施設長としてatGPジョブトレの運営をサポート──利用者と職員に寄り添う

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私は現在、2つの事業所で施設長を務めています。

ひとつは、発達障がいコースを運営する「atGPジョブトレ秋葉原第2」。支援プランを作るサービス管理責任者のポジションも担っています。もうひとつは、うつ症状と発達障がいの2つのコースを運営する「atGPジョブトレ横浜」です。

また、別のミッションとして、支援サポート室に所属し、支援面でのスーパーバイザーとしてほかの事業所のサポートもしています。

施設長としての役割は、各事業所の運営がメイン。指定福祉サービスを障害のある方に利用してもらい、ソーシャルワーカーとして支援の質の向上も考えつつ、事業所として存続していくためのビジネス視点を持ちながら運営していくことがミッションです。

福祉サービスは、人材が命。ですから、GPの職員を育てることも重要なミッションです。GPの職員を育てる上で、事業所の環境は非常に大切なので、私は「風通しの良さ」と「共有できる場づくり」を重視しています。

風通しの良さとは、意見の行き来はもちろん、お互いが何をしているかしっかり見えること。これはマネジメントする立場からも大切な視点です。

共有できる場づくりとは、支援とは答えのないものなので、日々の業務の中で誰もが抱える悩みを共有できる場という意味。そして、支援はその日々の悩みやモヤモヤと向き合うことから学ぶものです。それを1人で抱え込むのではなく、職員同士で共有できる場を作ろうと心がけています。

福祉の現場では教科書通りに進められることは多くありません。実践の中で問いながら学び、成長しなければならない──その意味で、すごく難しい仕事ですから、職員には「そんなに急がなくていいよ」と伝えるようにしています。

私が転職し、未経験でたまたま出会った方たちが、精神障がいのある方々でした。当時は入院経験がある方がほとんどであり、社会とつながれないお辛い経験をされた方が多く、また自分も若かったので、人生の先輩に対してどうお声掛けすべきか分かりませんでした。

社会福祉士、公認心理師といったふたつの国家資格も取得し、ソーシャルワーカーとして17年目を迎えましたが、支援について、自分なりの答えが見えてくるまで、実に10年かかりました。たくさん悩み、考えてきたので、そうした経験から職員たちに伝えられることも多いかな、と思っています。

GPは民間企業ですから、NPO法人とは異なりスピード感があります。「早く知識を身につけなければ」、「がんばらなくちゃ」と思いがちですが、支援者としては「ゆっくりでいいよ」と伝えるスタンスは変わりません。

30歳から飛び込んだ福祉の世界。アメリカ駐在を挟んでNPOからGPへ

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▲自己探求研修の様子

私が福祉の世界に飛び込んだのは、30歳を過ぎたころでした。30歳で前職を早期退職し、大学に編入したんです。はじめは関心の赴くままに心理学を学んだのですが、次第に社会福祉・対人援助領域にシフトしました。これが結果的に、私のライフワークになったのです。

大学を卒業する年に社会福祉士を取得、精神障がいのある方に対して就労支援を行う横浜のNPO法人で働き始めました。

当初は事務員採用でしたが、その後、生活支援員、職業指導員、就労支援員を経験し、最後は就労継続支援A型事業所で、管理者兼サービス管理責任者に着任しました。

就労継続支援A型は、障がいのある方が一定の支援がある職場で雇用契約を結び、「自分達のお給料は自分で稼ぐ」という事業です。カフェやマルシェの運営、製菓工場の立ち上げ、企業清掃の請負など、夢を持ってさまざまな事業を展開しましたが、大変うまくいったと思います。立ち上げ当初、週1、2日しか働けなかった利用者の皆さんが、最後には全員週5日働けるようになった様子を見て「働くことは最も効果的なリハビリテーションだ」と実感しました。その実感を経て就労支援に携わり続けたいとも強く思いました。

もうひとつ、NPO法人に在籍して印象的だったのが、精神障がいのある方々の優しさです。とてもお辛い経験をされてきてもなお、職員にも優しい気遣いをしてくださる皆さんに触れて、皆さんに対して「経験も知識もない自分に何ができるんだろう」と思いましたし、お声がけするときなど「自分はそれを伝えられるほどの人間か、と常に自分を問われる仕事だな」と思うに至りました。

この気づきから、この仕事は自分を問い続け、成長し続けることができる良い仕事だな、と。そう感じたからこそ、この仕事を続けてこられたのだと思っています。

NPO法人を辞めるつもりはなかったのですが、夫のアメリカ駐在が決定し、キャリアの中断を決め、退職しました。アメリカでは、ソーシャルワーク発祥の地ですから、キリスト教精神に基づく良いと思う行動はすぐに実践するという意識が人々に根づいていることをハリケーンの被災で知ることができましたし、日本の外から日本を改めて考えることで、ダイバーシティが進まない理由も考えることができ、大変良い経験となりました。

アメリカ駐在で3年のブランクができたものの、この仕事の素晴らしさは理解していたので、帰国後もまた福祉サービスに携わりたいと考えていました。

その上で、利用者の皆さんと接することができるサービス管理責任者として働けること、未経験の民間が運営する福祉サービスであることの2点を軸に再就職先を探し、GPを見つけたんです。

