その人に合った最良の方法や適したコミュニケーション方法は何か?
こんにちは。ゼネラルパートナーズの戸田 重央です。
私は障がい者に関する調査・研究を行う機関「障がい者総合研究所」で所長を務めています。
今日は、情報保障についてのご説明をさせていただきます。
「ほしょう」という漢字はいくつかあります。「保証」は、約束すること。「補償」は、損をしたときに埋め合わせをすること。「保障」は、社会保障や安全保障など、実行を伴って、損をしないように確実に守るということです。
「情報保障」で使われている漢字は、その三番目。「もれなく必ず伝える」という意味合いが強いことをご理解ください。これで終わってもいいくらい、このお話の原点となっていることです。
情報は、文字や音などいろいろな形で存在しています。情報保障といったときの情報は、「聞こえない人に対して音の代わりに視覚情報を提供しましょう」という場合によく用いられる「文字」を思い浮かべる方が多いかもしれません。
でも実は、視覚情報にももっとたくさん種類があって、文字だけに限らず身振り手振りだったり、表情を見ることで怒っている、泣いているということが分かったり、さらには”非常口のサイン”のように絵で見て分かる情報などもありますね。
そして、聴覚情報というのもあります。音声言語であったりサイレンやビープ音だったり、見えない人にとって音はすごく大事なサインです。
さらに、触ることで分かるというのも情報です。温度や触感、ベトベトしていること、湿っていること、肌に当たる風の強さや、バイブレーターで電話が来たことが分かるのも触覚による情報です。
あとは、嗅覚も見えないものの存在を伝えるための情報になります。例えば、都市ガスはもともと匂いがないので、ガス漏れに気づかせるためにわざと玉ねぎが腐ったような嫌なニオイをつけているという例があります。それ以外にも、聴覚障がい者が火災報知器に気づけるようにわさびのニオイをつけているものもあります。
このように、情報を伝える手段はとても多いんです。聞こえる人には声をかければよいのですが、聞こえない人・聞こえにくい人・声が苦手な人の場合は、声が役に立たない情報になったり、脅威になったりします。そういう人には肩を叩くとか目配せをする方法をとります。
反対に、見えない人にとっては、音がサインになります。一人ひとりに合った最良の方法や適したコミュニケーション方法があるんですが、実際には必要な対応ができていないことが多く、それによって「情報弱者」が生み出されることがあるのです。
色々と細かい話をしましたが、つまりは「障がいのある方には、こういうものを用意しておけばいいだろう」と短絡的・表層的な配慮だけでは、問題を見落とす可能性があるということです。
例えば、聴覚に障がいのある方が映画館に行ったとします。ただ、字幕はついているけど文字が小さくて読みにくい。準備されていても読めないということだと情報保障はないのと一緒です。この場合、文字サイズを大きくするとか、今なら字幕表示できるタブレットを貸し出すなどの対応も可能でしょう。
ここで言いたいことは、配慮する側が「これでいいだろう」と思って情報保障をしているつもりでも、できていない場合があるということです。
皆さんには、「聞こえない人には手話でいいよね」とか「目の見えない人には点字でいいよね」など、ひとくくりにして対応することがいかにおおざっぱな行いか分かっていただきたいです。
このように、情報保障は、わかった気にならず常に謙虚でなければなりません。
差別をしない、システムとしての情報保障
視覚で知る、聴覚で知る、触覚で知る、そういった「感覚」に注目しないと、いろいろな情報形態を見落としがちになってしまいます。点字の分からない視覚障がい者に対して拡大文字を用意せず点字しか用意していなかったり、手話の分からない中途失聴の聴覚障がい者に対して手話通訳者しか用意していなかったり。それでは情報は伝わりません。
また、情報保障というと「情報を得る権利」に比重が置かれやすいのですが、「情報を伝える権利」も考えなければいけません。
ALS(筋萎縮性側索硬化症)という、手足・のど・舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉がだんだんやせて力がなくなっていく病気があります。
もしその方が最終的に声も出せないという状態で唯一動かせるのが眼球だけになった場合、自分の意志を伝える手段が限られてしまいます。そういった方も、情報を受け取るだけでなくて伝えたいときもあるわけです。
その場合には、文字盤を視線で追ってもらいこちらが読み取ってあげるとか、重度言語障がいのある脳性麻痺の場合は発音が聞き取りにくいのですが、一緒に長くいれば徐々に言いたいことが理解できるようになってきます。
その人のコミュニケーション手段をよく知る人がそばにいることが情報保障(伝える権利が守られる)になるわけです。
普段接していない人がいざ、自分の意思を言葉で伝えられない人と意思疎通を図ろうとしても、うまく伝わらず正しい意思を受け取れません。
