アメリカへの留学で気づいた教育の重要性
吉江 「人事とは、人々を管理するのではなく、働く方々のパートナーとして働きやすい環境をつくるのが仕事です」
社内では「タイさん」の愛称で親しまれている吉江。高校時代にアメリカ留学を経験した際に、イニシャルをとってホストファミリーに名付けてもらったこの愛称を今でも気に入っているそう。アメリカへの留学、数々の国際的企業での人事の経験を経て、そのスキルを活かしたいと59歳でグリーンピース・ジャパンへ転職を果たしました。
吉江 「グリーンピース・ジャパンで働く決め手となった1番のきっかけは新聞記事です。それは、とある国際的に活躍する企業の広報部長を務めていた女性が、30年間企業に勤務しながら培ったスキルを活かし、子どもの貧困問題の解決に向き合うNGOの広報部に転職したという内容でした。
その方の活躍や仕事にやりがいを持っている姿を拝見し、いつか自分もある程度の年齢になったら、社会課題に取り組む団体で自分の培ったスキルを活かしたいと考えるようになりました」
両親や祖父母の影響で、小学生のころから新聞を読むのが日課だった吉江。新聞を通して世界のことを知るにつれて、海外への憧れは強くなりました。
吉江 「私は福井県で生まれ育ちました。福井県は都道府県の中で人口はかなり少ない方ですが、世界的に活躍している人や企業がたくさん存在します。
たとえば、鯖江市のメガネは、日本はもちろん、世界でも高いシェアを誇っています。ほかにも、福井出身で国連に勤める方、アメリカ企業の幹部として活躍している方を新聞で知りました。
同時に、それらの活躍は福井県が力を入れている教育のおかげでもあるということも書かれていて、以来『頑張って勉強して、自分もいつか海外で仕事がしたい!』と意気込むようになりました」
海外で働く夢を叶えるべく、高校時代の吉江はアメリカ留学を実現します。英語力を身につけただけではなく、教育のあり方や重要性について考える人生の転機でもあったと振り返ります。
吉江 「留学して一番驚いたのが、『スピーチ』を学ぶ授業の存在でした。通っていた高校では、大勢の前で自分の意見を言える人間を育てることをとても重視していて、この授業は必修でした。一見簡単そうに見えるスピーチですが、聴衆を惹きつける導入の仕方や、語り口調、間の取り方、自分の意見の組み込み方など、たくさんのコツがあるんです。
そういったことを理論立てて学んで、授業でみんなの前でスピーチをして実践を積みます。日本の学校では授業中に自分の意見を言うことはほとんどありませんでしたが、『自分の意見をみんなに伝えることができることは、なんて楽しいんだ!』と初めて授業がおもしろいと感じた瞬間でした。そして、自分の意見を発信していくことは、将来大きく役に立つと感じました」
失敗が私を人事の仕事へ導いた
アメリカの教育を受け、意見を伝える技術やメンタリティをもっと日本の若者に伝えていきたいと感じた吉江。大学卒業後、最初に選んだのは高校の英語教師の仕事でした。数年働いたのち、やはり教育についてもっと学びたいと、アメリカの大学院へ入学。教育や組織論について理解を深め、卒業後は日本の教育に変革をもたらすような仕事がしたいと考えます。
吉江 「大学院の卒業後は、日本の大学で教育システムを再構築するような仕事がしたいと思っていました。その想いを紙に書いて、いくつかの日本の大学に送ってみたんです。でも、全く反応はなく、私の希望する進路は絶たれてしまい、失敗に終わりました」
途方に暮れた吉江を救ったのは、大学院の恩師の言葉でした。
吉江 「『企業の人事部には、必ず社員へ学びの機会を提供するLerning & Developmentという部署がある。学校だけではなくて、企業にもあなたの教育に関するスキルを磨く場所がある』と、言われたんです。
それまで私は、教育と言えば学校をイメージしていて、企業で教育をするなんて思いつきもしませんでした。大学院を卒業した30歳手前の私が、今さら企業で働けるのか、正直不安もありました。でも、恩師は『あなたの情熱があれば大丈夫、行ってきな』と背中を押してくれました」
理想とする教育を実現する場を学校から企業へと再考したのち、吉江は40以上の企業へ自身の学んだスキルや、自身の考える教育の重要性について熱心に伝えてまわります。そこから、企業人事としてのキャリアが始まります。
長年のスキルを愛する自然を守るために役立てたいと転職を決意
子どものころから福井の美しい海や川、山が好きだったと言う吉江が環境問題を意識したのはいつごろだったのでしょうか。
吉江 「子どものころに、マイクロプラスチックの問題を新聞で読んでずっと心に引っかかっていました。大人になってからは、ハワイが好きで、忙しい社会人生活のごほうびとして毎年行っていたんです。ハワイに通うなかでも、海が年々汚れていくのを感じましたし、地元紙にはウミガメがプラスチックゴミを飲み込んで、死にいたる事例が後を立たず、海の状況が深刻であることが書かれていました。
