内定が決まっていたのに会社が倒産。気づいたらプログラミングの世界へ

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就労移行支援事業所「ジョブトレIT・Web渋谷」は、デジタルハリウッドと提携し障がいのある方がWEB制作のスキルを学びながら就労支援を受けられる事業所です。

利用者さんには私が副施設長であることはあまり知られていませんが、WEB系のカリキュラムの指導をしたり、「ジョブトレIT・Web渋谷」の運営をしたりしています。

ゼネラルパートナーズに転職したのは2018年12月でした。しかし、大学時代は理系の農学部に所属していて。まったく別分野のことを学んでいたんです。

社会とか文系の科目が苦手で。数学とか、理科の方が成績が良く、実験マニアでしたね。その中でも物理・化学より生物の方が実験の難度が高くてすごくおもしろいな、と。農業大学の農学部に進学し、森林に関する林業・森林科学、林学の分野を学びました。

大学在学中はもちろん就活をしていましたが、私が就活をしていた時代は、まさに就職氷河期真っ只中。食品会社の研究員で内定をもらっていたのに、会社が2月に倒産してしまって……。就職先がなくなり、卒業後はプラプラしていました。

そんな生活の中でも、大学の実験で電子顕微鏡の写真や木材の密度を顕微鏡で測って計測したりするときに、画像処理でphotoshopを使用していたり、小学生のころから自然とプログラミングに触れていたこともあって、自然とwebができる人になっていて。

とはいえ、当時はプログラミングを使うとは思っていませんでした。しかし、今思えばプログラミングを始めるきっかけはしっかりあって。家庭用テレビゲーム機のソフトでコードを入れてロボットを動かすソフトがあり、それに慣れ親しんでいたので、気づいたらプログラムができるようになっていた、という感じだったんです。

就職はしなかったけど、頼まれた仕事で暮らせるまでなっていました。飲み屋さんで隣になった人のHPをつくったりなんてことも(笑)。ただ、丸の内でOLをやってみたいと思っていたこともあり、就職することを決意。そこからIT業界で18年間働きました。

一番興味のなかった“障害者分野、人材開発、人材育成” のGPとの出会い

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▲趣味のバリトンサックス

18年間働いた前職ですが、「好きじゃないことはやりたくない」という気持ちが日に日に大きくなり、業務内容の変更を打診されたタイミングで退職し、転職活動をはじめました。

転職エージェントに登録したら、何件かスカウトをもらって。GPからもインストラクターを探しているという内容でスカウトをもらいました。

「話を聞いてもらって、応募を決めてもらえれば良いです」と書いてあったので、「ひとまず話を聞こう」くらいの気持ちで会いにいったんです。そしたらいきなり前のめりな面接をされて、私にやってほしいことの業務説明を受けて。情熱は感じましたが、当時は面食らったというのが正直な感想ですね(笑)。

結局、転職活動をする中で、4社の内定をもらいました。GP以外の内定は、ウェブの制作会社ふたつと以前の上司に紹介された、営業事務効率化のための業務改革をする仕事でした。ただ、一番GPの事業に興味がわかなかったんですね。障がい者雇用どころか人材開発、人材育成にあまり興味がありませんでした。前職で打診があっても人事的なポストを避けてきていたんです。

正直どこに決めればいいかわからなくて(笑)。いろいろな人にアンケートを取りました。多かったのは「新しいことやるし。今までと同じ内容の仕事だと必ず飽きると言われた。GPがいいんじゃない?」っていう意見で。ここにきてそんな話がきたということは縁があるのかな、と納得し、GPへの入社を決めました。

入社してからは、3日間ほど新人研修を受けてすぐ新規事業の「ジョブトレIT・Web渋谷での勤務が始まりました。

場所は決まっていたけど、ハード面もソフト面も何もなく、何も決まっていない状態の現場で。渋谷に着いたら、テーブルとか、PC、コピー機などの大きいものはあるものの、クリップなどの細かいものはなく、支援内容などや仕組みつくりもまだ検討中の段階でした。

カリキュラムは、デジタルハリウッドと提携することになりましたが、その教材をどう利用していくか、利用者さんがどう作品をつくっていくか、どこまでのスキルを習得すれば就職(卒業)できるかなど考えていく必要があり、手探りでした。

手探りなら、良いアイデアは全部やってみようという感じの中での開所。デジタルハリウッドの教材は非常によくできていたのですが、それまでのプログラムでは、“創造性”を養うことができていなかったんです。細かいところまで指定されるような仕事に対応できるスキルはつくのですが、社会に出たらそれだけでは通用しないんですよね。