聴覚障がい者で病院に行きたがらない方がいると聞きます。それはなぜかというと、病院に行ったとしても意思疎通がうまくできず、入院したときに放置されるのでは、と怖がってしまうからです。なぜそういう事が起きるかと言うと、情報保障が整備されていないからということも言えるわけです。
情報保障は、単に情報のやり取りだけではなく、人の命に関わってくる場合もあるので、そういう観点で考えると重いテーマでもあることが分かると思います。
意外と情報保障は深いテーマだということをまずは分かっていただければ幸いです。
情報保障の重要性について説明してきましたが、日常の場面で起きがちな出来事から情報保障をシステムとして構築する大事さについても触れておきたいと思います。
例えば音声認識ソフトで作成された議事録が渡されて、誤認識や誤字だらけだったとしたら、受け取った側は本当にそれで「情報が保障されている」と感じられるでしょうか。こういったことにも、気を配らないといけません。
情報のやり取りは人間関係によって成立する事もあります。誤字の多い、いい加減な情報を渡されると、「自分は大切にされていないな」「自分は役に立っているのだろうか」と考えて、だんだんと不信感が強くなっていくかもしれません。
一度そうなると、どんなに正しい情報であっても信用されなくなり、結果的に情報が届いていないのと同じになってしまいます。
そうならないためにも、日々のコミュニケーションや人間関係というのはものすごく重要です。実際には会社組織でそこまでの人間関係を構築するのにも限度もありますし、一部の志ある人の良心に甘えて全てを任せてしまうという問題に発展する場合もあります。
そう考えると、情報保障は良心任せで実行するものではなくて、やはりシステムとして情報保障体制を作り上げていくことが大事なのかなと思います。
情報保障をして「みんな一緒に参加しよう」というのが理想です。では何をもって「一緒に参加」しているといえるのでしょうか。
例えば、聴覚障がい者が会議や会社の社員総会に一緒に参加することを考えたとき、聞こえる聞こえないは区別して、聞こえない人のために音声がきちんと情報として届くように配慮はする。そして同時に、聞こえないことを理由に差別が生まれないように区別しない配慮も考えていく。
大事なことは、何のために区別して、何のために区別しないのか、そこに目を向けることです。
合理的配慮とは、必要かつ適当な調整である
「合理的配慮」という言葉を聞いたことがある方もいると思います。合理的配慮とは、「障がい当事者の意思表明を受けて、会社側と当事者が建設的な対話を進めて構築していくもの」というふうに定義されています。
「合理的配慮」という日本語を用いる場合、配慮という言葉に気遣いという要素が入っているような感じがあって、どうしても100点満点にやらなければいけないのではないかなと慎重さを促しているようにも感じられます。
英語だと、ネセサリー・アプロプリエート・モディフィケーション&アジャストメント(ecessary appropriate modification & adjustment)といって、直訳すれば「必要かつ適当な変更及び調整」という意味です。
要は「調整」、環境調整なんです。なので「合理的調整」と読んで、業務の本質を理解させるための調整だとか、業務をやりやすくするための調整だと考えたほうが、あまり難しく考える必要がなくなるのではないでしょうか。
あなたがすごく広い部屋で話をするとして、聴衆のみなさんに声が一律に届くようにするためにはどうすればいいかと考えるとき、マイクとスピーカーを用意するというのが一般的ではないでしょうか。これが合理的調整です。そのように考えると、そんなに難しい話ではありません。
また、広い部屋のすごく遠い席にいて、その人にも登壇者の顔が見えるようにしたいのであれば、一定の距離にモニターを置くなどの工夫をします。それと同じように、目が見えない人がいます、耳が遠い人がいますといった場合、そういう人たちに目の前の情報を届けるにはどうしたらいいだろうと考え、準備をしていくんです。
もちろん、そのときは先ほど言ったように、情報を「もれなく」「正しく」「必ず」伝えるという意識も重要になってきます。
次に、そういった情報保障や合理的配慮を考える上で分かりやすい例をあげたいと思います。
誰も排除されず参加するには、突き詰めて考える事が必要
まず一つ目の例として、まひや身体欠損などでじゃんけんの形を取れない人がじゃんけんに参加しようとしているとします。見学してもらうなど、参加させないという選択肢は排除にあたりますし、対等ではありません。今求められているのは、誰でも参加できる工夫が必要ということです。なので、じゃんけんの形をとれない場合はじゃんけんの形を変えるのはどうだろうと言う選択肢があります。
じゃんけんを成立させるのであれば、「手のひらを下に向けるとグー、手のひらを表に向けるとパー、チョキは手を縦にしましょう」という形でもいい訳です。でも、腕がない人はどうしますか、自由に動かせない人は、となったら、足や舌などを使うとか、カードを使うとか、他にもいろいろなやり方が考えられますよね。
