ネフローゼ症候群を罹患。今までの日常を一瞬で失った

▲発症前→発症後

「仕事は気晴らしなんです」

そう語る田中 知美。ゼネラルパートナーズで生き生きと働く彼女ですが、実はある病を患っています。それは、ネフローゼ症候群です。

彼女がその病を発症したのは、新卒で入った会社で法人営業を担当していた2年目の2008年3月、26歳のときでした。体調不良で病院に行くとそのまま3カ月入院、退院するも1カ月で再発し、また入院になりました。

ネフローゼ症候群は腎臓病の一種。尿からタンパク質が漏れ出、全身に倦怠感やむくみをはじめとするさまざまな症状が出る病です。田中もむくみにより、わずか数日で20kgほど体重が増えました。ステロイドや免疫抑制薬を服用していますが、これまで何度も再発を繰り返しています。

田中 「発症してからしばらくは元気だったころの夢をたくさんみました。でも朝起きると現実は病院のベッドの上です。20代だったし、周りの元気な人と自分の生活を比べていた時期がありました」

今までの日常から一変した生活になじむのには時間がかかりました。しかし、少しずつ考え方が変わってきたのだと田中は言います。

田中 「初めはとにかく病気を“治す”ことを目指して我慢ばかりしていました。でもどんなに摂生しても再発するし、病気は本当に頑張りや努力と比例しないものだと気付いて。将来の完治のために今を犠牲にしすぎるのではなく、病気を持ちながら、自分のやりたいこととどう折り合いをつけて行くか、という風に変わってきました」

発症してから2年間。それまで会社を休職していましたが、復帰することを決めます。

田中 「新しい職場を探す選択肢もありましたが、すべてが変わってしまう(自分の身体との付き合い方が変わってしまった、仕事も変わった、環境も変わった)となるとハードルがとても高くて。逆に、復職すれば慣れた環境、慣れた人間関係はあったので、その選択をしました」

働くことで「負のスパイラル」から抜け出せた

▲ゼネラルパートナーズは副業自由。休みの日に花の仕事を個人で行っている。

復職後は経営戦略を担う事業企画の部署に配属されました。休職者の復帰を応援する会社の制度を利用し、最初の1カ月ほどは時短で勤務。「まずは午前中だけ、それができるようになったら徐々に伸ばす」という働き方をしていました。

フレックス制度などを利用しつつ、その積み重ねで2カ月目からフルタイムに復帰し通常勤務で働くようになります。

田中 「障害者手帳はありませんが、会社に病気のことは公表していました。同じ部署の方にも病気についてわかるように詳細に説明し、でも心配はかけ過ぎないというバランスは大事にしていました。

できるときに片付けようと根詰めていると、周囲からは『大丈夫?無理しないでよ?』などお声がけをいただき、周りから自分の体調について気付かされることもありました。

また営業から企画へのキャリアチェンジで、体調と仕事のバランスだけでなく、仕事のやり方をあらためてイチから学ばせてもらいました。企画の仕事もできるようになったのは、今では自分の強みになっています」

そんな日々を彼女は「仕事が気晴らしだった」と振り返ります。

田中 「仕事をしているときは病気を忘れられました。病気ばかりを考えてしまう状況から一時的にでも離れられるもの──私にとってそれが仕事だったんです。同僚とフッと雑談するような時間もささやかな喜びで。それに気付いてからは、仕事は“人生の気晴らし”と思えるようになり、肩がスッと軽くなりました」

田中は難病と就労には「負のスパイラル」があると考えています。難病になることによって仕事を今までとまったく同じようには続けられないという問題を抱え、仕事と体調のバランスをうまく取れずに無理してしまい、再発。休職を余儀なくされ、金銭的にも追い詰められ、今後の不安も高まり、体調が悪化していくというような──田中はそこからなんとか抜け出したのです。

田中 「私の場合ですが、復職して病気を忘れる時間が多くなったら自然と体調が良くなってきたんです。好きな事を短い時間でもいいから挿し込んで、だんだんと病気のことを忘れる時間を増やしていくことが私にとっては良い効果を出しました。

それは仕事でも趣味でもいい、人と会うでもいい、好きなことをするでもいい。病気を一時的にでも忘れることが再発の可能性を減らすことにつながったように思うのです。

私の場合、働いている時間は病気のことを思い出すことが少なくなり、そしてお給料をもらって余暇に充てられる──と良いスパイラルが巡るようになりました」

再発と留学。世の中には知らないことばかり

▲サンフランシスコのカストロ地区でのLGBTイベントに参加

病気との付き合い方を見いだし、すべては順調かに思えました。しかし、2015年秋に病気が再発してしまいます。

田中 「入院したときには薬の量も振出しに戻ってしまったことに落ち込みました。でもそのときに医師から『再発のはっきりした理由はわからないけれど、もしかしたら、環境が原因かもしれない』と言葉をいただき、じゃあ環境を変えればいいのかもしれない!とシンプルに考えました」

