公から民へ。行政と手をつなぎながら動ける民間組織として児童館の館長に

▲沖縄県宮古島市ひらら児童館 館長の新城 宗史

児童館は、子どもたちといっしょに笑っていっしょに泣けるすばらしい場所。いのちに寄り添える愛おしさを毎日感じています──

宮古島市ひらら児童館館長の新城 宗史は、仕事のやりがいをそう語ります。民間運営となった同施設の館長になって約2年。さまざまな形で児童福祉の領域に関わってきた新城は、これまで感じてきたいくつもの課題を、児童館という場をフル活用して解きほぐしていこうとしています。

新城が幼稚園教諭として宮古島に赴任したのは、2004年のこと。小学校から短大までを本島で過ごした新城ですが、子どもの頃から将来は祖父母や母親が生まれ育った宮古島で暮らすことを決意していました。

新城 「宮古島には、助け合いの精神、沖縄の方言で言うところの“ゆいまーる”の精神が色濃く残っているんです。その精神を持ち、どんな時でも当たり前のように人助けをする祖父母を、僕はとても尊敬しています。そんな祖父母を育んだ土地で、僕も生きていきたいと思っていました」

そうした思いと、小学生の頃に幼稚園で読みきかせをして喜ばれた経験が重なり、「宮古島で幼稚園の先生になる」という夢を抱いた新城。沖縄本島の短大で保育を学び、2年ほど保育現場で働いたあと、念願の宮古島へ。専門性を持った幼稚園教諭として教育委員会に採用され、カリキュラムづくりなどに取り組みました。

その後異動によって、島の昔遊びを子どもたちに伝える講座を担当したり、子どものいる家庭の支援策に取り組んだり、現場から離れて子どもに関わる仕事を経験しました。行政の担当者として子どもや家庭に関わるなかで、現場では見えていなかった課題に気づいたと言います。

新城 「制度と制度の間にこぼれ落ちてしまう家庭があります。条件が少し違うだけで支援ができず、何度も歯がゆい思いをしました。制度の活用や資金面を行政が、柔軟性やマンパワーを民間が担い、手を結んで支援ができたらいいのにとずっと思っていました。

でも今は、間をつなぐ存在がいないんです。じゃあ『僕がなろう』と、思いきって行政をやめて、一般社団法人としてひらら児童館の運営委託を受けることにしたんです」

館長に就任した1年目、利用者たちからは当初、民間の運営を不安に思う声が挙がっていました。そこで新城が行なったのが「子どもまつり」です。遊びで子どもの心を育む専門性を持っていること、そして民間だからできることを伝えるために企画しました。

当日は、子どもたちの作ったおもちゃで射的や輪投げなどの遊びを提供し、地元企業の協賛でポップコーンなどの出店も並びました。目玉は、プロによるファミリーコンサート。音楽にパントマイムや工作を組み合わせたプログラムに、「こんなの初めて見た」「楽しかった、またやってほしい!」という声が聞こえてきました。

新城は最後の挨拶で、『児童館を地域にも開き、住民や保護者の方、行政ともつながりながら、民間だからこそできることを追求していきたい。みんなにとって楽しい“拠りどころ”にしていきます』と伝えました。思いが保護者や地域住民に伝わったのか、子どもまつりのあとにはひらら児童館の利用者もぐっと増えたと新城は嬉しそうに語ります。

コロナ禍で実感した、こころの健康をつくる「遊び」の力

▲工作の大ヒット「つながるダンボール」。最後につなげてひとつの作品にする

新型コロナウイルスが猛威を奮った2020年は、試練の年になりました。3月には約2週間の閉館。何が正解なのか見えない中、対面で使うおもちゃやままごと遊びのコーナーも撤去せざるを得ませんでした。

新城 「何が残るかというと、机に並んでできるような遊びや、ひとり遊びだけ。子どもたちにかける言葉も、『〇〇はやめて、それはしちゃダメ、〇〇しなさい』そんな否定的な言葉ばかりになってしまったんです。子どもたちにとってどうすることが最善なのかと悩みました」

そんな時、児童健全育成推進財団のWebページを見た新城。臨時休館中に工作キットを配ったり、おうち遊びの動画を配信したりといった取り組みを全国の児童館が行なっていることを知り、心に変化が生まれました。

