お客様に信頼される「金融パーソン」になるために。がむしゃらに走り続けた信金時代
──はじめに、学生時代や就職活動前後の時期について聞かせてください。
父が私を「塁」と名付けるほど野球好きで、その影響で私自身も小学校から大学まで野球一筋。そのうちの7年間は、地元を離れて生活していました。
就職したら絶対に地元に戻ると決めていたので、就職活動のタイミングでは今までやってきた野球を続けながら働ける職種を軸に探していました。信用金庫や銀行などの金融機関では野球チームがある所が多く、ちょうど声をかけてもらったんです。
金融業界は、私の中では安定しているイメージが強かったので、そこに漠然とした魅力を感じていて。また、野球が続けられるというのも私にとって大きく、前職の信用金庫への入庫を決めました。
当時、県内の軟式野球大会で数多く優勝を重ねているチームだったので、平日は金融業務、土日は部活動という形で入庫後も真剣に野球をやっていました。
──前職では、どのような仕事をしていましたか?
私が勤めていた信用金庫では、金融商品を全面的に推進していまして、1年間のうち7〜8カ月間は定期預金の推進がメインの仕事でした。そのほか、積立預金や保険・投資信託、コロナ融資などの融資業務、消費者ローンなどにも対応していました。地方銀行と少し異なるのが、基本的には地区担当として動くので、任されている地区で預金や融資、相続についての相談があれば、まずは担当者が駆けつけることになる点です。
担当地区は広く、たとえば私が任されていた地区だと、区や町の6、7箇所を任されるぐらいの規模ですね。集金や、情報収集など1日20件は回るよう指導を受けていました。3年半務めましたが、本当にいろいろなお客様に出会わせてもらいました。
23、4歳という若さで企業の社長の方々と対面で話ができるなど、いろんな価値観や考え方を持った大人と話せたことは大きな経験として今も活きています。また、信用金庫は地域密着型なので、60代から80代までの昔から顔馴染みというお客様が多く、「塁くん、昼ごはん食べ」と私のことを孫かのように接してくれる方もたくさんいらっしゃいました。自分の中で、地域の皆さんと一体になれたのがよい経験になりました。
──当時の印象的なエピソードはありますか?
初めて融資案件を受けた時のことです。従業員の給料を工面できない企業様の対応をしていて、お客様から心痛な面持ちで「あなたたち信用金庫が貸せないとなったら、もう私たちは見捨てられるのか」というお言葉をいただきました。お客様がそんな強い気持ちで1日1日を過ごされていて、融資を出せなかったら事業が行き詰まるという深刻な事態なのに、手を差し伸べられないもどかしさを感じたのを、今でも覚えています。「本当に、この仕事はこういうことなんだよな」と。
そこで、あらためて私自身も気づかされて、「知識は礼儀」ではないですが、ただただお金を預かるだけでなく、そういう背景も考えなければいけない。野球だけじゃなく、ちゃんと金融パーソンとしてお客様に対応していかないといけないと気持ちを新たにさせられました。
悩んでいた自分に届いた1本の電話

──ジブラルタ生命への転職について、どのようなきっかけや経緯があったのか聞かせてください。
ある日、私のもとに現在も所長である吉田さんから一本の電話がかかってきたんです。どういう内容か尋ねると、「単刀直入に、スカウトです」と言われ、驚きました。
詳しく話を聞くと、スカウトとして動いている中で前職のホームページ上に私の名前を見つけ、そこから興味を抱いたそうです。「一度ご挨拶させてください」ということで会ったのが始まりでした。
──実際に会ってみようと思ったのはどうしてですか?
電話がかかってきたのが、前職に入庫して4年目。転勤してすぐのころだったと記憶しています。当時、私はキャリアアップをめざしたいと考えるようになり、このまま信用金庫で働き続けるか、転職をしようか悩んでいた時期でした。
外資系の保険会社から野球部の先輩や後輩がスカウトされているのを見ていたので、電話をもらった時も、あまり警戒心などは抱かなかったですね。
また、私自身、外資系保険会社の生命保険に入っていたこともあり、あまり悪いイメージはなかったんです。どういう会社なのかという興味もあり、先輩たちからいろいろ話を聞き、「それでは、このご縁に一度話を聞いてみようかな」という感覚で、すんなり会ったという流れです。
転職を決意するきっかけになった所長の言葉

──実際に所長の吉田と会ってみて、どんな印象を抱き、またどのような話をしましたか?
じつは、転勤してすぐということもあり、最初は一度お話を断っているんですよね。今のタイミングではないかなと思い。すると、再び電話がかかってきて、「一度、名刺交換だけでもいいから」ということで営業所を訪問しました。
実際に会って話をする中で記憶しているのは、ほぼほぼ野球の話だったことです。30分から1時間ほど話し、その中で少しだけジブラルタ生命の話をしたくらいでして。物腰が柔らかく話しやすい人だなというのが第一印象ですね。ただ、その時点では判断はできず、2、3回とそこから話を重ねていくうちにつかめてきました。
──実際に転職を決めたのは、どんな心境の変化があったんですか?
この業界は厳しいということは知っていましたが、やるのは自分だという強い心がありました。そして、自由な裁量で働けそうだということを、吉田さんとざっくばらんにいろんな話をする中で感じられましたし、その意味では吉田さんが自分の上司になると考えた時に、好印象を抱きました。
今でも覚えていますが、吉田さんから「今までで1番輝いていた時はいつ?」と質問されたんですよね。その時に、私は高校時代のことを話しました。すると、吉田さんは「輝いている時が“今”と言えないのはどう思う?」と返したんです。
それが私の中でグサッと胸に響きました。「今輝いていないのって、確かにさみしいなあ」と。その言葉が決め手になったのは、間違いないですね。
──その後、実際にガイダンスに参加して、当社に対して印象に残ったことはありますか?
ガイダンスを通して、やっぱり「お客様のために何ができるか」というのを考えさせられる仕事だと感じました。自分のことよりお客様というワードが押し出されていたんです。私の中でもそもそも「本当にお客様に対して良いものを提供したい」という気持ちで営業したいと思っていたので、ここであれば自分のやりたい営業というか、本当にお客様のためになる営業ができるかなと考えたのを記憶しています。
10年後、20年後。思い描く理想の自分になるために

──今は、野球はしていないんですか?
入社して1年目は、忙しくて野球どころではなかったので、初めて野球をやらない1年となりました。しかし、最近になって、草野球やクラブチームに助っ人で来てくれないかという誘いがあり、何試合か久々にユニフォームを着させてもらうことがありました。今後も呼ばれれば行くという頻度で参加し、気分転換ができればと思っています。
──前職と、今とでプライベートの使い方は変わりましたか?
お話ししている通り、これまでずっと土日が野球だったので、基本的にプライベートで遊べる時間はこれまでなくて。今は、土日休みで自由時間ができたり、子どもとの時間ができたり、そういうのはありがたいですね。転職前と比べて、ストレスはほとんどない状態です。今は、ある程度余裕を持って動けているので、心の余裕も違うかなと思います。
また、目標があるので、そこに向かって自分で頑張っているというか、仲間と切磋琢磨しているところなので、本当に楽しいですよ。
──10年後、20年後に何か描いているものはありますか?
本当にジブラルタ生命が大好きなので、所長や支社長になることを目標としています。今後、私が自信を持って働けるようになったらキャリアアップをめざし、会社のために貢献したい。そんな気持ちが、当社であれば自然と湧き起こってきます。
※ 記載内容は2024年3月時点のものです