GPでは「“誰もが自分らしくワクワクする人生”を目指します」というクレドがあり、その考え方にすごく共感しました。実は、応募したのはGP1社のみ。atGPジョブトレ秋葉原第2(旧リンクビー)のサービス管理責任者として採用してもらい、その後、施設長なども任され、無事に4年目を迎えることができました。

atGPジョブトレは「障がいごと」のコース設定。当事者の力を引き出せる

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▲創作誌「LINKBE01」の完成お披露目会

GPでの4年間は濃密で、印象的な出来事がたくさんありました。なかでも最近嬉しかったのは、冊子「LINKBE01(リンクビー01)」の創刊です。

これは、atGPジョブトレ秋葉原第2(旧リンクビー)を巣立っていった卒業生をはじめ、利用者、職員の有志で毎週土曜日に打ち合わせしながら作っていった冊子です。事業所が土曜日も開所することになり、「オフ(OFF)」の支援として、自由に肩の力を抜いて発信できる場を作ったところ、「自分たちで形あるものを作りたい」という相談を受けました。

冊子は、有志で寄稿した作品を含むコンテンツ、表紙、紙選び、文字の色、編集までどれもこだわりの集まりです。たとえば、表紙や挿絵の絵は「植物を描く」という卒業生のワークショップの作品から生まれたもの。その背景には各人が持ち寄った写真のコラージュなども入れ込んでいます。さまざまな関係者がその立場を超えて参加して作り込み、想いがたくさん詰まっているのです。

利用者間にこれだけ強い絆が生まれているのは、皆さんが安心してジョブトレで就労に向けて自分と向き合う作業に取り組み、自分らしくいられているからこそ。その理由としてGPの就労移行支援事業所が「障がいごとにコース別になっている」点が、非常に大きいと思っています。

実は、障がいごとにコースが設けられている事業所は非常に珍しいんです。GPでは「うつ症状」「発達障がい」「統合失調症」「聴覚障がい」「難病」の5コースを設けていますが、私自身、入社の際には「コース別がどんな作用を起こすのかな」と正直疑問に思っていました。しかし、GPでの4年間を通じて、今では「コース別って続けていく意味がある!」と感じています。

理由は、先ほども触れましたが、コースを分けることで利用者同士や先輩が同じ悩みを持っていることを知り、それぞれの経験を共有でき、また、日々の活動の中で良いフィードバックをもらうことで、気づきやアイデアを学ぶことができるから。わかり合える人々が身近にいるので、安心できる、あるいは自分らしくいられる場所があるのは、何よりも大きいことだと気づきました。

GPには「ピアの力を信頼」という支援方針がありますが、その実現にも大きく寄与しています。障がいがコース別になっている点は、GPの特徴であり大きな強みです。

ソーシャルワーカーになった原点は人生で出会った「3つの偏見」

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障がい者福祉の世界に飛び込んだ原点を考えると、人生で出会った「3つの偏見」が関係しているな、と思っています。

ひとつ目は、「母子家庭に対する偏見」。小学生の頃、家庭訪問で訪れた先生から「母子家庭でも、こんなに頑張れる子がいるんだね」と言われまして。とても好きな先生で、きっと誉め言葉のつもりでおっしゃったのでしょうが、子どもながらに先生という立場でもそのような感想を持つんだなと違和感を覚えた経験でした。これが当事者として偏見を感じた初体験です。

ふたつ目は、「女性に対する偏見」。数十年前は現在と異なり、女性に対する差別・偏見が当たり前のように存在しました。入社して間もないころ、記録を残すファイルに「このくらいの仕事なら女性でもできるよ」との記載を目にし、残念に思ったことを今でも覚えています。そのとき私は、女性として「一生懸命取り組んで自分が何をできるのか、しっかり見てもらい、そして伝えていこう」と思ったのです。

みっつ目は、「精神障がい者に対する偏見」。NPO時代、就労継続支援A型事業所での勤怠が安定して就労するためのスキルが身についた方たちのために、求人開拓のため企業訪問することがありました。そのときに、人事担当の方が「精神障がい者は、突然大声をあげたりするんですよね」と言うのです。担当者に悪意があったわけではなく、精神障がいの方に会ったことがないがために、そんな先入観を持たれていました。「知らないことが偏見につながる」と改めて知った瞬間です。

これまでの経験から知らないことが偏見につながるとわかりました。だからこそ、現在は、障がい者の方々と出会える場を地道に作り、知っていただくことが、私の大切なミッションだと考えています。

一方で、ソーシャルワーカーとして自分にできることは、あまりないかもしれないと感じることもあります。

支援職に就くと「なにかしたい」「助けたい」と思うのは当然ですが、その気持ちが強くなりすぎると、違う方向に行ってしまうかもしれません。支援には答えがないので、とにかく目の前のことを大事に、一生懸命やるしかないのかな、と思っています。

自身への問いかけを続け、知識と経験をもとにできることを一生懸命やる。仮にうまくいかなくても「目の前のことを諦めず一生懸命やったよね」と言い合えることが大事だし、救いになるのではないかな、と。そして、失敗・成功という視点よりも利用者の方にあなたのことを思っていますという「温かみ」が伝わることの方が大事かもしれません。

今後はGPの中で、職員の皆さんの悩みを聞いて、こちらの経験も伝えつつ一緒に考え、一緒に育っていける存在になれたら嬉しいですね。

現在、GPではクリエイティブ面でもさまざまな活動がスタートしており、第2号の冊子制作も動き出しています。

GPでの仕事は、私にワクワクや成長の機会を与えてくれます。そういう環境があるから自然体でいられますし、ソーシャルワーカーは私の天職。楽しいことも悩みも含め、「この仕事に出会えて本当に良かった」と日々感謝しています。