すべてはここから始まった。アイベステクノの支柱、天野 道廣の入社

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▲左から、アイベステクノ 専務取締役 天野 道廣、故:梅田 修社長(1998年撮影)

天野とアイベステクノのつながりは1970年代後半、今から40年以上も前にさかのぼります。その当時のアイベステクノは、創業10年にも満たない社員数も5人程度の零細企業だったと言います。

天野 「前職は電材商社の営業を担当していました。担当するお客様のうちの一社がアイベステクノだったんです。当時は本当に小さな制御盤メーカーで、現社長である梅田 晶久の父親で、今は亡き梅田 修社長とは、購入先社長と仕入先営業担当という関係でした。

2年ほど経ったころ私は大阪へ転勤し、それ以後は連絡を取っていませんでした。

さらに10年ほど経った1990年4月、前職を退職する話が梅田社長の耳にも入ったそうで、ある日突然連絡がありました。私をアイベステクノへ誘うために他なりません」

勢いに押されるかたちで久々にアイベステクノを訪れた天野は、その成長ぶりに感心したと言います。

天野 「10年ほどの間に社員数は30人程度に増えていましたし、活気もありましたね。自分とつながりがあった会社が成長する様を見るのが嬉しかったです。しかし、私にも都合があり、お誘いをきっぱりとお断りして、アイベステクノを後にしました。するとその夜、再度梅田社長から連絡があり、会食をしたいという話になったんです。

さすがに困惑しましたが、顔をあわせてもう一度丁重にお断りするつもりで、翌日会食することに。会食中も懇願され続け、根負けした私はついに誘いを受け入れました。わずか2日間で大きく人生が変わってしまったのです。

しかし、腹をくくった以上は前に進むしかありませんし、何とかなるだろうという楽観的な性格も奏功しました」

入社後の天野は持ち前の行動力と求心力を活かし、アイベステクノの営業担当として着実に売上を伸ばしていきました。

もの静かな女房役、新庄 宣仁の入社

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▲(左端)新庄 宣仁

天野の入社からわずか4カ月後の1990年8月、新庄もアイベステクノに入社しました。

新庄 「天野と私は前職の大阪営業所で7年ほど共に働きました。当時、諸事情により前職の退職を考えていましたが、第二子が誕生したばかりだったので躊躇していました。

それでも思い切って退職し、家族と共に故郷の姫路に戻って転職先を探していた矢先に、天野から声をかけられたんです。最初はお断りしたのですが、天野と同様に、私も梅田社長との会食の席で熱心な勧誘を受け、入社に至りました」

前職と同じく、アイベステクノでも営業担当になると考えていた新庄でしたが、約2カ月間の実地研修後に、制御盤の設計部署へ配属されました。前職の電材商社で電気部品類を扱っていたとはいえ、電気回路や盤筐体の知識がまったくなかった新庄は、スキルを身につけた方法を次のように語ります。

新庄 「わからないことは素直に人に質問する、というのが私のポリシー。30~40年経っても、役職に就いても、それは変わりません。

入社当時もわからないことだらけでしたが、とにかく先輩たちに質問して教えてもらいました。また、お客様に教えていただく機会もとても多かったです。今のようにメールなどない時代でしたので、お客様に電話したり、地元のお客様であれば直接出向いたり。また、お客様自身も、若い人間を育てようという気概を持って接してくれていた時代だったと思います」

ときには大きな失敗を経験することもありましたが、コツコツ地道に取り組み、着実に設計者としてステップアップしてきました。

その後2016年4月、新庄は所長として単身東京営業所へ赴任することに。2011年の開設以降、わずか数人の社員で運営していた東京営業所を、関東地区における本格的な拠点へと拡充することが狙いでした。

新庄 「当社は関西の盤業界ではある程度の知名度がありますが、当時、関東での認知度はゼロに近い状態でした。そこで、まずはわずかな得意先を深耕し、関係性が構築できたところでお客様に他社を紹介していただいて拡大する、というように、少しずつ開拓を進めていきました。