ただ、残念ながらこういったことをやりだすと、伝統主義的な主張をしてくる人たちも出てきます。
例えば、柔道着は白でなければいけない、相撲は女人禁制、と同じように、じゃんけんに対して「じゃんけんの形にはそれぞれ意味があるから」という人たちも出てくる可能性がある。そういう人たちのことも考えていくとなると、そもそもなぜじゃんけんをするのかを考える必要があるのです。
純粋にじゃんけんを楽しむためなのか、何かを選ぶ手段としてじゃんけんを採用しているのか。単に何かを決めるためということであれば、別にあみだくじやガラガラの抽選器などでもいいですし、じゃんけんである必要はありませんよね。
でも、やはりみんなでじゃんけんしたいとなったときは、それぞれが参加できる方法でじゃんけんを楽しめるのがいいんじゃないのかなと思います。
そして次に第2段階です。
そもそも、じゃんけんのルールが理解できない人がいたらどうするか。知的障がいや認知症などでルールの意味がわからない人も参加するにはどうしたらいいのか。
いろいろ知恵を絞っていく中で、機械に頼るという案も出てくると思います。高速でグーチョキパーがモニター上に映っていて、ボタンを押すとルーレットのように何かが出てくるゲームのようなものです。押すだけであれば、ルールがわからなくても参加することは出来ますよね。そうなってくると押す人自身何が出るのか分からないのだからいっそ同時に出さなくてもいいよとか、もっと言えば、新しい遊び方が出てくる可能性もあります。
ここまでの話として、誰でもできるじゃんけんを考えてきましたが、最終目的としては誰でも参加できるじゃんけんの方法を考える事よりも、情報保障のプロセスを理解することが大事です。
誰もが参加できるじゃんけんにするためには、まず何のためにじゃんけんをするのか、そこまで突き詰めて物事を考える。それを考えた上でさらにみんなが参加するにはどうしたらいいかとかそこまで考えつくす姿勢が大切で、結果的にどんなことであっても、みんなが楽しめるものって現実的には少ないんですよね。目指してみたものの実現しないことが多いのです。
情報保障体制は始まったばかり──誰もが必要な情報を得られる社会を目指そう
じゃんけんですら全員対等に参加する事が難しいのに、完全な情報保障というのは現代のIT技術をもってしても難しいです。でも、出来ないから諦めるのではなくて、ベストエフォートで情報保障を準備することで、少なくとも「あなたは参加できない」という排除の状態よりはより良いものになるはずです。
情報保障の問題もじゃんけんの問題も、いずれにせよコミュニケーションの問題です。参加か排除かという問題がある。そのコミュニケーションに参加するのか、排除されるのかの線引は結局の所、社会が決めています。
日常生活で意識していてもしていなくても、コミュニケーションから排除される人は少なからずいます。コミュニケーションに全員が参加するためには、コミュニケーションのあり方を変える必要があり、そのためには工夫も必要です。法律やルールを変える必要も出てくるかもしれません。
全員が参加するためには、一人ひとりの事情やそのときの状況に応じて、コミュニケーションから排除される人を作らないためにはどうしたらいいのかを考えてベストをつくすことです。参加する相手と状況に合わせて対応するのがコミュニケーションの基本になってきます。
こうやって見ると世の中の情報保障体制とか、コミュニケーションシステムは始まったばかりです。どんなコミュニケーションが必要なのかは、相手や状況によって、コミュニケーションスタイルは変える必要があることにまずは気づくことから始まるのかなと思います。
ゼネラルパートナーズ(以下、GP)の中で、こういったことに意識を向け始めた理由は「社会問題を解決する会社」であるにも関わらず、情報保障が全員が意識して実践できていなかったからなんです。かくいう私もできていなかったので、勉強すればするほど気づきが生まれました。私が知らなかったように、もしかしたら他の社員も知らないのかなと考えて、今回のような情報保障の勉強会を始めました。
当初は、音声認識アプリで生成された字幕の修正作業を進んで手伝ってくれていた社員向けに講義をしたのですが、そこでの反応が大きかったので、他の社員はなおさら知らないかもしれないと感じるようになりました。
GPには、聴覚障がいを持つ社員が複数いて、社員総会などで代表が発信した情報を伝えていく段階で、情報保障の担当者を整備しないといけないね、と自然発生的に始めたのがきっかけです。
私も聴覚障がい専門の就労移行支援事業所「いそひと」の施設長をしなければ、情報保障についてここまで真剣に考えることはなかったかもしれません。「いそひと」で聴覚障がいの方たちの支援をした経験は、私に大きな影響を与えました。
配慮する側だけの「これでいいだろう」という思い込みだけではなく、それぞれに合った配慮(調整)の方法を考えながら、障がいのあるなしに関わらず誰もが必要な情報を得られる社会になるよう、これをきっかけに「情報保障」について気にかけてもらえたら幸いです。