手書きのエントリーシートに込めた「Hondaの一員になりたい」という想い

福島の田舎町で生まれ育った助川にとって、幼少期からクルマはとても身近な存在でした。

助川 「高校を卒業するまでを福島で過ごし、移動手段はいつも母親の運転するクルマでした。クルマで移動するのが楽しくて、いつからか自然とクルマに関わる会社で仕事をしたいと思うようになったんです。また、日本のメーカーに対して“堅実でコツコツと積み上げながら仕事を進めていそう“というイメージがあり、自分の性格にも合っていると感じました」

日本のメーカーでクルマに関わる仕事──そこで思いついたのがHondaだったのです。

助川 「Hondaは、モータースポーツ活動やASIMO、私が就活をしているときにデビューした2代目インサイトなど、独自性のある製品を世の中に提供していて、元気でおもしろそうな会社だなというイメージを持っていました。

就職活動中に情報収集のためHondaのWebサイトを見ていると、“「存在を期待される企業」を目指して“というキャッチコピーとともに、夢を持って情熱的にチャレンジを続けている社員の姿が紹介されていました。読み進めていくうちにどんどん引き込まれていって、単純にかっこいいなと思ったのも入社した理由のひとつです」

ちょうど助川が就職活動を進めていたころ、Webでのエントリーシートが主流になりつつある中で、Hondaは手書きのエントリーシートを採用していました。そこに並ぶ数々の設問や巨大な自由記入欄に、何日間もかけてHondaへの想いを一生懸命綴るうちに、「やっぱり自分はHondaの一員になりたいんだ」という想いが整理されていったといいます。

とにかくHondaらしい独創的で尖ったモノづくりに携わりたい。この想いがHonda入社への道のりを支えました。

助川 「入社前は、Hondaは創業者・本田宗一郎のような頑固な技術屋集団の集まり……と勝手に思い込んでいましたが、入社してからそういう人ばかりではないことに気付きました。ひと言で表すと“多様性に溢れている“。いい意味でのギャップを感じました」

慣れない米国での仕事が相手を想う気持ちを育んだ

Hondaがグローバル企業であることは知っていたものの、日本のHondaのイメージしかなかったという助川。入社後は日本国内だけでなく海外の生産拠点で仕事をすることで、異なる言語や文化、価値観というまさに“多様性“に触れ、それぞれに良さがあることを知りました。

それは、今からさかのぼること4年前──助川が海外トレーニー制度を利用し北米の拠点に駐在したときのこと。

助川 「日本では国内のお取引先から部品を調達する物流部門に所属していたこともあり、当初は日米を比較しながらも、いかに効率的に仕事を進めるかを考えていました。ですが、環境もオペレーションもまったく違うし、言葉の壁もあって、そんな簡単にはいかないことをすぐに感じましたね」

戸惑いを感じた助川は上司に相談。まずは北米のオペレーションを1カ月で理解するよう伝えられます。慣れない英語を使いながらも必死に周囲の人々の話を聞き、情報収集をするうちに、1カ月後には北米の国内調達物流の業務フローを作成し、それを基に仕事を進められるようになりました。

助川 「現地での仕事が理解できましたし、一生懸命に働いている姿を知ってもらうことで、まわりの現地アソシエイトとの距離も近づきました。最初の1カ月で、がむしゃらに取り組んでアソシエイトとつながりを持ちながら業務の理解を深めたのは、今後のトレーニー生活の自信になりました」

現場でともに汗を流して、同じ釜の飯を食べる。苦しいことも楽しいことも分かち合ってこそ信頼関係が築けるという大きな学びを得ました。

こうして海外での業務に慣れたころ、今振り返っても印象的な失敗を経験します。当時、助川はアメリカから海外の生産拠点に部品を出荷する部門にいました。

あるとき、トラブルがあり飛行機を使って部品を届けなければならない状況が発生。助川は時間単位で倉庫の出荷作業と準備状況の確認、時間内での準備完結に向けた推進をする役割を担っていました。

助川 「そのときにちょうど他の業務に追われてしまって、自分の役割を果たさずにほかの業務を優先させてしまったことがありました。しかも、そのことを上司や同僚にも伝えてすらいなかったんです。しばらくして、上司からお叱りのメールが届きました」

海外拠点の生産をつなぐために、時間単位のシビアなオペレーションが求められているのに、無責任すぎる──

上司から送られてきたメールに添えられた現場の写真を見た助川は、上司と同僚がカバーしてくれていたことを悟り、「背筋が凍る想いだった」と当時を振り返ります。そして、上司や同僚に対する申し訳なさ、海外生産拠点のことも考えられなかった自分の身勝手さにも腹が立ちました。