そんな中、人材企業主催の女性向け奨学金留学プログラムに関する情報が、もともと海外志向の強かった田中の目に留まりました。渡米して難病患者や障害者雇用の実態を学びたいという気持ちが高まり、応募し、留学枠を勝ち取ったのです。

2016年5月。10年間勤めた会社を退職し、アメリカへ。これまでの生き方を変える、大きな決断をしました。

田中 「アメリカでは雇用環境や、多様性についてリサーチを重ねました。その中で、一般的な市民のレベルでもさまざまな意識の違いを感じました。そのため、帰国後は『病気のある方や働くことに障がいのある方が、充実して働ける環境をつくるために、日本での現状を知りたい』と考えるようになりました」

その想いから2017年夏、就労継続支援A型のフラワーショップとカフェで代表補佐として経営に関わりながら、利用者様のサポートをするようになりました。

その後、「こんな場所があったらいいな」と以前から考えていた、日本で初めての難病専門の就労移行支援事業所「ベネファイ」(ゼネラルパートナーズが運営)ができて、開所すぐ見学をしたことがありました。それが印象深く残っていたこと、自身の今後のキャリアについて深く考えたこともあり、2018年9月にゼネラルパートナーズに入社します。

入社後は、発達障害専門の「リンクビー秋葉原」の支援員を経て、2019年9月より、週5日のリモートワーク(在宅勤務)にて、同社の運営する就労移行支援事業全体に関わる運営企画の仕事を担当しています。

プライベートでは「ネフローゼ症候群患者会」も立ち上げ、代表に就任。2020年夏に発行予定の「ネフローゼ症候群診療ガイドライン」の作成に携わり、オンライン患者会などの取り組みも積極的に行っています。(ネフローゼ症候群患者会HPはこちら

田中はこれまでを振り返り、次のように思いを語ります。

▲クリスマスの患者交流会には30名ほど集まった。

田中はこれまでを振り返り、次のように思いを語ります。

田中 「発病当初は再発も多かったんですが、今は病気とうまく折り合いをつけることができています。今の仕事に出会えたことが大きいですね。自分の病気のことばかり考えてしまうと、自分自分……と視野は狭くなりがちです。自分のことはさておき、他の方のために時間を使えるのは贅沢なことですが、巡り巡って自分の治療にもなっているような気がします」

落ち着いてさまざまな活動にも乗り出していた田中でしたが、2019年の5月に、病気が再発。彼女がアメリカに行こうと思い始めた2015年の秋以来、3年半ぶりの事でした。

田中 「このとき仕事は休職していたのですが、ステロイド薬が増えた影響で精神的につらかったときに、それまでずっと触っていなかった仕事のPCをなぜか開いてみたんですよね。私は決してワーカホリックではないんですが(笑)、そこで、ふっと冷静になれたのです。

ああ、そうか、やっぱり今は私にとっての“気晴らし”がないからしんどいんだな、ずっと自分の病気のことばかり考えてしまうからつらいんだな、と自分を客観視できました」

体調が良くなってきて、2019年9月に会社と相談し、週5日完全リモートの企画専従で復職。田中にとっては新しい働き方でしたが、自分を「実験台」のように思うことで、リモートワークでのコツなどをまとめていました。いつか、誰かの役に立てるようにと……。

田中 「私が完全リモートで復職してから半年後に、コロナの影響でリモートワークの働き方が世界的に広がりました。こんなに早く自分の経験を還元できるチャンスはないと、社内の職員向けにリモートワークのコツを共有したところ、たくさんの反応があったんです。

社内のヒューマンライブラリの本役や、事業所での研修も依頼され、利用者様向けの研修も行えました。自分の経験が少しでもどなたかの役に立ててとても嬉しかったです」

図らずも時流に先駆けていたことで、田中は自らの知見を大いに生かすこととなりました。そんな彼女は自身の今後について、こう語ります。

田中 「コロナの影響はいつまで続くかわかりません。また影響が少なくなっても、難病などを理由に自粛の生活が今まで通り続く人は自分を含めてたくさんいます。自粛が明けたらやりたいこと、と考える方は多いかもしれませんが、難病はいつ治るかわかりません。『自粛生活がもしかしたら一生明けなかったらどうしますか?』と言われているような感じです。

制約のある中でも、日々楽しめるように暮らしてきた自分の工夫や感性を今後の社会に役立てられるように、工夫次第で『誰もが自分らしくワクワク』する人生を送れるように今後も“新しい働き方”を社会に提案していけたらと思っています」

難病と共に歩み、自らの経験を他の人々に還元していく。田中は終わりの見えない道筋に悲観することなく、これからも自身の進む先を明るく照らしていきます。