おもしろそうだと思ったら、まず行動──富士ソフトへの入社

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▲バイオリンを弾く幼少期の竹山

入社13年目の竹山は大阪出身。新卒で富士ソフトに入社し、大阪のオフィスに配属され携帯電話のソフトウェア開発を担当した。しかし、大学時代に学んできたのは畑違いともいえる土木だったという。

竹山 「大学は農学部だったので、周りは建設会社に就職する学生がほとんどで。でも私は、その道を選びませんでした。土木に必要な力学のシミュレーションのためにコンピュータを使う授業があったんです。そのとき、コンピュータってなんておもしろいんだろうと思い、ひとり IT業界への興味を膨らませていくようになっていたからです」

そして、就職活動をするころにはIT業界へ進む決意を固くした。

竹山 「基本的な資格を取得して就職活動に臨みました。しかし、システムエンジニアは理系向きといわれる職業。文系出身者を採用している会社は少なかった。
でも、当時から富士ソフトは理系だけでなく文系も歓迎という採用方針でした。文系出身者を想定した研修や教育体制があって、実際に文系出身で活躍している社員の方の話を聞いてみると、自分もエンジニアとして成長し活躍していくイメージをどこよりも一番持てたのが、富士ソフトだったんです。それが入社した決め手でしたね」

おもしろいと思ったら、とにかくやってみる。そんな竹山の行動力を育んだのは両親の教育方針だという。

竹山 「昔から好奇心旺盛で、いろんなことに興味を持つ子どもでした。『やってみたい』と言うと、わりとなんでもやらせてくれる親で。しかもやってみて違うと思ったら辞めても構わないという自由な感じでした。
だから、バイオリンや水泳、ボーイスカウト、いろいろなことをのびのびやらせてもらいました。そうやって育ったことが、今でも新しいことに興味を持って勉強したり、どんどん行動に移していったりする力につながっているんだと思います」

ひとつの分野では勝負できない。認められる “ITのプロ”になるために

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▲複合機開発に携わっていたころの上司、梶 智弘と

富士ソフトに入社した竹山は、携帯電話のソフトウェア開発を担当した。2006年当時はまだガラケー全盛期。勢いあるプロジェクトで、ソフトウェア開発の醍醐味を味わう。

竹山 「入社してから 4年ほどは次から次へと新しい機種、機能の開発の仕事をいただき、最新の技術を詰め込んでソフトウェアを開発していきました。たとえば携帯電話でテレビを見るワンセグ機能。このひとつの機能を実現するために、何万行というコードを何十人、何百人で組み上げていくんです。 ITってこういうことかと思いました」

しかし、その後携帯電話の市場が一変。仕事がなくなったという。

竹山 「こんなにあっけないものかと。自分たちが仕事をもらえなくなるのももちろんですが、お客様も厳しい状況になっていくのを間近で見て無力感を感じました」

それまで携帯電話を専門にしていた部署のメンバーが複合機やタブレットなど新天地を求めて転々とした。

竹山 「ひとつの分野だけを極めてもダメなんだと痛感しました。複数のスキルを習得して自分なりの価値を確立していく。“ ITのプロ” として」

その覚悟を胸に、竹山は次第に頭角を現すように。

当時の上司、梶智弘に、竹山はこう言われたという。

梶 「必要な技術は変わっても、新しいことを勉強する力、お客様の課題解決に取り組む力は共通。それが社内でもお客様にも認められているんだよ」

ソフトウェアの開発には必ずゴールがある。終わりに近づいていくときに、ただ次の仕事を待つのではなく、お客様とどうコミュニケーションを取っていけば次の仕事につながるのか。それを学び、変化する環境の中でも“ITのプロ”として、自分の価値を見いだしてきた竹山。

今後理想とするお客様との関係を、竹山はこう考える。

竹山 「最終的には、こちらからアピールしていかなくてもお客様の方から、次は富士ソフトにこれをやってほしいんだと言っていただける、そんな信頼関係をお客様と築くのが理想です。それをできるのは技術の力だけだと思います」