その結果、5年後には社員数も売上高も3倍以上となりました。関西と比較すると、競合社数も倍以上ですし、お客様とのやり取りの方法もまったく違いましたが、大変有意義な経験になりました」

言葉ではなく、背中で語る新庄の誠実で実直な人柄は、多くの部下やお客様からも信頼を得ています。

新しい子会社、日成電機製作所への思い

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▲日成電機製作所

2008年の神戸事業所開設を皮切りに、東京事務所を構え、タイや埼玉県にも子会社を持つなど成長を続けてきたアイベステクノは、2021年12月に新たな子会社を傘下に収めることになりました。愛知県で創業60年を誇る制御盤メーカーの株式会社日成電機製作所(以下、日成電機)です。その背景を天野は次のように語ります。

天野 「日成電機が事業売却に至ったのは、元代表者の体調不良のためでした。歴史も実績もあり、当社を含む6社が競合するほど魅力的な企業でしたが、当社と同業という点からも安心いただけたのか、順調に話がまとまり、半年後には子会社となりました」

現在は、天野が代表取締役として週に2日赴任し、新庄は専務取締役として常駐しています。

天野 「月曜は日成電機の始業時間に間に合うよう、姫路から始発の新幹線で向かい、愛知で一泊して火曜日に帰姫。水曜日以降はアイベステクノに勤務しています。70歳を目前にして、これほど慌ただしい日々を過ごすとは思ってもみませんでしたが、新たなタスクに挑むのはワクワクします。

また、日成電機を牽引して1年半になりますが、時が経つにつれて愛着が強くなっています。社員の真面目さや仕事に対する真摯さを日々強く感じ、彼ら、彼女らの生活をより良いものにしたい、喜ぶ顔を見たいと思うようになったんです。残り少ない就業人生で、わずかでも何かの役に立てることができればと、老骨に鞭打つ日々です」

新庄 「もともとはまったく別の会社なので、アイベステクノとの違いは当然ながら大きいです。アイベステクノは、1カ月あたりの売上高を全社で達成することを目標とする全体主義なのに対し、日成電機は各部署がそれぞれのノルマを抱えている状態です。それゆえ、部署間の連携が希薄で、自社製品に対する責任感も希薄になってしまうんです。部署間の融合が進めば、より良いモノづくりができると確信しています。

また、製造を中心としていて、その前段階である設計や製図が弱い。ここを強化することも急務だと考えています」

常に最前線で働き続けてきた2人は、まだまだ休むことなく上をめざします。

共に歩んで37年。お互いに抱く思いとは

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▲左から、アイベステクノ 専務取締役 天野 道廣、同取締役執行役員 新庄 宣仁

約40年にわたって苦楽を共にし、トップとなった今も前進し続ける2人。これまでを振り返り、今抱く思いをこう語ります。

天野 「まず一番は、33年前に前・梅田社長が私のことを忘れず、アイベステクノに誘ってくださったことへの感謝です。それがなければ、こんなに内容の濃い人生は送れなかったでしょう。そして共に歩んだ新庄にも感謝しています。表舞台で目立つことはなくとも、生真面目で慎重で忍耐力がある。だから安心して任せられるんです」

新庄 「私もあの時に天野からの誘いがなければ、天職と思える仕事に出会うこともなく、まったく違う人生を送っていたはずです。長年一緒に働いてきて思うことは、天野と私とは正反対なんです。チャレンジ精神やコミュニケーション力など、私にないものをたくさん持っている。

名前の通りお天道様のような人柄だからこそ、人とのつながりが生まれ、会社のトップとしてふさわしいのだと思います。私の目標は天野 道廣なんです」

動と静。絶妙なバランスで存在している2人。事実として、残る就業年数は限られていますが、妥協することなく、前へ、前へ──その姿がアイベステクノと日成電機の未来を切り開きます。

※ 記載内容は2023年5月時点のものです