新城「僕らにもやれることがたくさんあると気づきました。子どもたちが家で何をしているんだろうとも思い、『工作キットやおもちゃを取りに来てね』、『児童館が休みでも先生たちはいるから困った時にはいつでも声をかけてね』と玄関に案内を出しました。

やってきた子どもの中には、学校が休みになってごはんを食べていないという子もいて、ストックしている非常食を持ち帰らせたこともありました。児童館として働きかけを行なうことで、そうした子どもに寄り添うことができたと感じています」

開館後も、対面で遊ぶおもちゃは使えません。その結果、工作遊びや手づくりのおもちゃが増え、駐車場で行う外遊びでも楽しんでいるといいます。

工作の大ヒットは、育成財団のWebページで紹介していた「つながるダンボール」。切り込みを入れたダンボールを使って一人ひとりが工作をし、みんなの作品をつなげてひとつにします。作業はひとりでも、みんなで同じ目的に向かって遊べ、思いもよらないものが完成する楽しみがあります。

来るのも帰るのも自由。だからこそみんなの居場所になれる

▲2019年7月に行なった、「新聞ビリビリ大会」も大好評だった

新城 「ここは、来るのも自由、帰るのも自由な場所。子どもを“預かる”保育現場との大きな違いに、最初は戸惑いました。以前、ある子どもに注意をしたら『じゃあいいよ帰る!』と帰っちゃったことがあったんです。あ、帰っちゃうんだ!とびっくりしました。

帰る自由を持っている子と信頼関係をつくるには、体験や感情を共有していくしかないと思います。今ではその子も、5分すると戻ってきていつのまにかまた遊んでいます。子どもたちの間でうまく折り合いをつけられているんですね。

一方で、関わり方や次の一手に迷っているような子がいたら、少しつっついてあげるのが僕らの役割なのかなと思っています」

来るのも帰るのも自由。それは児童館の魅力でもあると新城は考えています。どんな子どもにとっても居場所になり得るからです。否定の言葉は使わずに、どうしたかったのか話を聞くこと、来てくれた子どもには必ず「おかえり」、送り出す時には「明日もいらっしゃい」と声をかけることを心がけていると言います。

そうした丁寧な気配りによって、ひらら児童館には、「遊ばない子」もやってきます。習い事の前に「水飲んでいい?」と立ち寄る子。「忙しいけど先生が寂しがるから」と事務室に顔を出す子。ひらら児童館は、用事がなくても来てもよい、自分がいてもよい場所として、子どもたちに認識され始めています。

めざすは「おせっかいおじさん」。中高生世代や親にとっても拠りどころに

▲2019年に開催した子どもまつりのファミリーコンサートの様子。プロによる公演が大好評だった

新城は児童館職員として、子どもたちとの「ナナメの関係性」を大事にしています。学校の先生や保護者は、子どもと向き合う関係性。児童館職員は上下関係ではなく、「この人たちならマジで受けとめてくれる」そんな見通しを持ってもらえる存在でありたいといいます。

新城 「困ったな、とふと見上げた時に目が合うのがナナメの関係。以前、小4の子が『先生抱っこして』って言ったんです。たぶん親にも学校の先生にも言えない、でもここなら求めれば与えてくれると見通してくれたんですね。他の子どもたちも、『何歳になったって抱っこしてもらっていいんだよ』と言ったら、じゃあ僕も私もと、子どもたちが僕の前にズラッと並んだんです。

『先生あのね…』そう子どもが話し出してくれる関係をつくっていきたいと思います」

新城は今後、そんなナナメの関係性を、中高生世代ともつくっていきたいと考えています。小学生が帰宅した18時から20時くらいまでを中高生世代の時間にし、話を聞く場所にできたら、と語ります。

新城「カップ麺でも一緒に食べながら、お前も大変だなーって言ってあげたい。僕自身は母子家庭で、寂しい時もあったけど、周りの大人が支えてくれました。宮古島には若年妊娠・出産も少なくないという現状があります。誰にも言えず不安を抱えている子どもに『よく相談してくれたね』と言える存在でありたいとも思っています」

 「めざすはおせっかいおじさん」と笑う新城。大人に対してもその姿勢は変わりません。保護者からの相談があった時は、話をよく聞いて受け止めてから、解決に向かうための専門機関や制度の情報を差し出しています。

子ども、中高生世代、地域、そして保護者。誰もが立ち寄れて、心の拠りどころになる場所へ──新城の挑戦は、まだ始まったばかりです。