そして2013年、行き着いたのはITの需要が急拡大していた車載ソフトウェア開発だった。

名古屋での挑戦──これからの課題に想いを巡らせて

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▲お客様先に向かう竹山

京都や兵庫など大阪近郊の自動車メーカーや部品メーカーのお客様に、カーナビやEPS(電動パワーステアリング)、ハイブリッドシステムを制御するECU(エレクトロニックコントロールユニット)の開発などを手掛け、関西エリアでの車載ビジネスを拡大してきた。

2019年4月、竹山は自ら希望して車載ソフトウェアの開発を行うASI事業部が主戦場とする愛知県に転勤。刈谷第2オフィスを拠点として大手自動車部品メーカーのお客様先で開発案件にあたる。

そこには、名古屋のお客様の開発を大阪のオフィスで行う持ち帰り案件を増やし、受注を安定させたいという想いがある。

竹山 「大阪のチームはアプリ開発やモデルベース開発を得意としてきました。でも、名古屋の仕事をするにはもっと下回りのプラットフォームやデバイスドライバを制御する技術が必要。大阪への持ち帰りを目指して名古屋の開発に参画させてもらいました」

その背景には名古屋だけでエンジニアを集める難しさがあり、より多くのニーズに応えるためにも札幌や関東、大阪、福岡など各地で開発拠点を構える必要があるのだ。

竹山 「お客様先に常駐して開発するプロジェクトもありますが、ソフトウェア開発がどんどん増えていく中、スペースや機材にも限界があります。万全な環境を整えて持ち帰りで開発してもらえるなら、その方が助かるという声もいただきます」

竹山が今担当しているのは電気自動車に搭載して直流を交流に変換するインバーターの開発だ。

竹山 「蓄電池から発生する電流は直流ですが、モーターを回すのに必要なのは交流なので、それを変換するインバーターの需要は増えています。変換するときの電力ロスをいかに減らすか、どう安全性を担保するか、まだまだ性能を上げていかなければいけません」

自動車が道路を走っているときに充電がなくなった場合、急に止まると非常に危険だ。 そのため、猶予を持たせて安全に止まらなければならない。

これまでは車種に合わせて開発していたインバーターのソフトウェアを標準化して、コストを抑えることも課題だという。これから解決していかなければいけないたくさんの課題に想いを巡らせる竹山の目は輝いていた。

底知れない好奇心で、新たなイノベーションを創出する

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▲ASI事業部 第3システム部 第6技術グループ 竹山玄

2019年11月、竹山は大阪に帰任し、持ち帰りでのインバーター開発を始める。

竹山 「実はもうすぐ第 3子が産まれるんです。なんとか妻の出産に間に合うように持ち帰り化を実現させてもらえることになってホッとしています」

単身赴任をしながら3人目を迎えるのは家族への負担が大きすぎると、胸をなでおろす竹山。

竹山 「協力してくれた刈谷と大阪のメンバー、上司、お客様には感謝の言葉しかありません。大変なときに単身名古屋へ行くチャレンジを応援してくれた家族の存在も大きいです」

周りへの感謝とともに、自身のキャリアへも一貫した姿勢を持っている竹山。

今は車載ソフトウェアの開発に全力で取り組んでいる。しかし、やはり目の前のことだけをやっていてはいけないと常に危機感を持っているのだ。

竹山 「 2年後、 3年後はまだ車載ソフトウェアの開発をしているかもしれません。でも 5年後、 10年後に同じことをしている保証はありません。どんな分野でも必ず技術革新が起こり、昨日までやっていたことが古くなるときがくる。だからいつでもアンテナを張って、おもしろいものを探しています」

ここ数年はAIの勉強もしているという。“ITのプロ”としていくつもの技術を極め、いつの日か新たなイノベーションを創出する未来を描く竹山。彼の底知れない好奇心は尽きることなく、時代の変化に応じ、挑戦し続けていく。