すべての始まりはおいしい有機米から。“農”“食”を人生のテーマに選んだ

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▲ひとしずくでは、食や地域に関わる支援にも携わる。インタビュー取材を行うちば(左)

2016年にひとしずくに入社した私は、入社と同時に和歌山県に移住して、テレワークを活用しながら編集・ライティング・デザインなどの制作業務を主に担当してきました。

その後、フリーランスの編集者・ライターとなり、夫と共に喫茶室の運営や地域での編集関連の仕事もしています。

なぜ私がこのような生き方や働き方を選んだのか?その原点は、大学時代の援農体験にあります。

“援農”とは、繁忙期の農家の農作業を手伝うこと。私が通っていた大学では、有機栽培農法で稲作に取り組んできた山形県東置賜郡高畠町の「上和田有機米生産組合」と交流があり、毎年希望した学生が同地を訪れ、「高畠農業キャンプ」という援農体験をしていました。

ある日、私は「高畠農業キャンプ」に参加してきたばかりの友人の家で、高畠産の有機米で炊いたごはんを食べさせてもらうことに。ほかほかでピカピカのごはんのおいしさに衝撃を受けて感動した私は、「来年は絶対に参加しよう!」と、即座に心に決めました。

大学3年生の秋、念願がかない初めて高畠町へ。

「上和田有機米生産組合」では、収穫こそ機械を使うものの、刈った稲は杭に積み上げ、天日干しにします。私たち学生は、人手の必要なこの“杭がけ”という作業を手伝いました。

今思えば、“援農”と呼ぶには程遠く、枝豆と大豆が同じ作物だと知らなかった私のような学生に向けて、農業に触れる機会をつくってくださっていたように思います。

このとき、農家の方々と接して痛切に感じたのが、「こんなに格好いい大人がいるんだ」という想い。地にどっしりと足をつけ、自分の仕事に誇りを持っていらっしゃる姿に感銘を受けました。

作物のこと、農という営み、農家の方々の実直な人柄、育てたお米や野菜のおいしさ──。「本当の豊かさってきっとこういうことなんだ。幸せってこういうところにあるんだ」と思いました。

そして私は、「人間にとって必要不可欠で、豊かな営みである“農”や“食”に関する分野を人生のテーマにしよう」と思い定めます。

生産者の想いを伝える日々を経て、「産地側に身を置きたい」と思うように

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▲2016年に和歌山県に移住。2019年に第一子を出産し、家族3人で暮らす(撮影:花井 清州)

就職活動の時期を迎えると、子どものころから得意だった文章を書ける職種を探し、2008年、紙媒体やWEBコンテンツの編集制作会社に新卒入社しました。

私は、首都圏を中心に展開する生活協同組合をクライアントとする部署で、週刊カタログを編集するチームに配属されました。毎週、締め切りに追われながら、誌面で紹介する商品のレイアウトを考え、原稿を書く日々。生産者の声を伝えるコラムも担当し、日本全国の生産者の方々に電話取材をしました。

さらに、年次が上がるにつれ、カタログの表紙や大特集を担当すると、生産地に直接出向いて現地取材も行うように。

当時は必要な写真や情報を無事入手できるか緊張することもありましたが、振り返れば貴重な経験ばかりで、とても楽しく勉強になりました。

そして、会う人会う人、生産者の方々には信念があり、やはり格好いい。農家だけではなく、畜産家や漁師、食品加工会社の社員など、さまざまな立場の方々を取材し、生産物に込めた想いを伺うことができました。

しかし、仕事自体にはやりがいを感じる一方、東京のビルの中のオフィスで深夜まで残業するような働き方に対して、次第に違和感が増すように。

時を同じくして、そんな想いを共有しながら交際していた、会社の同期で後に結婚した夫が会社を辞め、地域おこし協力隊に応募。彼はひとりで、地縁もなかった和歌山県の東牟婁郡那智勝浦町色川地区に移住することになります。

とはいえ、私自身は仕事が忙しく、移住や結婚が正式に決まっていたわけではありませんでした。ただ、色川を訪れるうちに、美しい山並みや地域が守ってきた山里の風景、住民の方々の温かさにひかれ、「自分もこの地で暮らしたい」という気持ちが強くなっていきました。

また、「どうせ移住するなら選んだ土地にどっぷり根ざしたい」と考えていたことから、東京から遠く簡単にはアクセスできないという立地も、気にいった理由のひとつでした。

その後、私も8年勤めた会社を退社して、色川に移り住みます。

「制作する過程こそ重視する」ひとしずくに入社後、変化した意識

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▲ひとしずく創立2周年の節目で行われたアドバイザリーボードにて

私がひとしずくに関わるようになったのは、ちょうど移住に向けて準備しているタイミングでした。

2016年3月、大学時代の先輩で「高畠農業キャンプ」を共に経験した、ひとしずく代表のこくぼ ひろしがひとしずくを創業しました。創立記念イベントに参加した私は、「社会課題に向き合う人たちを後方支援する」という理念に共感。こくぼに移住に至った想いなどを話したところ、私の考えを理解してくれて、その後間もなく入社することに。

