店の業務部に在籍しています。

西川 「業務部では、法人のお客さまからお預かりした保険の新規申込や各種手続きの書類確認などの事務業務をメインに担当しています。書類の内容に不備がないか最終チェックを行っており、そこで不備を見落としてしまうとお客さまにご迷惑をおかけしてしまうので、『最後の砦』のような重要な役割を担っています。

お客さまからいただいた書類を迅速に確認し、次のプロセスに進めることが業務部としての主なミッションですが、最近は、自身が課長代理という役職に就いたことで、法人営業部社員に向けた研修や、後輩社員の育成も任されるようになりました。担当者の頃と比較すると業務内容や役割は大きく変わったと感じています。

たとえば、後輩社員が法人営業部社員に伝える内容に間違いがないかなど一緒に聞いて確認しています。質問内容からお客さまのご要望が多様に解釈できると判断した場合は、あらゆるケースを想定した回答を伝えます。私たちの回答が法人営業部社員を通じてお客さまへと届けられますので、誤った回答は許されません。もし後輩社員の回答が不十分であれば、後輩社員に何が足りないのかを一緒に考え、アドバイスを行うなど、先を見据えた対応を行うよう心がけています。人に教えるということはなかなか大変ですが、一緒に働き成長していく姿を見ると、非常にやりがいを感じますね」

交通事故により下半身不随に。リハビリ生活の中で出会った車いすバスケ

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職場で頼られる存在として日々、業務に取り組む西川。そんな西川は過去、交通事故により車いす生活となりました。

西川 「ちょうど20歳のときに交通事故に遭い、脊髄を損傷して下半身不随となりました。夜中に道路を横断した際、車にはねられる事故でした。

事故当時の記憶は断片的ですが、救急車で運ばれているときに、足を触れられても全く感覚がなかったので、『今後、身体が動かなくなるかもしれない』と早い段階で覚悟していたように思います。その後、医師から、これから車いす生活になることを告げられましたが、くよくよ悩まない性格なこともあってか、気持ちがふさぎ込んでしまうことはそれほどありませんでした。しかし、周りで家族や友達が泣いているのを見て『こんなに悲しい想いをさせてしまって申し訳ない』と、涙が出たのを覚えています。

同時に、『車いす生活になったとしても周りをこれ以上悲しませないよう、明るく生きていきたい』という強い想いが芽生え、リハビリを頑張るモチベーションになりました」

事故後、1年間入院し、リハビリ生活を続ける中で、リハビリの一環として車いすバスケを体験します。この車いすバスケとの出会いが、西川の人生に大きな影響を及ぼしていくことになります。

西川 「私は中学生のころにバスケットボールを経験していましたし、車いすバスケをテーマに描いた漫画も読んだことがあったので自然と親しみは感じていました。ただ、まさか自分がプレイヤーの立場になるとは思ってもいませんでしたけどね。

最初、リハビリでやってみたときは、バスケは立って行うものという先入観もあり、あまり乗り気ではなかったのですが、車いすバスケの試合を見に行った際、自分が思っていたよりずっと白熱した競技で、『すごいな、おもしろそう』と思い、本格的に始めるようになりました」

すっかり車いすバスケの世界に魅了された西川は、車いすバスケのチームに加入。リハビリからも復帰し、就職活動を開始しましたが、なかなか働ける先を見つけられなかったと言います。

西川 「障がい者雇用をしている会社の合同説明会にも参加して、就職先を探していたのですが、なかなか見つけることができませんでした。そんな事情もあり、いつも車いすバスケのチームで練習している体育館で事務員を募集していたので、そこでアルバイトを始めて生活していました」

車いすバスケの練習と体育館での事務員の仕事を続ける西川に、転機が訪れます。

西川 「あるとき、福祉教育の一環として小学校で車いすバスケ教室を開催している方から『講師をやってみないか』と誘われて参加することにしました。その車いすバスケ教室は、地元の郵便局の局長が立ち上げたものでした。車いすバスケ教室の講師として何度か活動に参加していると、その局長から『かんぽ生命の姫路支店で障がい者雇用の話があるので、よかったら面接を受けてみないか』と声を掛けられたんです。二つ返事で面接に行ったところ、期間雇用社員として採用されることになりました。車いすバスケを続けていなければ、かんぽ生命に入社することはなかったかもしれないと思うと、何かのご縁があったのかなと思います」 

