老若男女さまざまな人々と学ぶ場「シブヤ大学」との出会い

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▲「全国にシブヤ大学の姉妹校をつくりたい!」と集まった、各地域のプレイヤーとの1枚

私は、現在、ひとしずくにワークショップ設計パートナーとして関わりながら、さまざまなプロジェクトにおいてワークショップの企画やファシリテーションなどの仕事をしています。なぜ、私がワークショップに対してプロフェッショナルに取り組みたいと思ったのか? その原点は、NPO法人「シブヤ大学」が展開する学びの場にありました。

大学のゼミで広告の仕事に関心を持った私は、卒業後、人材総合サービス会社に就職。求人広告のコピーライターをしていました。朝から晩まで仕事に没頭し、キャッチコピーを生み出す日々。新人時代には、自分の力量不足を痛感することもよくありました。

「もっと発想力を豊かにして、コピーライティングのスキルを高めたい」。そんな想いを抱えていた社会人3年目、たまたま「シブヤ大学」の開校案内を目にしたんです。「誰でも先生、誰でも生徒」「渋谷という街のあらゆる場所を教室に、多様な授業(講座)を開催する」というコンセプトに魅力を感じ、いろいろな授業に参加するようになりました。

私にとって、「シブヤ大学」は、現在では一般的になった、自宅や職場以外の「第三の居場所」とされる「サードプレイス」に当てはまる場所でした。老若男女さまざまな人々と出会い、対話し、共に学ぶ中で、自分自身の視野が広がったと思います。

事務局のボランティアとして運営にも関わり、次第に授業の企画・コーディネートをする役割を担当。渋谷を飛び出し、関東6県で地域のおもしろさを学ぶツーリズム企画を考えるなど、「シブヤ大学」の活動に力を注いでいました。

そのように社外でのフィールドが広がる中、次のステージの可能性を考えるようになり、4年勤めた後、人材総合サービス会社を退社しました。

東日本大震災を機に芽生えた、「ワークショップで飯を食う」という覚悟

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▲ファシリテーターをサポートする事務局として、プログラム設計から当日事務局として稼働することも

その後は、「シブヤ大学」のプロジェクトデザインをしていた関連会社に入社。その会社では、街づくりの一環としてマルシェイベントを企画・サポートするという、ソーシャルデザインの先駆けのような事業を担当しました。

しかし、当時は、「CSR」という言葉もまだ出始めたころ。ソーシャルデザイン事業一本で、収益化できる時代ではありませんでした。

そんな中、東日本大震災が発生。クライアントワークかつ、ハレの日の催しだったイベント事業は全部ストップして、毎日の業務がなくなってしまいました。

そこで、これから何をしていきたいのか悩んだ末にたどり着いたのが、「ワークショップをゼロからつくりたい」という答え。「シブヤ大学」の授業によって、学びの場を通して気付きや人とのつながりを得られるすばらしさを実感していたからです。

その後、ワークショップを中心としたファシリテーターになるため、30歳で独立。当時は、勉強のために、イベントプラットフォームを利用して、さまざまなワークショップに申し込んでいましたね。参加したワークショップで知り合った方から声をかけていただくなど、徐々に仕事も増えていきました。

さらに、ちょうどそのころから、共創を生み出すためのアイデアソンや対話型ワークショップを開催したい企業も増えて追い風に。では、なぜ、企業が外部の人間にお金を払ってワークショップの設計や進行を頼むのか?それは、客観的な視点を保てる利点があるからだと思います。

ファシリテーターである私の役割は、クライアントが希望するイメージを具現化するために、「ワークショップをすることで目指したいものは何か?」とゴールを設定し、そこにたどり着くまで参加メンバーの意見を整理し、期待値調整をしていくこと。そのために、私は「輪郭」と「解像度」という視点を大切にしています。

たとえばあるプロジェクトを「カレーをつくること」に置き換えた場合、Aさんは家庭料理のカレー、Bさんはお店で食べるスープカレー、Cさんはキャンプで調理するカレーを想定していると、プロセス(解像度)とゴール(輪郭)がまったく異なるため、そのプロジェクトは崩壊してしまいます。

