子どもの誕生で社会問題解決への想いが強くなった──GP入社から1回目の育休まで
私はGP設立の翌年、2004年に入社し、2022年で入社18年目を迎えました。
入社のきっかけは、前職での進藤さん(GP代表取締役社長)と東海林さん(GPコーポレート部門長)との出会いです。進藤さんとはほんの数カ月ですが、同じ営業部で勤務する期間がありました。東海林さんはGPの創業メンバーで、前職の営業部の1つ上の先輩。私は、東海林さんに声を掛けてもらってGPへの入社を決意した形です。社会的に意義がある事業に共感したこともありますが、小さい組織で仕事を進めていくってどういう感じだろう?と、純粋に興味を持ちました。
2022年12月現在、GPには260人超の従業員が在籍しますが、入社当時は私を含めて5人だけ。人手が限られるので、営業からキャリアカウンセリングまで、あらゆる業務を経験しましたね。
具体的には営業に行き、求人をいただくことに始まり、企業訪問と並行して就労を希望する障がいのある方とお会いしてキャリアカウンセリングを実施、キャリアシートを作り、求人に応募するなどです。とにかく忙しい毎日でしたが、同時に「会社の成長に関わっているんだ」と、日々充実感がありました。
当時、民間企業で障がい者採用を専門に取り扱っている会社はGPのみで、企業が障がい者採用を相談する場所はハローワークがメインでした。実際に営業に行くと話をよく聞いてくださる企業が多くて。前職でも営業でしたが、アポイントを獲得するのも大変だったので、良い意味で驚きでしたね。このように働く中でさまざまな気づきがあり、考え方や物事の捉え方も変化したと思います。
GPに入社する前は、私自身の家族にも手帳をもっている者がいたり、自分自身についても障がいとは無縁ではなかったのに、自分や自分の家族すら「普通とは違う」という風にどこか引け目を感じてしまうような気持ちがありました。しかし、GPに入社してから転職相談に訪れる方のお話を伺うと、それぞれに日常があり、仕事があり、転職を考えることもあり、楽しいことも嫌なこともある。
それぞれに人生を歩んでいるのだと、当たり前のことに気づかされました。GPに入社する前には配慮の部分ばかりに着目していたのだと思います。
そして、2008年から1年間取得した出産・育児休業中も、障がいについて深く考える期間でした。出産に至るまでの経緯や出産後、子どもが保育園に通い地域の子どもたち・その親たちと関わるようになると、自分の子どもだけでなく、周囲の子どもたちにおいても、何にも心配事がありません、という子はほとんどいないような印象をうけました。そんなことからも、「当たり前に、みんなが活躍できる社会にしたい」「この仕事を、もっと深くやっていきたい」「事業をちゃんと成り立たせていきたい」という想いがさらに強くなりました。
就職実績「東京1位・全国2位」──2回目の育休を経て、シゴトライ台東施設長へ
育休明けの2009年4月、人事として復帰し、労務関連や人事制度改定等に携わりました。GPの組織が大きくなるにつれ、それに見合う評価や制度が必要になってきたのです。2011年には就労移行支援事業所の立ち上げメンバーとなり、翌2012年2月にシゴトライ(現atGPジョブトレ秋葉原)が開所します。
開所の時期と重なるので不安でしたが、2012年5月から1年間、2人目の子どもの出産・育児休業に入りました。
そして、2013年7月に就労移行支援事業の支援員として職場に復職。2014年4月にはシゴトライ台東施設長を経験する機会をもらいました。大きなチャレンジでしたが、喜びよりも不安や葛藤の方が大きかったですね。職員は年上のベテランの方ばかりで、さらに私が時短勤務していたこともあり、皆さんに認めてもらえるか不安でした。
実際に至らない部分は多くありましたが、業務を行いながらリーダーとして皆さんを引っ張るよりも経験豊富な皆さんのお話を聞き、調整する方向にと、自らの役割を切り替えました。こう捉えられたときから、少しずつ前進できた気がします。
一方で他の就労移行支援事業所に就職支援実績では負けたくないという気持ちは一貫していました。GPはずっと就職支援に携わってきましたし、福祉業界からの理解を得るためにも、しっかり成果を出したいという想いがあったからです。
他社の就労移行支援では「資格取得」「パソコンスキル向上」などを優先している事業所もありますが、私たちはまず「体調の安定」「勤怠の安定」「自分の障がいを理解し、伝えること」といったベースの部分を大切にしました。これはGPの就職支援の経験から「安定して勤務ができること」「職場でコミュニケーションがしっかりとれること」の重要性を知っていたからです。
その結果、私が施設長を務めていた間、体調悪化で途中退所した方を除いてほとんどの方が就職できたのです。ハローワークの支援員さんやしごと財団さんのお力添えも大きかったですね。そして、平成27年の実績として、シゴトライ台東が就労実績「東京1位・全国2位」(情報元:厚生労働省情報開示請求)という結果を聞いたときは本当に嬉しかったのを鮮烈に覚えています。
