発信することが大好きで、富士通に入社を決めた

FUJITSU ACCELERATORの春日井 淳史

学生時代は中央大学の商学部会計学科で会計学の勉強をしており、そのころはまだスマートフォンやSNS、動画配信サイトが存在していない時代でした。当時の日本は、総合格闘技界(PRIDEやK-1など)が大ブームで、世界からも注目されていた時期。そこで、入学祝いとして叔父に買ってもらったPCを使って私が日本の総合格闘技の記事を英訳して海外の掲示板に投稿すると、とても喜ばれたんです。

自分で情報発信することが楽しいと感じ、海外向けに英語でWebサイトをつくり、日本の総合格闘技情報を発信していました。情報発信局みたいなことをやっていたのがすごく楽しくて。海外からの反応も良かったので。この経験からコンピューターやITの仕事をしたら楽しそうだなと思い、就職活動していました。

当時は就職氷河期の真っ只中でしたが、富士通ソーシアルサイエンスラボラトリ(以下、SSL)の最終面接で「ぜひうちに来て欲しい!」と言っていただけて入社を即決しました。SSLではプログラマーとして気象庁のような官公庁や市役所など、社会的貢献度が高いシステムの開発、いわゆる大規模システムのプログラマーのような仕事をしました。最初からバリバリとプログラミングさせてもらえた経験は大きかったですね。

また、海外での業務も経験しました。上司の推薦でシリコンバレーの中心地であるサニーベールにあるFujitsu Laboratories of America, Inc(米国富士通研究所)に2008年から2年間駐在しました。アメリカの技術やスタートアップについて日本に毎月レポートするのが仕事です。

そんな駐在経験の中で最も印象的だった出来事は、iPhoneの登場です。iPhoneは大きなパラダイムシフトを引き起こしました。毎日使っていたアプリやWebサービスから「私達はGoogleに買収されたので提供を終了します」という突然のアナウンスが出されることもしばしばでした。アメリカのビジネスやテクノロジーのスピード感を間近で体感しました。

常に苦労の中から学びを得て成長してきた

米国富士通研究所のハロウィーン仮装コンテストに出場。コンセプトはサムライストームトルーパー(笑)

駐在中あらゆる学びや気付きがありましたが、一番身になったと感じたのはアウトプットの仕方についてです。インプットに関しては満足すぎるほどの環境でしたが、当時の私は日本への情報のアウトプットに苦労していました。論文経験の乏しい私は全然筆が進まず、毎月のレポートの締め切りにおびえる毎日でした。そこで、現地で一緒に切磋琢磨していた他社の駐在員に相談してみたんです。

そこで、「レポートは論文のように書くだけが正解でなく、スライドでまとめるのもひとつの方法だ」ということを教わりました。「どう伝えるか」ではなくて、「何を提供できるのか、なぜこれが必要なのか」をいかにわかりやすく早く伝えるかが大事かと学べたのです。

2年間の駐在をへて、日本に帰国した後は富士通本社で勤務した後、株式会社ジー・サーチ(富士通のグループ会社)へ異動となりました。異動先では、後のメンターに「キミは何が得意なの?」と聞かれ「得意な開発言語はパワーポイントです!」と答えたことをきっかけに、ジー・サーチが関わっていた富士通の大きなBtoCサービスの企画などに携われることになったのです。

そしてそれと平行して、その上司が立ち上げたジー・サーチの新規事業開発室にて、メディア事業にも携わりました。担当業務は主にメディア広告で、クライアント獲得のために一日数十件の電話営業。最初はなかなか代表電話も突破できず、毎日が本当に辛かったのを覚えています。富士通グループにプログラマーとして入ったのに毎日電話営業掛けてるのは自分くらいじゃないかと思っていました。

ただその時に“切迫した当事者意識”を学び取れたのは大きかったですね。上司から「このサービスしか提供していないスタートアップの社長だったらどう動く?これが売れなかったらオフィスの家賃も払えないしインターネットも電気代も払えないよ」と言われて、1円でも売上をあげるために施策を打つようにしました。たとえば、メールの署名に一行でも自社商品の宣伝を入れたりと、細かいことながら意識をするようになったんです。

この経験は今でも行動指針のひとつになっています。そして、スタートアップに強い尊敬を覚えるようになりました。現在のFUJITSU ACCELERATORにおける活動でも、接するスタートアップにはリスペクトを払うことを忘れません。大変ではありましたが、いい経験だったと思います。