そこで、「どんなご飯を食べたかったのか?」と問いかけてあげるために、ワークショップやファシリテーターが必要となるんです。

そして、最終結論は、ファシリテーターではなく、参加メンバー全員が納得して主体的に決められるように導くことを心掛けてきました。

ひとしずくと協働し、移住促進のために市民参加型のワークショップを開催

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▲秋田県鹿角市の皆さんとつくりあげたワークショップ「カヅノ編集会議」

さらに、ファシリテーターとして活動を続けながら、いくつかの団体にジョインしてさまざまなプロジェクトを推進するように。

中でも、「エコロジーとエコノミーの共存」を掲げる一般社団法人Think the Earth(シンク・ジ・アース)は、「環境問題に無関心な人に、クリエイティブの力で注目してもらう」取り組みに共感しました。エシカルファッションを広める事務局を運営したり、新聞社と環境啓発事業を協働したりするなど、現在も多様なプロジェクトに関わっています。

そんな中、あるプロジェクトでひとしずく代表のこくぼ ひろしと知り合ったことをきっかけに、ひとしずくと関わるようになりました。

こくぼと初めて会ったとき、「ひとしずくという会社を立ち上げ、横浜のシェアオフィスを拠点に働いています」というあいさつを聞いて驚いたのを覚えています。

なぜなら当時、ひとしずくが入居していたシェアオフィスは、私が立ち上げた一般社団法人も入居していたシェアオフィスと同じ。そこから交流が始まり、ひとしずくが取り組むPR案件の中で、ワークショップの設計やファシリテーションを依頼されるようになりました。

いちばん印象に残っているのは、秋田県鹿角市がパートナーとなり、地域おこし協力隊と一緒に取り組んだ、移住促進のためのPR案件。市民参加型ワークショップを開催することになり、ゼロから企画を練り上げました。

「カヅノ編集会議」と題したそのワークショップでは、ソーシャル&エコ・マガジンの『ソトコト』編集長の指出 一正さんをゲストとしてお招きし、鹿角市民や出身者の方々に参加していただきました。

私がファシリテーターを担当し、指出編集長と参加者の方々との対話を通じて、鹿角の魅力を再発見するゴールを設定。「子育て環境」「起業・創業」「遊び・趣味」という3つのテーマについて、参加者の方々からリアルな情報を集め、それぞれの魅力を反映したポスターを制作するなど、新しい取り組みができたと思います。

「複業」「移住」「SDGs」を軸に、新たなワークショップを目指す

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▲2018年のひとしずく創業2周年記念パーティーでは、トークゲストとして登壇(右がすずき)

私にとって、ひとしずくという会社のイメージは、「世界を大きく変えたい変革者」というよりも、「時代の風向きを読み、社会やパートナーを先導するペースメーカー」のような存在に近いと感じています。

社会課題をアートで表現する「chart project®」のような自主事業も応援していますし、これからもクリエイター仲間を増やしながら、ぜひ続けていってほしいですね。

私個人としては、2018年に株式会社カゼグミを立ち上げ、現在は出身地の茨城県と東京都の二拠点を中心に、「複業」「移住」「SDGs」関連のプロジェクト推進を行っています。なぜ、それらのテーマに取り組んでいるのかと言うと、現代日本の課題を俯瞰でき、時代的にもニーズが高まっていると感じるからです。

たとえば、「複業」については、私自身、「シブヤ大学」に参加していた会社員時代から現在に至るまで、さまざまなチームで働くおもしろさを知ることができました。選択肢を増やすサポートをすることで、個人が幸せになり、最終的に経済活性化につなげられれば嬉しいですね。

また、「移住促進」で大切にしているのは、「Local to Local」という考え方。東京もひとつの地方としてとらえ、「茨城」と「京都」など地域間の結びつきを構築し、人材の交流を図っていきたいと考えています。

今後、ひとしずくと協働してみたいことは、環境分野など「SDGs」をテーマとしたゼミ。地方の大学や高校などで、関心はあるけれど周囲に仲間が少ない学生のためにつながりを広げる目的も兼ねて、ぜひ開催してみたいですね。

しかし、新型コロナウイルス感染症の拡大が続き、ワークショップなど人が集まるリアルイベントは、開催が難しくなっている現状もあります。ただ、私自身は、「この機にワークショップという概念が変わる」と考えているんです。

これまでやってきたワークショップをそのままオンラインに置き換えるのではなく、いかに斬新なアイデアを加えられるかが重要。コロナ禍を逆手に、新たなものが生まれる可能性を信じて、これからもまい進していくつもりです。