社会に息苦しさを感じ、どう生きるべきか自問し続けた学生時代
私が社会に関心を向けるようになったのは、高校生のころにさかのぼります。当時の日本は、不景気の真っ只中。格差社会や環境破壊などの社会課題に対して、「どうにかできないか」と感じるものの、学生という立場で世の中を変えるような手法もわからず、モヤモヤした気持ちを抱えていました。普段の学校生活では、勉強もしていたし、友人もいたけれど、仮面をかぶって楽しんでいるような、どこか冷めた感じで毎日を過ごしていましたね。
そこで、社会についてもっと知るために、大学受験では、総合政策学部や社会科学部ばかりを選択。政治学や法学、経済学に加え、自然科学や人文科学、情報科学の観点も交え、総合的に社会について学ぶことができたからです。入学した大学では、たくさんの人々に出会い、さまざまな価値観にふれると同時に、それまで自分が身を置いていた世界の狭さに気づくようになりました。
しかし、大学3年生になると、周囲が一斉にリクルートスーツを着て就職活動をスタートします。私はその様子を眺めながら、「なぜ画一的に進路を決めなければならないのだろう?」と疑問に感じ、同じように就職活動をする気持ちになれませんでした。当時の私には、まだやりたい仕事も入りたいと思える会社もなく、これから先の自分の人生を「どこかの会社に入ること」だと単純に考えられなかったからです。
結局、就職活動をしないまま卒業し、アルバイトで資金を貯めて、以前から興味があった海外留学をすることにしました。留学先は、イギリスのアートスクール。子どものころから、料理や裁縫など手を動かすことは好きでしたが、社会学を学んだ後に芸術を選んだのは、自分でも意外でしたね。
ただ、当時は、頭の中にいろいろなイメージが浮かび、「これをカタチにしたい」と思うことが多かったんです。「思考や想いを表現する力・具現化する力を身につけることができれば、この先どうにか生きていけるのではないか」と考えて、息苦しさを感じていた日本を飛び出しました。
芸術留学で出会った「社会彫刻」の概念が生きる指針に
イギリスでの芸術留学は、私にとって人生観を変える大きな転機となりました。日本で常識とされていることが、イギリスでは通用しない。反対に、イギリスで常識とされていることが、日本では通用しない──そんなカルチャーショックを受け、社会や環境によって価値観が異なることを実感し、「いろいろな視点から物事を視ることが大事」と考えるようになったのです。
日本でがんじがらめになっていた世間体からも解放され、「こうあらねばいけないのではないか?」と考えるより先に、「自分はどうありたいのか?」ということに意識が向くようになりました。
さらに、課題の作品制作に打ち込む日々の中、私はひとりのドイツ人芸術家の存在を知ります。彼の名は、ヨーゼフ・ボイス。「社会彫刻」という概念を提唱し、「すべての人間は芸術家である」として、労働であれ何であれ、自らの意思を持って社会に参加し、未来を造形する人間の行う活動はすべて芸術であると訴えた人物です。「自分がありたい姿は、まさにこれだ!」と彼の思想に衝撃を受けた私は、それ以降、「社会彫刻」を人生の指針とするようになります。
そして1年半後に日本へ帰国。「自分の関心の対象である社会と向き合い、視野を広げるためには、多くの人たちが感じていることを知りたい。一度、会社員として働いてみよう」と考え、人材派遣会社に登録することに。面接では、私の経歴や志望動機をおもしろがってくれた担当者からスカウトされ、そのままその会社に正社員として採用されることになりました。
初めての就職では、一般事務を担当。地味ではあるけれど、一つひとつのスキルを身につける過程は楽しく、社会人としてのあり方を知ることもできました。
その後、別の会社を経て、「さらに多角的な視点やスキルを養いたい」と考え、不動産を扱う企業に転職。役員アシスタントを始め、プロジェクトマネジメントや新規部署の立ち上げ、社内体制の構築など、社内の各部署を横断しながら包括的な業務経験を積みました。