こうした経験は助川に相手の立場を考えること、そして視野を広く持つことを強く意識させました。

相手を想うからこそ、「ありがとう」が原動力に

成功体験や苦い経験をした北米での2年間を経て、助川は現在、取引先や輸出拠点から組立工場のラインサイドまでの物流と、生産管理領域の体質改善などを行う課に所属。その中でも、グローバル標準形の構築や、それに基づく各拠点の体質向上展開を担うチームで業務をしています。

助川 「以前は世界の各地域が自立化し、競争をしながら拡大してきました。しかし、グローバル全体でみると、物流の領域でも各地域拠点ごとにバラバラで非効率的なプロセスや業務設計になっていることが課題でした。

そこで、クルマ1台分の全体最適の観点で今後の電動化やモノづくりの進化など、変化に追従した標準形に基づく効率化、基盤強化を各拠点と共に進めています」

取引先、海外拠点のアソシエイト、製造部門を中心とした関連部門など、たくさんの人との関わりながら仕事をしている助川。そこで意識をしているのは、Hondaの運営方針でもある“調和のとれた仕事の流れをつくりあげること“です。そして、その先に“助川と一緒に仕事をして良かった“と思ってもらえることに喜びを感じています。

助川 「自分の主張も大切ですが、相手の立場に立って、何事にも熱意を持って誠実に前向きに取り組んで、信頼関係を築いていきたいんです。誰かのために何かができたことは次への自信と活力につながりますし、それが数珠つなぎで最終的にはお客様のところまで届けばもっと嬉しい。

もちろん働く上で、衝突や苦労はありますが、ありがとうや感謝の言葉が私の原動力のひとつだと感じます」

実は、この考え方は、入社当時から大切にしているものなのです。

助川 「創業者・本田 宗一郎の言葉に“自分のために働け“という言葉があって、入社後に上司からもこの言葉をもらいました。この言葉は自分勝手に働け、という意味ではなくて、誰のために何をするのか、それを常に意識して働けということだと教えてもらいました」

誰かに喜んでもらえること、感謝されること。それが自身の「やってよかった」にもつながり、助川のやりがいや達成感を生み出しています。

Hondaの一員としてお客様に新しい価値を届けたい

自身を「物事を器用に処理することや、要領良く立ち回ることが苦手」と評価する助川ですが、がむしゃらに一生懸命取り組んできたからこそ、学生時代には想像もしていなかった、海外で仕事をする機会を得ることができました。しかし、グローバルで通用する人材になるためにはまだまだ不足があるとも感じています。

助川 「日本でできないことは海外に行っても難しいと思っています。しっかりと足りない部分を補って、トレーニー時代に勉強させてもらった恩返しとして、自信を持って、海外の拠点の事業に貢献できるような人材になりたいです」

自動車業界は100年に1度の大転換期と言われ、クルマへの価値観も時代とともに変化してきている今、助川はHondaの一社員としてお客様に新しい価値を提供していきたいと考えています。

助川 「この時代を経て、クルマはさらに進化して、携帯電話のような人に寄り添った移動手段として進化していくのではないか考えています。そのような変化の激しい時代だからこそ、HondaはHondaらしい、他にはまねできないような独創的な新しい商品や価値、サービスをすべての人に提供し続けていかねばならないと思います。

そのためには、ついつい目先のことでバタバタとしてしまいますが、Hondaで働く一員として、これから来る未来を想像し、それにワクワクしながら、新しいモノづくりの一端を担い、お客様に喜びを届けていきたいです」

もちろん、助川は変化の激しい時代を乗り越える、心強いメンバーがいることも知っています。

助川 「Hondaには“ワイガヤ“という文化があります。たとえば、何か新しいプロジェクトを始めるにあたって方向性を定めたりするとき、年齢やポジションに関係なく、自分のアイデアや意見を自由に出し合う独特のコミュニケーションがあるんです。

新しいことや正解のないことを常に考えていくことが求められている今、その中で困難に直面しても、実現する方法を一緒に考え、方向性を導ける。そんな、前向きさと熱意をもった方と仕事をして、ともに新しいモノを生み出していきたいです」

一緒に仕事をする人々や取引先の人々、そしてその先に存在するお客様──助川は常に前向きに、そして真剣に人と向き合いながら、仕事に取り組んできました。

そうした中で掛けられた、たくさんの「ありがとう」という言葉を活力に、今日も仲間たちとお客様の幸せを思い、着実に成長の歩みを進めています。