「チャレンジング」な会社は面白い

その会社は果たして面白いのか。

キャリアを通じて視野を狭めることなく成長していくことができるのか。

そして、チャレンジングなのか。

埼玉で自営業を営む家庭に生まれ育った石渡 潤は、学生時代の就職活動の際、決して自動車メーカーにこだわりを持っていた訳ではありませんでした。

石渡「学生時代は自分が面白そうと思えるかどうかで就職活動をしていました。最終的にHondaに入社したのは、車やバイク、汎用品など、チャレンジングな事業展開で幅広いお客様に商品を提供していること自体が面白そうだなと思ったからです」

大学のサークル活動でスキューバダイビングをしていた石渡は、訪れたアジアの島々でHondaの商品を目にする機会が多かったことも大きく影響を受けた要因だったと言います。

石渡「国外でHondaのロゴを見かけることも多く、世界に展開する企業というイメージが当時からありました。車やバイクはもちろん、ASIMOなど、現地の生活手段、移動手段としてHondaの製品は使われている。それが先進国から新興国までグローバルで、当時の学生目線でHondaの発信は輝いて見えました」

一つのことに集中するよりも色々なことをやりたいタイプと話す石渡。四輪・二輪・汎用・ロボットなど色々なことをやっている所にHondaのチャレンジングな環境を垣間見たのでした。

石渡「あとは社風。Hondaの企業説明会で社員がみんな好き勝手言っていたんですよね。採用活動がパッケージ化されていない感じがして、自由闊達な会社なのかなと感じたことと夢を前面に押してくる会社だな、と印象付けられました(笑)」

「昔の記憶をあまり引きずらないタイプ」と多くを語らない石渡ですが、彼の見つめる先は常にその先の未来。Hondaの挑戦の歴史に歩幅を合わせるかのように自らのキャリアをスタートさせたのでした。

営業の仕事は社内調整ではなく顧客接点

2001年にHondaに入社した石渡は「営業の仕事がしたい」と希望を出すと、汎用事業部(現 ライフクリエーション事業本部)に配属されました。それ以降、石渡は一貫して汎用製品と関わることになります。

石渡「Hondaに入りたいと思ったきっかけが、幅広い商品を通じてさまざまな顧客と接点を持ちたいと思ったからでした。自営業の両親が直接お客様とやり取りしているのを見て、影響を受けた部分も少なからずあると思います」

石渡が入社した当時の汎用事業部は年齢層が高く、約100人いる中で20代が3人ほど。
最初の2〜3年は営業としての仕事を覚えるために、社内での先輩や上司とのコミュニケーションを大切にしながら色々な人と話をして学びを得ていました。

石渡「先輩からの教えで未だに印象に残っているのは『営業は企画ではなく現場に行って販売店様やお客様の話を聞いてこい』ということですね。

若手が少ない職場だったので、若手が企画の仕事や企画のサポートをできる機会が多く、どうしても社内議論や調整業務など内向きの仕事が多いなかで自分が営業であることにハッとさせられたことを覚えていますし、今も大切にしていることの一つです」

内向きな仕事に終始することなく、お客様や販売店に足繁く通い、声を拾い上げるようになった石渡は、徐々に営業という仕事の喜びを感じていくのでした。

石渡「除雪機を担当していた頃、毎年シーズンが終わる2月〜3月には、降雪地域ごとに販売店様に集まってもらい、各商品の改良要望を伺っていました。翌年度の商品に反映できるもの、次のモデルチェンジに反映するものを議論することが目的です。

商品の改善要望を基にモデルチェンジすることでお客様が喜んでくれる、というのはお客様の反応をダイレクトに感じられる瞬間でもありますし、非常に嬉しかったですね。

例えば、除雪部の大きな石などを巻き込んだ際に、エンジン部分を守るために折れるピンがあるのですが、そのピンが普通に作業していても折れるので改良してほしい、といったカタログではわからない規模の変更でも、お客様にとっては確実に使い勝手や耐久性があがるものなのだと痛感した瞬間でした」

営業という仕事の喜びは、会社の計画に則ってこなしていくこと、すなわちお客様を広げていくこと。「数字を達成していくという点と、お客様の要望を商品に反映して次のお客様に広げていくという点、この2点において営業は非常に面白い」と石渡は言います。