何よりも自分に向き合って変わろうとする利用者さんが多く、その強さに驚かされ、私自身大変勇気づけられました。そんな利用者さんのことは何年も時間が経過した今もよく覚えています。
コロナ禍を乗り切れたのは社員一人ひとりの力──10年ぶりにキャリア事業部へ
シゴトライ台東施設長を4年間務めた後、2018年にatGP紹介事業部事業サポートグループCSリーチ担当のマネージャーとなりました。自分から希望した異動ではなく、就労移行支援の中でまだすべきことがあるとも感じていたので、とても驚きました。
一方で、就労移行支援の利用者募集に苦戦している状況下でも、GPにご登録いただいた会員さんに向けて、GPの就労移行のサービス案内がしっかりできていない状況に課題意識をもっていました。そんな背景から提案いただいた役割に注力しようと気持を切り替えて事業サポートでの業務にあたりました。
そして、事業サポート部の組織改編があり2020年、atGPキャリア事業部へ異動。現在はシニアマネージャーとチームマネージャーを兼務しています。
首都圏エリアには4チームがあり、身体障がいの方のサポートが2チーム、精神障がいの方のサポートが2チームあります。私は精神障がいの方を担当するチームのマネージャーと首都圏エリア全体のシニアマネージャーという立場です。
キャリア事業部への配属は10年以上ぶりで、求人情報のキャッチアップなど大変なこともありました。特にコロナ禍で大変苦戦しましたが、ここ1年は精神障がいの方の就職実績が伸びており、さらなる伸びしろを感じています。
コロナ禍をなんとか乗り切れたのはGPにいる皆さんの頑張りが大きいと感じます。求人が一時的に減ってしまった時期もありましたが、「今できることをしよう」と情報提供メルマガを送ったりWeb面接のノウハウを記事にしたりと、みんなすぐに動き出していました。私は、GPの大きな財産は「社員」だと思っています。GPの社員は皆さんそれぞれ想いを持って入社しており、主体的に考えて動ける方が多く、共に働く中で刺激を受けることも多々あります。
また、GPは風通しが良く、部門を超えて気軽に声を掛けたり、手を差し伸べたりする風土があるため、私自身、人間関係で悩むことがありません。退職して起業した方・別の会社で働く方も、志はそのまま持ち続けている方が多く、在籍社員からもOB/OG社員の近況が聞こえてくることも少なくありません。一度退職したあとに再び戻ってくる社員も多いです。
最近はコロナ禍で在宅ワークが増えたことで、入社間もない方はそんな風土を充分に感じられていないのではないかと心配することもあります。GPらしい雰囲気をどう感じてもらうか──ここは、会社全体としてもっと考えていかなければならない、現在の課題といえるかもしれません。
あらゆる経験は糧となる──「atGP会員様も、求人を依頼いただく企業様も社員も幸せに」
今はシニアマネージャーという役割で、就職決定や事業継続の為の利益確保の責任も担っていますが、その他に2つのことを実現したいと思っています。
ひとつ目は、やりたいことがあり、挑戦したい人にはそのチャンスをつくりたい、やりたいことが明確になっていない人にも成長できる機会を提供したいと思っています。巡って来た機会がイメージしていたものではないかもしれませんし、不安に感じるかもしれません。
しかし、少し枠を広げてチャレンジすることは、決して無駄ではありません。私自身、GPの中で多くの異動を経験しました。そのときどきで会社に必要なことを一生懸命やってきただけなのですが、結果として多くの経験を積むことができ、現在の糧となっています。失敗やうまくいかなかったことからもたくさんの学びがありました。
ふたつ目は、さまざまな機会を創出し、新しいチャレンジができるよう、業務を自動化したり、シンプルにしたり、業務フローを見直すなど、できることはどんどん調整していきたい。GPはとてもフレキシブルな働き方ができますし、制度はとても整っていると思います。しかしまだまだ一人ひとりのマンパワーに頼って業務を進めているところがあり、余裕がなくなってしまうことがあります。
余裕をもって業務ができれば新しいことにチャレンジしたりじっくり考えたり、より質のよいサービス提供ができ、社員自身も充実したキャリアを歩めるのではないかと思っています。お客様にも喜んでいただき、事業が継続・発展できる。その結果、みんなが豊かで幸せになれる──。そんな好循環をさらに強めていきたいですね。
障がい者採用は私がGPで勤務している十数年の間でも大きく変わり、前進していると感じています。もちろんまだまだ課題もあります。理解が進まないと感じることもあります。ですが、障がい者雇用という概念が必要なくなるようなときがいつか来るのではないか、と期待してしまうくらい、この18年の変化は大きいと感じています。私にできることは小さな一歩ですが、それでも今日の一歩がそんな未来につながっていると信じ、これからもこの仕事を続けたいと思っています。