社会人になったあの頃、私たちは働く場に海外を選んだ
齋藤 「僕が中東に行こうと決めた時は、あまり何も考えてなくて、ただ刺激を求めていたような気がします」
齋藤功一は、海外に興味を持ったきっかけを、笑いながらそう話しました。
齋藤は大学卒業後、青年海外協力隊としてシリアで障がい者支援のプロジェクトに従事。日本に一時帰国し大学院でソーシャルワークを学んだ後、今度はラオスで再びNPOのプロジェクトマネージャーとして障がい者の支援を行いました。
GPに転職した現在は、うつ症状のある方がしいたけ栽培・販売を通じて自分らしく働くことを目指す就労継続支援A型事業所「アスタネ」で、副施設長を務めています。
齋藤 「大学時代にひとりで旅行していて、パキスタンで病気になってしまったんです。その時にすごく親切にしてもらったのをきっかけに 、海外で働くことへの興味が募りました。大学卒業時点で教員免許を取得し教員になる予定でしたが、海外勤務への希望が勝り、選んだのは青年海外協力隊の道。
思い入れの強い中東を自ら志願したことと、障がい者支援教育を学んだ経験から、シリアの障がい者支援プロジェクトへの派遣が決まったんです」
また、GPでキャリアアドバイザー(以下、CA)を務める村上奈々子も、カンボジアで貧困層の雇用を生み出すためのソーシャルビジネスに関わっていた経験があります。
村上 「ただ、憧れのひとことですね。それが海外に行こうと思った理由です。新卒入社として、海外事業部のあるメーカーに入社し、海外出張なども経験しながら4年弱の間勤めていました。
また、もともと学生の頃から友達と、『カンボジアでソーシャルビジネスをしよう』とずっと話していたんです。卒業後に友達は農業の経験を積んで、私は企業で起業のための資金を稼ぐ、そんな役割分担に自然となっていました。そうして社会人4年目で、お金もたまったし、ちょっくら地ならししてくるわ!と現地に飛んで・・・・・・今思うと、とても無鉄砲ですけど(笑) 」
村上は、カンボジアのハーブ治療メソッドを用いた石鹸やコスメをつくる、ソーシャルビジネスのプロジェクトにジョイン。2年間の活動を経て、日本に帰国します。家族との新しい暮らしと働き方を模索する中で、GPと出会い、入社しました。
「自分はよそ者だ」海外でぶつかった壁
社会人として経験も浅い中、海外でソーシャルビジネスを経験したふたり。苦労したことも多かった……と苦笑します。日本でソーシャルビジネスに携わる今、当時の経験を振り返りました。
齋藤 「ラオスではクッキー工房などを立ち上げて、障がい者がはたらく場をつくっていたけど、彼らは『食べるために働く』という感覚でした。それを僕らが『ソーシャルビジネスです』と言ったとしても、現地の人にはあまりその感覚はありません」
村上 「カンボジアでも、『私はいいことやってる』という感覚ではなかったですね。ソーシャルビジネスが飽和している感覚も、経営視点から感じていました。かわいそうだからではなく、良いものだから売りたい。そういうプライドだったように思います」
現地の人と自分たちの価値観の違いの中で、ふたりが共通して悩んだのは「自分はよそ者だ」という感覚です。外国人の自分たちがプロジェクトを進めていくことは、ただの考えの押しつけなのではないか。はたして自分は必要なのだろうか。
彼らは現地で出会った人々と活動を進めながら、その感覚に向き合い続けました。
齋藤 「他団体で自分と同じく外国人として派遣されてきた方が『触媒として化学反応が起こせたらいいな』と言っていて、納得したんです。受けてきた教育も違う、ここでは自分がマイノリティです。それなら、変わり得ない触媒として働きかけよう、と。
現地の言葉は流暢ではなくコミュニケーションにも難ありでしたが、おもしろそうなことをやっていると、言語の壁を超えてネイティブの人も興味を持ってくれる。そのような学びを得ながら活動を進めることに熱中しました」
村上 「私は観光客相手の商売だったので、日本人の自分の目線が少しは役立ったのかな。あとは一緒に働くカンボジアの方と議論をし合うことで、同じ目線で仲間として働けている、と思えた経験があります。
活動する中で気づいたのは、『知らないからできないこともあるかもしれない』ということ。会社には毎日来るもの、意見を言った方がいいもの、ということを知らないから、来ないし何も言わない。何が悪いのか判断が難しいことも多かったですが、教えてくれる人がいて、その人に学ぶ気持ちがあれば改善される、伸びる、と考えるようになりました」
日本国内で成果を出し続けるふたり。海外経験で身についた考えが今に活きる