地元の福井の海も流れてきたプラスチックゴミが増えていく状況。今から環境のために行動を起こさないと、自分の大好きな自然が失われてしまうという危機感を覚えました。もう30年くらい前のことです」
プラスチックゴミへの関心がきっかけで、とある企業に勤めていた際には、河川敷のゴミ拾いのプロジェクトを企画している大学生の団体に連絡をとり、会社の社員を連れ、休日にゴミ拾いの活動をしたこともありました。行動を起こしながら、地球環境のため、50年後、100年後の未来のために今から取り組まなければという意識がますます高まったこともグリーンピース・ジャパンへの転職のきっかけとなりました。
吉江 「グリーンピースで働いてみて一番驚いたのは、一人ひとりが自然を心から愛し、環境問題解決を心から願い、情熱を注いでいることです。企業にも仕事へのモチベーションの高い方はたくさんいましたが、組織の性格上、理想よりも利益を追求しなければいけない場面がどうしてもあります。
グリーンピース・ジャパンは自分たちの取り組みに関して、みんなが仕事に誇りを持ち、環境への危機感も共有できている。情熱を持って未来に邁進する姿勢は、グリーンピースの素晴らしい文化です」
人事とは、社内の全ての人と共に歩むフロントラインの仕事
長年のキャリアを活かし、グリーンピース・ジャパンで働き始めた吉江が、今後取り組みたいことはどのようなことなのでしょうか。
吉江 「どんな人も、年齢を重ねてから新しいことに挑戦することを躊躇してしまうと思います。私も、長年勤めた民間企業を離れ、59歳で初めてNGOに勤めることへの不安はありました。
小学生のころは、自分が60歳になっても働いているなんて思いもよりませんでしたが、実際に働いてみて意外にもやれるものだと思っています。今は、社会を見渡してみると60代、70代でも元気に働いている方がたくさんいます。これからの日本はますます高齢化が進んでいくと思いますし、元気に働くことができる人口が増えることは、それだけ社会を支える人間が増えるということ。シニア層には、長年のキャリアで培ったスキルという強みもあります。
どんな世代も新しいことに挑戦できる世の中は、環境問題にとっても必ずプラスに働くはずです。自分が元気に働き続けることで、若い世代にも『70代、80代まで頑張ってね』と伝えていきたいです」
また、教育分野に長年情熱を傾け、数々の企業で人事の仕事に携わってきた吉江は、その仕事の魅力についてこう語ります。
吉江 「人事の仕事はよく『バックオフィス』と言われるのですが、実は組織を良くするために社内一人ひとりのパートナーとして協働するフロントラインの仕事なんです。また、グリーンピースの人事は今後『人を育てる』ことにより力を入れていきます。
今まで、人事の仕事について『HR(=人的資源)』と表現されてきましたが、個々の能力をすでにあるものと捉えるのではなく、教育や企業文化の醸成によって輝くものと捉える『P&C(=People and Culture)』の呼称が最近使われるようになってきました。グリーンピースでもいち早く、数年前から人事部についてP&Cの呼称が使われています。人を大切に育む発想は、グリーンピースの素晴らしい文化です」
また、吉江は100年後の未来についてこう望みます。
吉江 「私が100年後に願うのは、階層や階級に関係なく地球のためにみんなが分かちあい、力を合わせて取り組める社会。人事の世界でも、効率的な組織運営のためには階層や階級はなくてはならないものだけど、あり過ぎると組織が機能しなくなると言われています。
地球の資源には限りがあります。それを地球上の全員が、それぞれの能力を輝かせ、企業や国家、階層や階級の枠を越えて恵みを享受できるような世の中を今すぐに目指さなくてはなりません。私もグリーンピースの一員として、環境問題の根本的な解決のため、どのような社会を目指していくべきかこれからも考え続けていきたいです」
吉江 猛 人事部
福井県出身。小学校のころに、福井出身の企業や人々が世界的に活躍していることを新聞で知り、海外で働くことを志す。アメリカの高校へ留学したことをきっかけに、自分の意見を伝えることを大切にする教育の素晴らしさに気づき、その経験を活かして日本の若者を教育しようと決心。日本の高校で教員として勤めた後、大学院で教育や組織論についてより理解を深める。その後、恩師の言葉により、教育が重要なのは学校に限らず企業においても同じということに気づき、多国籍企業の人事としてのキャリアを積んでいく。
一方で、子どものころから福井やハワイの自然が好きで、年々その環境が悪化していることを感じて以来、所属する企業のCSRの一環としてゴミ拾い活動などのボランティアにも率先して取り組む。
2022年、59歳にして、自身初のNGO団体グリーンピース・ジャパンに就職。これまで民間企業で培ったスキルを活かし、新たな人事制度の策定などに従事。自身の経験から、どんな世代でも新しいことに挑戦し、活躍できる社会のため情熱を注ぐ。