7年勤めた後、目標としていた経験や吸収したかったスキルを身につけられたと感じ、入社時に自分で定めていた「終える時期」を迎えたこともあり、退社。実は、新卒時に就職活動をせずに海外留学したことから、同世代から出遅れているように感じたことも正直ありました。しかし、地道にキャリアを築いてきたことにより、そんなコンプレックスもいつしか解消され、社会の中で生き抜く自信が持てるようになっていました。
「いつか、社会に対して志を共にできる人たちと“社会彫刻”をしたい」漠然と思い描いていた留学時代の想いを胸に、小さな一歩を踏み出したのです。
“世界を変えるひとしずく”という言葉に共鳴した出会い
その後、私は、社会や地域に向けた事業を展開する社会起業家を支援するシェアオフィスのスタッフとして働くことに。
コワーキングスペースやワークショップスタジオも兼ね備えたそのシェアオフィスでは、交流イベントなども多く、たくさんの社会起業家の方々と接して刺激を受ける日々を送っていました。
そんなある日、新しく入居してくる会社の社名を知り、驚きます。その名は、ひとしずく。なぜなら、当時、私がプライベートで制作していたアート作品のタイトルが「大河の一滴」だったからです。その作品は、「大きな河も、人間の体も、社会も、宇宙も、どんなものも全部小さな一つひとつの集積」ととらえて、その存在のかけがえのなさをコンセプトにしていました。
そこで、代表のこくぼ ひろしと会ったとき、社名の由来を尋ねてみることに。そのとき教えてもらったのが、「どんなに小さくても、ひとりひとりの社会をよくするための行動(=“ひとしずく”)を支援することが、やがて世界を変える大きなうねりになる」という社の理念。それはまさに、私の作品のコンセプトにも通じる視点。「この人と価値観が合うかもしれない」と直感し、「何かお手伝いできることがあれば、声を掛けてください」と伝えたのが、私がひとしずくに関わることになったきっかけでした。
その数か月後、こくぼから声が掛かり、PR案件のサポートから始まり、徐々にさまざまなプロジェクトをリーダーとして担当するようになりました。
その中でもとくに印象に残っているのは、公益社団法人「日本ユネスコ協会連盟」のウェブサイトリニューアル。大規模なウェブ案件を手がけるのは初めてでしたが、グローバルな団体であるパートナーさんがもつ軸の訴求を意識して、システム開発会社とデザイン会社と共に、チーム一丸となって取り組みました。
しかし、当初予定していた構造設計や制作スケジュールが変更になるなど、次々と問題が発生。なんとか山場を乗り切り、最終的にご納得いただいたウェブサイトを完成することができました。先方のご担当者の方から「いろいろありがとうございました。ひとしずくさんとは、今後もお付き合いしたいです」と言っていただいたときは、本当に嬉しかったですね。
ひとしずくは、“社会に滴り続ける志・良心”
その後、人事や労務制度を整え、結婚を経た現在は、経理を中心にバックオフィスとしてひとしずくを支える業務にシフト。小さな会社だからこそ、ゼロからイチをつくれることにやりがいを感じていますね。
私にとっては、仕事でのアウトプットもアート作品の制作も、「“こうしたい”“こういうものがほしい”をカタチにする」という意味では同じもの。淡々と業務をこなすだけではつまらないので、単純な事務作業でも常にどうしたらもっとよくなるかを考えて、効率的な提案や進め方の工夫をするようにしています。まさに「芸術する」気持ちで――。
入社して4年。さまざまな視点から、ひとしずくという会社をとらえて表現できるようになりました。私はひとしずくを、社会にとっては「社会に滴り続ける志・良心」、パートナーさんにとっては「本気を支える本気の影武者」のような存在だと思っています。私自身にとっては「よき未来とそのための現在を望むための窓」といったところでしょうか。
NGOやNPO、企業や生活者など、さまざまな立場の方々と社会課題の解決に挑むひとしずく。私自身もその一員として、これからもさまざまな視点を増やして社会と向き合っていきたいと思っています。