未経験での入社から6年。今や東京事業所のまとめ役に

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東京都港区、JR田町駅から徒歩5分の好立地にアイベステクノ株式会社東京営業所はあります。アイベステクノは兵庫県姫路市に本社を構える制御盤メーカーですが、2011年、社員2名で東京営業所を開設し、その後社員が増えるにつれて広い事務所へと移転し、現在に至ります。

営業や盤設計を担当する男性10名と、CADオペレーターや事務を担当する女性が6名。個性派揃いのメンバーがワンフロアで、和気あいあいと仕事に取り組んでいます。

金尾 「僕は完全に素人の状態で入社しましたが、それから6年が経ち、複数の顧客を担当させてもらっています。また、年に2〜3店ほど新規顧客の開拓もしています。

仕事に慣れてきたこともあり、所内でのまとめ役を担ったり、後輩の相談に乗ることも出てきました。お陰様で社内の各拠点の方ともつながりが持てて、東京とその他拠点間の中継をすることもあります」

中堅社員として順調にキャリアを積んでいる金尾ですが、ここに至るまでの半生は、平坦なものではありませんでした。

家業の倒産、4年間のフリーター生活を経て、ひょんなことから入社へ

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好奇心旺盛でスポーツ万能のわんぱく少年だった金尾。とくにバスケットボールが大好きで、中学以降も打ち込みました。一方で勉強は文系科目が大の苦手、理系科目が好きなことと、父親が機械メーカーを経営していたため、大学では機械工学を専攻しました。

家業の手伝いのため、午前中は仕事をこなし、午後から大学生活と多忙な日々を過ごしました。

金尾 「学生時代は就職活動もさせてもらえませんでした。家業を支えるのに必死でしたね」

そんな金尾を運命が翻弄します。

金尾 「大学卒業後、家業の機械メーカーに入社したのですが、わずか8カ月で倒産を経験することになりました。しかし、機械というものは、半年~1年に1度というような継続的な定期メンテナンスが必要なので、うちが完全に事業を停止してしまうと、これまで取引してきたお客様に迷惑がかかってしまいます。そこで、うちから他社に転職した当時の社員を経由して、機械メンテナンスの仕事をもらえることになったのですが、それらは月に1〜2回程度しかありませんでした。

これでは生活できませんし、この際やりたいことをやってみようと思い、アルバイトを始めました。単発の日雇い、長期の日雇い、フィットネスクラブ、運送会社など、とにかく動きました。時間があるときには、バスケットボールの練習や試合にも参加していましたし、4年間のフリーター生活も悪くはなかったのですが、将来を見据えて正社員として働く決意をし、就職活動を開始しました」

一念発起した金尾でしたが、ブランクの長さもあり、何から始めたら良いかもわかりませんでした。あてもなくインターネットで応募していたところ、自身が登録していた就職情報サイトから適職カウンセリングを受けることを勧められました。

金尾 「希望条件を聞かれましたが、経歴も得意分野も自信も何もないため、最低限の絞り込みしかしませんでした。人見知りなので、飛び込みの営業は嫌だな、くらいで。

すると、数百社の募集要項が目の前に出され、一瞬のフィーリングで〇か×かを判別するよういわれました。本当に一瞬だったので、募集要項も確認していませんでしたが、とにかく〇と判断した企業にエントリーシートを送りました。その結果、最初にエントリーシートが通り、すぐに面接をしてもらえたのがアイベステクノだったんです。

面接直後に内定の連絡をもらいましたが、他社を見ていないので悩みました。そんな中で決め手となったのは、当時の面接官であった上司の人柄で、『この人が上司だったら良いな』と率直に思ったんです。

また、父親の『頭で考えてみても良いか悪いかはわからないから、一度は受けてみれば?』というひと言も後押しになり、内定を承諾しました」 

ときに強風にあおられ、フワフワとただよっていた金尾の人生が、大地に舞い降りた瞬間でした。

風にあおられ、雨に打たれ、それでも着実に根を伸ばしてきた

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正社員としてアイベステクノに入社した金尾は、営業兼設計職として従事することになりました。業界についての知識も、営業や設計職の経験も持ち合わせていなかった金尾は、当時をこう振り返ります。