最初はテレワークを活用しながら週2日の契約社員、その後は働き方を変えて業務委託という形で携わってきました。

これまでさまざまな団体や企業の制作業務を担当させていただきましたが、いちばん心に残っているのは、星をキーワードに人々が集うコミュニティ、一般社団法人「星つむぎの村」のパンフレットリニューアルです。

当初、パートナーさんは、長年活動を続けてきた結果、どのような団体なのか説明しにくくなってしまったという課題を持っていました。

そこでわれわれは、ゼロベースでヒアリングや議論を重ねて、活動内容を整理。客観的な視点からとらえた団体の存在意義や魅力を、パンフレットのキャッチコピーやデザインに落とし込んでいきました。

そのかいがあり、パンフレットが完成すると、パートナーさんがとても満足してくださったんです。「星つむぎの村はこんな団体だと言語化してもらえた。ひとしずくさんに頼んでよかった」と言っていただいたときは、本当に嬉しかったですね。その後、団体のウェブサイトのリニューアルもご相談いただき、厚く信頼していただいたことに大きな喜びを感じました。

前職から長く制作業務に携わってきましたが、ひとしずくでの仕事を通じて、“制作”に対する意識が変わった点があります。

それは、後方支援において「制作物の完成というゴールと同じくらい、そこに至るまでのプロセスも重要」という考え方。

何かものをつくるとき、とくに団体パンフレットやウェブサイトを制作するためには、活動の根幹にあるものを深く掘り下げていくことが必要となります。最終的には、その核となる部分をタグラインやキャッチコピー、概要説明などに、言葉として落とし込んでいかなければいけません。

掘り下げる作業に時間をかけ、多様な視点を取り入れることで、パートナーさんが活動に対するモチベーションを高め、組織として活性化するきっかけになる──そんな気づきを与えてもらいました。

地域に根ざして営む──多様な生き方ができることを示したい

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▲週3日だけ営業する「らくだ舎喫茶室」。地域の住民や来訪者の接点となる場を目指す(撮影:yoshiki maruyama)

ひとしずくで働き始め、そして色川に移り住んで4年の月日が経ちました。私にとって、ひとしずくは「新しい村」のような存在だと感じています。

メンバーは働く場所こそ異なるものの、「世界を良い方向に変えたい」という同じ志を持ち、緩やかにつながっている感覚があります。

キャリアやスキル、個性も十人十色でありながら、話をすればお互いに通じるものがあり、気持ち良く仕事ができる──。そんな仲間が集う共同体は、これからの時代における組織のひとつのあり方なのではないでしょうか。

そんなひとしずくのメンバーと共に、私がいつか挑戦したいと思い描いているのが、“地域”に関する仕事です。

2020年現在、各地域では、国の掲げる“地方創生”に自治体が連動し、移住・定住促進を目的としたプロジェクトや広報PR活動が増えています。しかし、それらの内容が地域の実情に合っていないように感じたり、東京や大阪を拠点とする企業が移住を勧めることに違和感を覚えたりすることがありました。

だからこそ、都市圏にいるひとしずくのメンバーと地域に住む私が協働することで、都会と地方、両方の視点を行き来しながら、本質に寄り添った支援ができるのではないかと考えています。

とはいえ、「過疎地域は移住・定住を促進すべき」という確信を持っているわけではなく、すべての人に移住を勧めるつもりはありません。

ただ、私自身、学生時代までは「どこかの会社に入らないと生活していけない」と思い込んでいました。その後、地域で暮らしながらフリーランスとして活動するうちに、「そうではない生き方もできる。多様な選択肢があることを多くの人に知ってほしい」と考えるようになったんです。

そんな想いを体現するため、2018年から夫と共に、「らくだ舎」という屋号で事業を始めました。柱となるのは、喫茶室兼本屋の運営と、編集室として行う広報や制作の仕事です。

さらに今年から、「おいしい手紙」と題し、色川で出会った食べ物に、私たち夫婦の近況やつくり手の物語、地域の様子を伝えるリーフレットを添えて届ける取り組みもスタート。これまでの経験を土台に、私たちだからできることが形になった実感を得ています。

正直なところ、1歳の娘を育てながらさまざまな仕事をしていると、毎日慌ただしく、心が折れそうになることも。そんなときは、「自分が選んだ道だ。やりたくてやっているんだ」と初心に返るようにしています。

大学時代に感銘を受けた援農体験、日本全国の生産者を取材した日々、ひとしずくで広がった視野、色川で実践する地域での営み──。これまでの歩みがすべてつながり、楽しく過ごせている今、とても充実しています。

一方で最近、「これからどう生きていくのかという問いと答えは、常にアップデートしていくべきだ」という想いも芽生えるように。それは、ひとしずくのメンバーも同じかもしれません。悩み迷うことがあっても、最終的には自分自身が納得できる道を選び、前進していきたいです。