こうしてかんぽ生命に入社することになった西川ですが、生命保険に対して西川ならではの想いを持っていると言います。

西川 「私自身、保険に助けられた経験があるんです。事故に遭って車いす生活になりましたが、保険に入っていたおかげで保険金を受け取ることができ、そのお金で車いすを購入でき、家をバリアフリーにすることができました。その経験から『今度は私が誰かの助けになりたい』と思いました。

入社後、実際にお客さまの助けになれているという実感もあり、入社してとても良かったな、と感じています」

やりがいのある仕事と働きやすい職場環境。努力が実り、正社員に登用

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かんぽ生命の姫路支店で期間雇用社員として入社後、業務部の仕事には戸惑いもあったと言います。

西川 「事故に遭う前はエレベーターの保守業務を行う会社で働いていましたが、主に身体を使う仕事だったのと、業界もまったく違うので入社当時は慣れずに苦労しました。業務部ではデスクワークがメインですし、以前の仕事内容とはまるで違うので、ゼロから学ばなくてはならないことばかりでしたね。でも、勉強して新しい知識を得たり、仕事を覚えたりすることは素直に楽しかったんですよね。

さらに当時の上司は仕事をしっかりと教えてくれる方で、責任ある業務も任せてくれていたので、やりがいを感じながら仕事をしていました。仕事を覚えていくにつれて、より深い知識を持っていた方が今後の役に立つと思い、ファイナンシャルプランナー2級や簿記3級などの資格も取得しました」

5年間の仕事ぶりが評価された西川は、正社員へ登用されました。

西川 「正社員登用試験に合格したのと同じ時期に、姫路支店から神戸支店に異動することになりました。私の個人的な事情で姫路から神戸に引っ越すことになったことを受け、支店長が、通勤のしやすさなどを考慮してくれたようです。神戸支店も姫路支店も建物全体がバリアフリーですし、障がい者用トイレも完備されているので、車いすであっても仕事をしていて困ることはほとんどなく、働きやすい環境が整備されていましたね」

理解し支えてくれる職場の仲間と、原動力となった友達と家族の存在

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かんぽ生命入社後も、西川は一貫して車いすバスケを続けています。なんと、兵庫県選抜として国体(全国障がい者スポーツ大会)に5度出場し、優勝2回、準優勝1回という輝かしい成績を残す活躍ぶり。

西川 「車いすバスケを続けられていることは、職場の皆さんの理解がとても大きいですね。たとえば、国体試合への参加で1週間程度、仕事を休むことがあるのですが、『頑張って』とエールと共に送り出してくれる社員ばかりで、非常にありがたく、嬉しく思っています」

入社から14年目を迎えた今、これまでを振り返ってみても、人との出会いに恵まれ、働きやすい環境だ、と西川は感じていると言います。

西川 「神戸支店や姫路支店の皆さんは、私の身体が不自由であることはもちろん、車いすバスケを含めて私という存在を自然に受け入れてくれました。でもこれって社会全体で見たら、当たり前ではないかもしれません。自分は人との出会いに本当に恵まれているんだなと感じています。

また、休暇が取りやすい職場風土があって、とても働きやすい環境でもあります。月1回の通院も困りませんし、家族や子どもの体調が悪いときなどには、休暇を取って家族を支えられるのでとても助かっています。かんぽ生命では、多様な人材が活躍できる職場を目指す取り組みが進んでいて、社会的にもとても価値あることだと思います」

こうした充実した日々の中で成長する西川の原動力となっているのが、家族や友達の存在です。

西川 「家族や友達の存在が、仕事でも車いすバスケでも前向きに取り組んでいこうと思えた大きな理由のひとつなんです。事故によって下半身不随になったときに悲しませてしまった家族や友達に、今こうして仕事でも車いすバスケでも挑戦している姿を見せることで、安心してもらえるんじゃないかと思ったからこそ頑張ってこられたと思います。このことが、現在に至るまで私が成長を続けられた原動力です。

今回、このインタビューを受けたことで、職場の方たちにも支えられながら仕事でも車いすバスケでも明るく挑戦し続けられていること、そして、家族や友達、職場の方たちへの感謝の想いを伝えることができて、とても良かったなと思っています」

かんぽ生命では多様な人材が活躍できるよう、ダイバーシティ&インクルージョンを推進しています。自らもそうした取り組みに貢献できる存在になりたいと語る西川。今後もチャレンジを続けていく西川の姿に注目です。