金尾 「とにかく、がむしゃらでした!本当に何もわからない状態からスタートして、誰に何を聞けばいいのかさえ戸惑う状態でしたから。とはいえ、初めて担当した設計案件は大手企業、それも当社が初めて取引する顧客だったので、失敗するわけにはいきませんでした。日々先輩や上司に指導してもらいながら、何とか形にしていきましたね。設計職は技術がモノをいう世界で、もちろん一朝一夕でできる仕事ではありません。まとまった時間内に集中して取り組むことが必要ですが、営業面でのこまごまとした対応に時間を取られることも多かったです。その結果、設計が進まず後工程に迷惑をかけたり、過勤務が続いたりと、悪い方向へ流れてしまったこともありました」 

始めたばかりの仕事で、真面目で責任感が強いがゆえに、こんな弊害もありました。 

金尾 「仕事に集中しすぎてプライベートを疎かにして、大切な存在を失ってしまったんです。当時は周りから心配されるほど落ち込みましたし、長い間後悔していました。今にして思えば、もっと周りに頼っても良かったんだと思いますが、何もない自分を拾ってもらった恩に報いようとして、内に抱え込み過ぎてしまっていたと思います」 

綿毛は一瞬、地に埋もれてしまったかに見えましたが、それでも種は根付いていました。 

金尾 「今は営業に軸足を移し、そこで自分にできることを確実に遂行してきています。やりがいという面では、設計を担当していた時は、『自分が思い描いたものが形になる』という喜びがありましたが、今は大きな案件が受注できたときや、顧客との結びつきができたときにやりがいを感じます」 

また、ともに過酷な時期を乗り越えた母親とは、こんなエピソードがありました。 

金尾 「入社のタイミングでは、自分には大した価値がないと思っていたので、給与の良し悪しも考えていませんでした。しかし、ここ数年で給与もボーナスもアップし、そのことを母親に伝えると、涙を流して喜んでくれました。母は僕以上に辛い時期を過ごしたでしょうし、フリーター時代には心配もかけました。だからがんばって良かったと、心底思いましたね」 

会社の環境や身近な上司についても、こう語ります。 

金尾 「僕は本当に上司に恵まれているなと実感します。入社のきっかけとなった面接で出会った上司もそうですし、今の上司や先輩もとても優しい方々。もちろん厳しいときもありますが、何か相談したときには、必ず親身になってくれし、部下の良いところを見つけて褒めてくれるんです」 

環境や土壌に恵まれ、根はますますしっかりと育っていきます。

お客様ともできる限り接点を持ち続け、長く頼られる存在に

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営業職に楽しさを感じているという金尾には、自分なりのスタイルがあります。 

金尾 「社内・社外問わず、人と接することを大切にしています。入社後6カ月は本社がある姫路で研修しましたが、その時に多くの社員と話して仲良くなったことが、東京で実務をする際にも大いに活きていました。同様に、顧客とも積極的につながりを持つように意識しています。

たとえば、単純に営業職であれば仕事を受注して終わりで、それ以降のものを作る工程は設計や生産、品質管理が担当します。もしも何かトラブルが発生しても、実際に解決できるのは僕ではない。しかし、そこであえて首を突っ込むことや、つながりを保ち続けることが重要だと思うんです。そこまで入り込まない営業担当もいますし、必ずしも必要なことではないかもしれません。しかし、僕は好きだからやってみています」 

自身を人見知りだと評する金尾ですが、その確たる口調からは自信もうかがえるほど。さらに今後のビジョンについてはこう語ります。 

金尾 「ふわっと入社しましたが、今はアイベステクノに入社して本当に良かったと思っています。ここでしっかりと腰を据えて、上のポジションに就きたいです。理想とする周りの上司のように、僕も誰かに頼られる存在になりたいですから」 

すっと背を伸ばし、空を見上げる。

さわやかな笑顔で、オープンに話かける金尾には、今日もさんさんと陽が降りそそぎます。