今は日本国内で働くふたり。齋藤が働くアスタネは売上を伸ばし、農福連携の取り組みとして注目を集めています。村上もCAとしての月次目標を14カ月連続で達成し、彼女が担当するお客様の就職率は平均を上回る高い水準を維持しています。
そんな成果を出し続けるふたりは、今の仕事にどのように向き合っているのでしょうか。
齋藤 「キャラクターのクセは、ラオスよりもアスタネメンバーの方が強いかも。アスタネはみんなやる気があるんです。ラオスではやる気を出すまでにひと工夫いるんですよね。僕の役割はそのやる気をうまく拾い上げて、かたちにすること。僕は、頑張ってくれてるのはメンバーたちだと思っています」
ラオスで現地人の作業スタッフと、ソーシャルビジネスの専門家や投資家の調整役としての立場が多かった齋藤ならではの考えです。
また、村上はカンボジアでかなえられなかった夢をGPでかなえることとなります。
村上 「私はカンボジアで 2,30人のメンバーがいた頃と違って、カウンセリングで一人ひとりと向き合えるのを嬉しく思っています。カンボジアでやりたかったけどできなかったことは、障がい者雇用。現地の障がい者に対する差別偏見は沢山あり、障がいの認知が進んでいなかった。それがずっとひっかかっていたので、GPで携わることができて良かったです」
GPでの今を楽しそうに語るふたりですが、海外での経験で身についた考え方があると言います。
齋藤 「アスタネ施設長とも共通する考え方なのですが、何かにつまづいた時、それは人ではなく仕組みに問題があると考えますね。だから、その仕組みづくりのプロセスに入って問題を解決していくようにしています」
目先の利益を取るのではなく、アスタネやメンバーに良いことを選ぶ。「格式ばったものだけじゃなくて、やりたいと思ってもらう雰囲気づくりが大切なんだ」と村上も感心します。
そんな村上も、海外での経験が、「みんな違って、みんないい」を実感するきっかけとなったようです。
村上 「齋藤さんの人ではなく仕組みに問題がある、という考えに似ているかもしれませんが。各々ルール、考え方が違うこと、そのそれぞれの良さを組み合わせることで新たな利益や力が生まれることを実感しました」
それぞれが違う、という前提のもと人の話に耳を傾け、新しい考え方は素直に「いいね!」と受け止められるようになったと言います。
キャリアは自分の好奇心の後についてくる
海外に関心のある人は多いですが、一方で、その関心と、バランスをとってキャリアを歩んでいくのはなかなか悩ましいことであるようにも思われます。
ふたりは新人時代、どのようなキャリア観を持っていたのでしょう。
村上 「私は、将来のことも考えながら仕事を選んでいたつもりですが、全然戦略的ではありませんでした。『今やりたいことを一生懸命やっていたら次が見えてくるはず』という考えが大きかったですね。ですので一見、私のキャリアには一貫性がありません……(笑)」
齋藤 「僕もこんなことやってみたい、という好奇心が原動力になって動いていたように思います。ちょっと変わった経験を積めそうな環境に身を置いた方が、将来的に可能性が高いんじゃないかな、と」
大学卒業後、シリアでのプロジェクトに参加したときは、まさに好奇心で動いていたようです。
齋藤 「そこで実際、活動でもプライベートでも、日本人、シリア人、多様な背景や価値観、職業の人たちに出会って、とても刺激を受けました。人とのつながりっておもしろいなぁ、大事だなぁと・・・・・・。また、そのネットワークが今でも活きているんですよね」
おふたりは今やりたいことを一身に追いかけた結果、今にたどり着いたそうですが、これからどんな未来を描いているのでしょう。
村上 「今はカンボジアでの経験を直接活かしてはいないようにも見えますが、GPでCAとして大きなやりがいを感じながら働いていますし、目標も見えてきました。また、カンボジアや語学とのつながりを、細々とでも継続していたら、きっと何かまた広げられると思っています」
齋藤 「アスタネでも、多様な人たちに出会えたことで刺激を受けて、おもしろい日々を送っています。今の好奇心を元に目の前のことに取り組むことで、そこでできたつながりが次の機会を運んでくれる。そんな『わくわく』が連鎖する環境に常に身を置いていたいですね。先のことは分からなくても、自分の好奇心がキャリアの指針となってくれるのかもしれません」
目の前のことに一生懸命取り組むことで、キャリアを築いてきたふたり。今後も、海外での経験を活かしながら、今に全力で向き合ってGPで活躍していく姿が楽しみです。