そこで、大きく舵を切る決断をしました。マニュアルである動画は必要になった時だけ見てもらうという方針に転換したんです。

理想を形にするのが私の役割です。「ジョブトレIT・Web」立ち上げの苦

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反発はありましたが、開所1カ月でこれまでを全否定するような方向転換をしました。

まずは、下書きでこういうのつくりたいです。それのためにはどういう使い方をしますかという流れで説明をするか、もしくは教材を見るか。に舵を切りました。それぞれの描きたい理想像の下書きに沿って、それを形にするために何ができるかなというのをサポートするのが私の役割です。

理想を描くことは大変難しい作業なので 、まずはその描き方とか、下書きの仕方をまず教え、そこから技術に対して深掘りしていくというフローに変えました。開所からの1年間は、手探りの状態でもあったので、非常に大変な時間でした。

webのデザイナー業務って、自分が納得いくまでつくれる芸術作品のアーティストとは少し違っていて。自分が納得したところで、クライアントが納得しなければ意味がありません。何百時間をかけて、どんなに綺麗なものをつくっても、使用してもらえなければおしまいなんです。決まった期間で、決まったお金の中で、相手の思っているものに近づける能力がすごく必要だと思います。

「ひとりよがりに勝手に良いと思ってつくらない」ということは常に伝えながら、デザイナーとしての果たすべき役割を伝えるように意識しているんです。

また、利用者さんのことを健常者と同様に扱うことも意識しています。前職時のときから、人との関わり方に関してはまったく変わっていません。

利用者は「誰でもできる仕事が嫌だ」という情熱を持って利用してくださっていると思うので、優しくするだけではいけないな、と感じていて。率直に意見をぶつける立場も必要だと考えているんです。

配慮は最低限で、デザイナーとして伝えるべきことは伝えているつもりです。

そして、最終的に利用者さんには、デザイナーとしての役割を滞りなくスムーズに果たしてせるようになってもらいたいんですね。

ただ、就労移行支援に対する知識はないので、そこは他のGPのメンバーに頼っています。福祉に関する部分は他のGPのメンバーに頼り、自分は力を発揮できる分野に注力する──チーム全体で活動している感じですね。

その結果、利用者さんも通所するうちに変化が出てきて。今まで1年間は週に3回しか来れていなかった方が、急に最近になって、無遅刻無欠勤になる、なんてこともありました。

「0から3」を作るのが好き。三田が目指す「ジョブトレIT・Web」のカ

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今後も好きなこと以外は、あまりやりたくないです。1年やって見えてきたのは、「ジョブトレIT・Web渋谷」は、利用者さんと企業様と福祉関係の人のハブ的な場所だということ。

企業の方が、人材が足りないから、「ジョブトレIT・Web渋谷」に行ってひとり連れて帰れるなみたいな形でもいいですし、仕事がありそうだから、利用者さんが来るでもいい。そんなハブ的な形であれば良いんじゃないかな、と。

デザイナー、社会人としての基礎は固めながらも、利用者さんが気軽に来て、しゃべって帰るだけでも十分。企業の方も一生懸命採用するんじゃなくて、フワッと来て、ナチュラルに出会える場所にしていきたいんです。

開所から1年たちましたが、まだ完全に流れは回っていません。それが回り出すまでは携わりたいと思っています。その後は別のことやろうかな、と。自分が好きなところは、スキームをつくって、回り始めるまでなんです。回った後の運用は飽きちゃうので。

プロジェクトの総量を10とするなら、0から3をつくるのが好きなんです。これからも0から3に関わっていけるといいなと思っています。0から3でいうと、今の渋谷は1行くかな?というぐらい。でも、1にたどり着いたら、3に行くのはすぐなので。先は長くないのかもしれませんね(笑)。10まで関わってしまうと想いが強くなりすぎてしまうので 、  3以降は誰かに任せたいと考えています。

GPには、企業理念である「GP CREDO(クレド)」の中に、「やってみよう、楽しもう」という項があって。会社がそう言ってくれるので、ありがたいことにすごく自由に動けています。まず、事業所全体での振り返りで怒られたことがありません。本社の上司がたまに来ることもあるのですが、報告に対して「あーそうなの、ふんふん、楽しそうだね」という寛容な反応なんです。

「やってみよう、楽しもう」をクレドに掲げているGP。これからもそんな会社でワクワクするような、おもしろいことに挑戦していきたいです。