 

変化を起こす側になりたいと、FUJITSU ACCELERATORへ

米国赴任をきっかけに大好きになったゴルフ。お気に入りのコースはHalf Moon Bay Golf Links。

今はデジタルトランスフォーメーション(DX)という、大きく世の中が変革する時期です。社会や富士通が大きく変わりゆく中で「変化には起こす側と受ける側がある」のならば、私も「変化を起こす側になりたい」と考え、FUJITSU ACCELERATORへの異動を希望しました。

2020年4月の異動でしたが、2月にFUJITSU ACCELERATOR第8期ピッチコンテストがあると知り、一般参加者としてイベントに参加しました。そのイベントで最優秀賞に輝いたのが、現在私が協業検討を担当している株式会社RevCommでした。イベントで一番印象に残ってた、絶対売れるぞと感じていたRevCommを事務局メンバーとして担当できたことに運命を感じました。

現在、私はRevCommを含めスタートアップ4社を担当しています。スタートアップと富士通グループの事業部門において、お互いにシナジーが産めるところを探して、お互いのいいところを仲介して協業・事業化につなげていくのが私の役目です。

その際に感じるのはスタートアップと大企業の時間軸の違いです。スタートアップは、いかに直近の売上を確保するかが大事です。他方、富士通はビジネスの在り方を中長期的な観点で考えないといけません。どちらが良い悪いではなく、スタートアップと富士通の間には時間軸の違いがあります。

それはちゃんと自分が吸収して、お互いの文化を埋めて協業の熱量をどうやったら持ち続けられるのか考えています。そういった違いがあることをちゃんと意識しながらお互いの文化の中でどうやって間をとっていくか、落とし所を見つけていくか、が重要なのです。

それを考慮した上で、プランA、プランBなど、常に複数案を用意し、不測の事態に際しても前進できるよう努めています。また、打ち合わせの際にはファシリテーションとして常に「ネクストステップ」と「お互いの共通の目的やゴール」を毎回確認することを意識しているのです。

会議においても、数カ月間の協業検討期間においても、これはどんな時間軸でも有効で、この二点がある程度明確になっていればおのずと正しい方向に進むと思っています。

HAPPYで持続可能な世の中を目指して、堅実に成果を積み上げる

長男が産まれたときは1ヶ月の育休を取得。テレワークのおかげで保育園の送り迎えも可能に。

日ごろの活動内では「富士通の目的」、「パートナーであるスタートアップの目的」、「お客様の目的」、「社会の目的」がどうなったら最大限重なるのかを常に探っています。また、そこから富士通、パートナー、お客様の利益最大化延いては社会のHAPPY最大化について考えるようにしているんです。ビジネス的な最大公約数を探り続けることを意識しています。

自分の仕事をいろんな人たちと接点があり、中継するような──イノベーションハブ的役割を担う仕事だと感じることが多々あるんです。だからこそ自分が関わってきた人たちやサービスのユーザーをみんなHAPPYにしたい。これまでに課題解決や目的達成をかなりの数遂行してきました。富士通とスタートアップのテクノロジーで解決できたというような経験が常にモチベーションになっていますし、それを次に生かしたいです。

そのために、何かを依頼するときには「どういうお願いの仕方をしたらこの人たちは動いてくれるんだろう」と、相手をどう動機づけさせるかを考える癖をつけています。

また私だけでなく、このような考えは会社全体に浸透しているのです。富士通はパーパスとして「イノベーションによって社会に信頼をもたらし、世界をより持続可能にしていくこと」を掲げています。当然、営利企業であるため利益最大化は考えるが、それをゆくゆくは「よりよい社会の創出」へとつなげていこうというメッセージがこのパーパスの裏にはあります。

コロナの影響しかりですが、介護や育児で職場に行くのが難しい人たちも新しいテクノロジーやイノベーションによっていつでもどこでも仕事ができるようになる時代が来ています。

今まで困っていた、今までの当たり前ではできなかったことをニューノーマル・アフターコロナと言われる世界で変えていく。イノベーションによって、生産性が高くみんながHAPPYで持続可能な世の中にしていくことが、富士通の目的であり、FUJITSU ACCELERATORで生み出したい世界です。