国内営業を経た石渡が次のステージとして選択したのは「海外」でした。

駐在で海外からみた「日本のHonda」の姿

学生時代からスキューバーダイビングで海外を訪れることもあった石渡ですが、キャリアを積む上で海外志向は決して高いわけではありませんでした。

しかし、入社して5〜6年経った頃には、Hondaの商品が海外のお客様にも多くの価値を提供していると数字を通じて感じており、30代を前に今度は海外諸国への貢献を「肌で」感じることで海外でもHondaの商品やサービスを提供したいという気持ちが膨らんでいったのです。

そうして海外駐在の要望を出した石渡。すると、話はとんとん拍子に進み、2014年にタイの現地法人Asian Honda Motor Co.,Ltd.に駐在することになりました。

石渡「タイに駐在したばかりの頃は、異文化に適応することと、語学に慣れることが大変ではありましたが、企画や営業という仕事の根本は変わらないと思いました。地域差、文化差により提供する商品が変わるだけだなと。どんな場所でもHondaとして、品質を担保した商品をお客様に提供し続けるという本質は変わらないのだ。そう確信を持った瞬間でもあります」

駐在したタイは農業関連の製品の需要が高い国。石渡が何より驚いたのは「日本よりもタイの方がHondaブランドへの信頼が強い」ところでした。日本では日系競合メーカーが多いですが、タイでは海外進出までできている小型エンジンの農業関連のメーカーが少なく、競合は中国のメーカーばかり。50年以上品質の高いHondaの商品が根付いている歴史もあり、メーカーとして非常に信頼されていたのです。

石渡「タイに駐在している頃もお客様の声を拾い上げることだけは忘れずに続けていました。Hondaとの取引を開始してから、事業が拡大していると話してくれる販売店の方、10年以上Hondaの製品を使い続けてくれていている農家のお客様、Hondaのエンジンだと魚場に一番早くつけると自慢気に話す漁師のお客様…。

壊れてしまうと農業・漁業の収入が減り、生活が苦しくなってしまうなかで『それでもHondaは壊れない』と信頼して使っていただいていて、Hondaというブランドを通じた“絆のような繋がり”を感じた瞬間でした」 

ライフクリエーションが社会に提供するもの

ライフクリエーション事業という名称になったのが2019年からです。さらにお客様に提供する商品の幅を広げていこうということで名称の変更がありました。

石渡「Hondaはメーカーなので、お客様が求める“商品を提供する”という根本は変わっていないと理解してますが、時代の変化に合わせて、商品もしくは商品を通じてお客様が得たい価値の提供方法を変化させることが、非常に大切になっていると感じています」

お客様が求めている商品と提供方法はなにか。

たとえ1人の営業マンであってもその答えを探し続けていかなければなりません。

石渡「海外も含めると先進国と新興国では求められる商品も変わりますし、合わせてお客さんが求めるものが社会の変化に合わせてどう変わるのか、逆に何が変わらないのかを見極めていかないといけません。競合の状況やイノベーションによって起こる市場の変化など、変数による影響が大きくなっている中で、1人ひとりの社員がより変化に対応できる意識を持つ必然性が生まれています」

そのために石渡が常に意識するのが社外へのアンテナを高く持つこと。

「WebサイトやSNSで処理できないほど情報が取得できてしまう時代、情報の扱いによって意見も変わってしまう、自分の意見や判断基準を持つためにも現場から得られる情報が重要だと、自分にも言い聞かせるようにしている」と話します。 

それはHondaのプロダクトがお客様の生活の向上につながっていることを石渡が国内外での営業活動を通じて肌で感じてきたからでもありました。

石渡「ライフクリエーション事業部には“Helpings people get things done”というスローガンがあります。日本語にすると「役立つ喜びをもっと広げたい」。

私もそう考えている一人で、お客様の生活の向上につながる仕事をしていきたいという思いを忘れずにこれからも邁進していきたいと思います」

「役立つ喜びをもっと広げたい」という思いが込められたHondaのライフクリエーション事業のプロダクトは、今日もどこかで人々の生活を支えています。