携帯電話のアプリケーション開発に心を奪われた大学生時代

▲国際事業部 第1技術部 第2技術グループ課長 三浦 綾子

2020年現在、富士ソフトの国際事業部で、幅広い知識を生かし、システムインテグレーターとして活躍する三浦 綾子。そんな三浦がエンジニアを目指すきっかけとなったのは、大学生時代に携帯電話のアプリケーションのしくみに興味を持ったことが始まりだ。

三浦 「今では当たり前のように使っていますが、携帯電話でメールを打つときに“あ”と入力すると“ありがとう”といった変換候補が、出てくる予測変換のしくみに興味を抱き、アプリケーション開発を独学で勉強するようになりました」

さっそくプログラミングやJavaの本を購入し、アプリケーション開発に没頭した三浦。最初のころは、本の通りにプログラムを書いても動作しないこともしばしばあったが、その試行錯誤すらも楽しんでいたと振り返る。

三浦 「大学ではテニス部に所属していたので、UI(ユーザーインターフェース)を変えスケジュール管理ソフトをつくり、練習や試合の予定を仲間に共有しました。同期や先輩から、『すごい見やすいね』『いつ試合があるかわかりやすい』などと感想をもらえるのがとても嬉しかったです」

ますますアプリケーション開発に夢中になっていった三浦は、携帯電話開発を行うエンジニアになること決心する。

三浦 「好きなことを仕事にできたら最高に幸せだと思っていました。そのため、就職活動では携帯電話の開発を担当できる可能性が高い会社を探していました」

そんな中、出会ったのが富士ソフトだった。多くの携帯電話メーカーの開発を手掛けて急成長を遂げていたことや、幅広い領域で事業を展開していることを知り、2006年に入社。しかし、配属先は携帯電話開発どころか技術職ですらなかった。

まさかの配属先──最先端技術への学びと募る想い

最初の配属先は、最先端技術のR&D調査を行う企画戦略室だった。大学で学んできたAIやロボット、人工知能の知識と、学生のうちから独学でアプリケーション開発に取り組んできた行動力を期待され、抜てきされたのだ。

三浦 「配属先を聞いたときは『なんで私が調査研究部門なの!?』と驚きました。でもやらないで逃げるのは好きじゃないので、『携帯電話開発をやるまでは辞められない!』と新たな目標になったんです(笑)」

企画戦略室に配属された三浦は、市場や競合他社、自社についてのデータを収集・分析し、中長期計画の立案を行った。

三浦 「経営層や他部署の優秀な方々と仕事ができる喜びやおもしろさがありました。それに富士ソフトの現状を把握できたり、会社の未来を左右する経営課題に取り組むことができたりして、とてもやりがいを感じるものでした」

三浦は、自社の事業領域に関する研究や新技術の開発に必要な技術調査を行うR&Dも任された。

三浦 「2007年にスマートフォンのAndroidが発表されたときに、いち早くAndroidの研究に着手しました。一番驚いたことはOSの搭載でした。あの小さな端末でパソコンのように高度な情報処理が行えることには衝撃を受けましたね」

最先端技術を調べて現場に情報提供していた三浦だが、実際にその技術がどのように使われているのかが気になって仕方ない。

三浦 「Androidは自由度が高く、独自のカスタマイズが可能なので将来性を感じました。技術のことを知れば知るほど、実際に自分でその技術を使ってみたいという衝動に駆られました」

日に日に想いが抑えきれなくなっていた三浦。そんな中、ついに念願の異動の話が舞いこんできた。

夢への一歩を踏み出す──積み重ねた努力が成長させる

入社4年目の1月、三浦はついに携帯電話開発を担当することに。携帯電話市場は転換期を迎え、ガラケーからスマートフォンへと切り替わっていた。

三浦 「国内メーカーの中でも先駆けてスマートフォン開発に、取り組んでいた大手メーカーのプロジェクトを担当しました。大学生時代からの夢が実現したことを実感して、すごく興奮したことを今でも覚えています」

このプロジェクトでは、スマートフォン開発のパイオニアとして、日本独自機能の“おサイフケータイ”や“ワンセグ”に対応したモデルの開発が進んでいた。富士ソフトは、おサイフケータイの開発に必要な非接触IC機能の開発実績も多く、ワンセグ機能の開発に必要な技術をデジタルTVの開発で培った経緯もある。

三浦 「私は技術の実務経験がないので、現場に入る前に非接触IC機能やデジタルTVについて独学で勉強しました。富士ソフトの強みやノウハウを評価され、お客様から開発を任されているのに『わからない』なんて安易に言えないですからね(笑)」

それに加え、当時、三浦が常駐していたお客様はグローバル企業。そのため、開発会議の公用語として英語が使われた。技術力の他に英語力も必要だった。

三浦 「英語は嫌いじゃなかったのですが、ビジネスで使えるレベルとは程遠かったので、最初は苦労しました。英語が話せないと仕事にならなかったので、仕事終わりに1年半ほど英会話スクールに通ったんです」

元来負けず嫌いの三浦。人知れず積み重ねてきた努力から、技術力と英語力をしっかりと身に付け、一皮も二皮も剥け成長した。そして着実に成長する姿と、その努力がお客様や上司に評価され、28歳でPMOに抜てきされた。

三浦 「現場では、“自分に何ができるか”を常に考え、自分の意見を相手にしっかりと伝えるようにしていました。そして自分がやりたいことを実現するために、専門的な知識とコミュニケーション能力を発揮して、ロジカルに説明することを心掛けていましたね」

三浦の推進力と実行力がお客様との関係を強固なものに変えたことで、現在も数々の受注につながっている。

次世代の通信技術で新たなビジネスを創出していく

2017年の組織変更により、国際事業部と名称が変わり、国際事業部 第1技術部 第2技術グループへと異動となった。2020年4月には、今までの実績を評価され、課長に昇格。総勢100名の部下を率いている。そして、急激に通信技術が発展していく中、三浦はしっかりと今後を見据える。

三浦 「近年、5GやIoTの到来により通信事業の需要が増えています。アイデア次第で、5Gをベースとしたビジネスチャンスはいたるところに潜在していると思っています」

通信事業の歴史が40年以上あり、独立系Slerとして分野を問わないシステム開発を強みとする富士ソフト。築き上げてきた環境と実績を武器に、今後ますます需要が高まる通信事業を引っ張っていく。

三浦 「モバイルに専門的な知見をもつシステムインテグレーターとして、国内外から引き合いをいただいています。とくに、5Gの最先端をいく中国メーカーなどのインバウンドは増加しています。今後はさらに『富士ソフトにお願いすれば大丈夫』と思っていただけるように技術力を磨き、真っ先に声をかけてもらいたいですね」

自分の成長に貪欲に向き合う三浦。開発から評価までをワンストップでできる技術力とノウハウを武器に、次世代通信事業の未来を担う三浦の躍進に目が離せない。