「当初は、組織の一体感も、収益性もなかった」──改革を手掛けた2人の軌跡
沼尾:齋藤さん、根本さん、本日はよろしくお願いします。さっそくですが、2023年1月現在、取り組まれている「アスタネ」の事業内容について、教えていただけますか。
齋藤:アスタネは、2015年にさいたま市で開所した就労継続支援A型事業所です。主に、菌床しいたけの生産、加工、販売をしています。障がい者就労支援の一環として、スタッフを直接雇用しています。アスタネでは、障がいのあるスタッフが主体的にビジネスに関わっているのが特徴です。
私は現在、アスタネの施設長を務めていて、30名ほどのメンバーを取りまとめています。根本さんは、前施設長。今はアスタネを離れてしまいましたが、2人で協力して、これまでいろいろなことを乗り越えてきました。
根本:私は7年前にゼネラルパートナーズ(以下、GP)に入社して、齋藤さんより1年先に、最初の配属先としてアスタネにジョインしています。といっても当初は、今とはまるで違って、スタッフも10名ほどの組織。しいたけの販売も事業としてまったく軌道に乗っていませんでした。
なので私は、入社早々、しいたけの菌床を見直す仕事を始めました。育てやすい菌床、つまり売上につながりやすい菌床を探し回って、当時の施設長に「これなら生えます」って提言して。どんどんしいたけに詳しくなる一方なので、「私が就職したのは福祉業だったんだけどな……」なんて思いながらやっていましたね(笑)。過去に飲食業や小売業を経験してきたので、そこで培った原価や利益の感覚を活かして、なんとか1年かけて、収益化できる生産環境を整えました。
沼尾:ちょうどそのタイミングで、齋藤さんがアスタネに入ってこられたわけですね。
根本:そうです。1年後に齋藤さんがジョインしてくれて、そこからは頼もしい仲間を獲得した感覚で、2人でメインに立って現場を回してきました。
今思えば、齋藤さんが入ってきた当時のアスタネは、ようやく環境が整ったという感じで、職員側とスタッフの一体感は課題としてあったと思います。あのころって、職員からスタッフに一方的に指示をするような、トップダウン型の組織だったんですよね。ビジネスというより「福祉サービス」というマインドが強かったんです。スタッフが主体的に取り組める体制にシフトしたかったのですが、手が回っていなくて。齋藤さんが入ってきてくれて、ようやく事態改善に動けましたね。
沼尾:齋藤さんが仲間になってから、それぞれの役割は、どう分担していたのですか。
齋藤:根本さんが施設長で、私が副施設長だったのですが、いいかたちで互いに役割分担していましたよね。根本さんが外に向けて発信をして、私は裏で動いて、という分担が主でした。会議で誰かが発言したときに、私は「誰がどんな顔をしたか」をメモに残していて、追ってそれを根本さんと相談していく、みたいな。スタッフさんに何かを話すときも「ここは根本さんから伝えた方が効果があるかもね」とか、逆に「私が言ったほうがおもしろいよね」とか、相談していましたよね。
根本:そうでしたね。齋藤さんはアイデア出しがすごく上手というか、観察をして、素晴らしい発想とつなげてくれることが多くて。それは私にはできないことだったので、立場をわけながら、組織をどう動かすかという部分を、一緒に考えていきました。
就労支援なのに、ビジネスが土台にあるのがおもしろい
沼尾:当時、障がいのある方の就労支援をしつつも、事業を黒字化しないといけないというミッションがあったかと思います。やはりビジネスと福祉の両立は、難しいものでしたか。
齋藤:たしかに、2つのミッションを達成するのは大変なことでした。でも私は、支援と収益化がトレードオフだとは思っていなくて。障がいのある人たちが活躍すればするほど、ビジネスの収益化にもつながると思ってやってきましたね。
とはいえ、障がいのある方が活躍されるのは簡単なことではありません。障がいの有無に関わらず、誰しも得意不得意があって、たとえばパック詰めが苦手な方もいれば、栽培の作業が苦手な方もいます。人が動いて作っていく農業に取り組もうとすると、生産性においてたくさんのハードルがありましたね。どうやってみんなで生産性を高めていくのかが常に課題で、難しいところではありました。
沼尾:高いハードルを感じられていたわけですね。それでも、収益化に向けて挑戦を続けたんですね?
齋藤:そうですね、挑戦はやめません。障がいを理由に、収益が伸びなくても仕方ないという考えは、GPのカルチャーにはないからです。
根本:そう。実際、結構シビアに収益性を求められています。皆さんの給与は、皆さんが生み出したしいたけの売上から支払われるので、自分自身の障がいを理解した上で、自分の持っている能力を思う存分発揮して、チームに貢献してほしい、と伝えています。成果主義的というか、成果や成績、実力などに応じて評価されるんですよということを、私たちは言い続けなければならないと考えています。
齋藤:収益を意識してもらうことは、スタッフにとっても大事なんです。売上はスタッフが活躍した成果ですし、生産性を上げ、自分たちの価値を発揮してもらうモチベーションになるから。もちろん大変ですけれど、就労支援なのにビジネスが土台になっているというのはすごくおもしろいなと思いながらやっています。
「売上不振も、チャンスと捉えていた」──自由な環境で、スピーディーに業務改善
沼尾:当時の苦難が垣間見えましたが、そんな毎日の原動力になったことはなんでしたか?日ごろから大事にされている想いなどがあれば、ぜひ知りたいです。
齋藤:最初の1年は状況的には厳しかったですが、基本的に、しんどいとか嫌だとか思うことはありませんでしたね。「これ以上は悪くならない。絶対に良くなる」というマインドで、根本さんやスタッフと一緒に楽しく仕事をしていました。
根本:その前向きさは、私も一緒でしたね。売上は苦しかったけれど、不安というよりチャンスとしてとらえていました。やった分だけ数字に現れるから、ポジティブでしたよ。
ありがたいことにかなり自由裁量だったので、私たちで「これ、やっちゃえ」と決めたことを会社も許可してくれた。だから相当なスピード感があったし、その結果、仕事がどんどん回っていくのは、純粋におもしろかったです。
齋藤:そうですね。出たアイデアは全部やろう、チャレンジする風土を作っていこうって話していたので、アイデアは即実行していました。
根本:私たち2人が互いに決定権を持っていたのが良かったのかもしれないですね。仕事が進めやすかったです。齋藤さんも私も、人がどう成長していくのかを見るのが好きなんですよね。
齋藤:そうそう。どんどんスタッフが変化していくのを見ながら施設を運営するのって、楽しいんですよ。組織をどうしていくべきかアイデアを考えて、「こんなチームにできたらどうかな」とスタッフに直接打診したりして。それでスタッフからも新しいアイデアが出てくるのが、おもしろかったです。
沼尾:あくまで楽しまれていたのですね。当時、チームのためにいろいろなアイデアを試されたと思いますが、その中でもとくにスタッフさんに影響力があったのは、どのような取り組みでしたか?
齋藤:「名札を変えよう」って取り組みですね。当時、職員が使っていた名札はプラスチックで、スタッフの名札が紙製で、素材からして全然違うものでした。それを、職員の持っている名札に全部統一したんです。意図は、スタッフに「あなた方は利用者ではなく、社員なんですよ」って伝えることでした。
同時に、GPのクレドをみんなに配って、ビジョンを説明しましたね。そういう取り組みで、GP社員として一緒にやっていこうという気持ちが、きちんと伝わったのかなと。
根本:懐かしい。私が印象に残っているのは、勤怠システムの改善ですね。スタッフとわれわれの勤怠システムが別だったので、統一したんです。すると、名札改善のときと同じで「スタッフは利用者」という認識が現場からなくなって、垣根がとれた感覚がありました。
次第にスタッフたちは、主体的にアスタネに関わってくれるようになりました。私たちの間接的な働きかけで、スタッフたち自らが成果を上げ始めたときは、感動しました。
齋藤:どんどん職員とスタッフの上下関係がなくなって、スタッフが事業の中心になっていったんですよね。
根本:スタッフが中心に立って動くことが増えて、彼ら、彼女らにしか持てない情報というものも多くなっていって。逆に私たちが、スタッフから情報をもらいに行くようになりましたよね。
「成功体験を積むことって、こんなに大事なんだ」──コロナ禍を経て学んだこと
沼尾:これまでのアスタネでの取り組みを振り返って、一番苦労したことって、なんですか?
根本:コロナ禍初期のころですかね。あれは苦労というか葛藤の日々でした。あまりにも予想外のことが起きていて、活動を止めるべきかなと思ったり、とはいえ農業って一度ストップすると、次に再開するときにすごく時間がかかるので、その決断はしたくないと躊躇したり。
結局、スタッフの在宅支援をしながら、通常の半分くらいの人数で出勤してもらいました。その分自分たちが生産の現場に行って、最低限の生産ができるように保って。スタッフの精神的な部分にも当然配慮しながら、手さぐり状態でしたね。あのときは体力的にもキツかったな。
齋藤:取引先へは、納品をお断りする調整もしましたしね。スタッフも慣れない業務を少ない人数でやらなきゃいけないから、いつも以上に仕事を回すのが大変で、かたや在宅支援もあって、電話もずっと鳴っている……。そんな状況でした。でも思いがけない嬉しい出来事もありましたよ。
沼尾:嬉しい出来事ですか?
齋藤:そう。実は、出社する人を半分くらいに減らした結果、今まで周囲を引っ張ることのなかった人が、積極的に動いてくれるようになったんです。
根本:そうでしたね。アスタネは、とくにリーダーを決めずにやっている組織。とはいえ、オペレーション上「この人が引っ張ってくれる」というリーダー的な人がだいたい決まっていたんですよ。でも、出社する人を減らした結果、そのリーダー的な人がいない日が出てくる。
齋藤:そういった日に、どちらかと言えば今までフォロワー的な立ち位置だったスタッフが、オペレーションを主体的に動かしたりして。結果、緊急事態宣言が明け、フルスタッフで再稼働したときに、今までとは違う人たちが積極的に取り組んでいる様子が見られました。
根本:ずっと客観的で「自分は当事者ではない」という雰囲気で仕事をしていた方が、コロナ禍を経て、全体をよく見て仕事をされるようになりました。
あの期間に実際に現場で活躍をしたことで、承認欲求が満たされ、自信がついたんだなと思います。精神障がいがある方にとって、成功体験を積むことがこんなに大事なんだなと、スタッフたちの姿を見て学びました。これからもその方向性で支援をすれば、スタッフにとって適切な状況を作れるのではとヒントをもらいました。
沼尾:コロナ禍というピンチを乗り越え、大きなものを得たのですね。アスタネのこれまでの活動や、現場のリアルな様子がよくわかりました。ありがとうございました。続く後編では、アスタネの現在の取り組み内容、そして将来のビジョンについて、お聞きしていこうと思います。